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『からくりサーカス』の黒賀村編が必要か不要かは世代によって意見が割れる説

ASCII.jp / 2025年1月3日 16時0分

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 結論から言えば僕は“必要だ”と考えている派だ。

 『からくりサーカス』の連載開始は1997年。僕ら世代が生まれた年だ。連載終了も2006年と古い。だが、2018年にはアニメが放送、2022年にパチンコ化、2023年にパチスロ化されヒット。若い世代にも馴染みある作品だ。

クライマックスへの重要な布石 それこそが黒賀村編なのだ

 そんな本作の終盤に、黒賀村編と呼ばれる主人公の修行パートがある。

 アニメ化された際には全カットされ、また、マンガの連載時には中だるみとか本編進めろとかいろいろ物議を醸し、大きな話題を呼んだパートだ。このパートについては、からくりサーカスファンの間でも、必要派と不要派の戦いが未だにネット上で繰り広げられている。

 僕が考えるに、からくりサーカスにおける黒賀村は日常の象徴だろう。フェイスレスと関係ない者たち、勝にとっての日常の象徴である。そんな、日常からの「ぜひ」があるから最終決戦クライマックスへのカタルシスが大きくなっているのだと強く思う。

 また読者に、闘いとは関係のないものたちが巻き込まれる無差別なラスボスの所業に、危機感と絶望感を感じさせるのもポイントだ。

 さらに、黒賀村編のシルベストリ戦も重要なアクセントだ。それまで無機質で憎むべき存在であったオートマタにも感情が芽生える可能性があることを示した。

 そして終盤では「最古の四人(レキャトルピオネール)」のコロンビーヌ、パンタローネ、アルレッキーノが、主人公たちとのやり取りの中でラスボスの白金を裏切る。この流れへの受け入れやすさも違うだろう。

黒賀村編はエンドレスエイト

 だが、必要ないというファンの気持ちもわかる。正直、リアルタイムで連載を追っていたとしたら僕も離脱していた気がする。しろがねは?鳴海は?一体どうなったんだ、教えてくれと。

 黒賀村編は、いわばからくりサーカスの「エンドレスエイト」のようなもので、リアルタイムで毎週追っていた層は苦しめられ、後年一気見することができた層はさして気にしない。ここに黒賀村編の良し悪しのギャップが詰まっている気がするのだ。要するにリアルタイムで連載を追えていた層ほど、黒賀村編不要と唱えているのではないかと。

 だが、黒賀村編があるからこそ生まれた名シーンも数多くあることを忘れないでほしい。そう「ビッグサクセス」とかね。

からくりサーカス 藤田和日郎 (著) 全43巻(完結)

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