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食べログ TOP1000を獲得した名古屋の名店『炭焼 うな富士』 名店の味を故郷の名物にするため4/1から事業を継承します

@Press / 2018年3月30日 9時0分

この度、株式会社かぶらやグループ(代表取締役:岡田 憲征)は、食べログ全国77万件のランキング上位約0.15%が得られる「食べログTOP1000」の行列が絶えない名古屋市内のうなぎ専門店「炭焼 うな富士」。その名店を運営する有限会社中部淡水の代表取締役に、当社代表 岡田が就任、経営運営と事業を継承することになりましたことを報告させていただきます。
※元代表 水野氏は相談役として就任、うなぎの学びについて継続してお力添えいただきます。

画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/153095/LL_img_153095_1.jpg
うな丼

◆名店から初の暖簾分け。そして継承の打診
今年1月 うなぎの名店「炭焼き うな富士」の初の暖簾分け店舗として、当社初のうなぎ専門店「鰻う おか冨士」をOPEN。数年にわたるOPENまでの過程で、当社 岡田のうなぎに対する想いを知った「うな富士」の代表 水野氏から、「炭焼き うな富士」の事業継承の打診。


◆「うなぎを愛している」当社代表 岡田に託されたいきさつ
水野氏は現在74歳。7~8年前より女将が膝を悪くしたことをきっかけに70歳で引退したいと考えていましたが、後継者がおらず、長年守り続け愛され続け、名店と呼ばれるようになった「炭焼 うな富士」の名を残すために悩んでいました。その折に当社 岡田より職人の修行をさせて欲しいという話をする中で当社 岡田のうなぎに対する想いを知り、「うなぎを愛している」という岡田に「炭焼 うな富士」の事業を継承して欲しいと思ったと、水野 尚樹氏は語っています。


◆岡田の悩んだ末に出した答え
当社代表 岡田は、故郷の広島にて両親が食堂を営んでいました。過疎の進んだ小さな集落で人々に愛されてきた店の名物「中華そば」。それは林業や農業に従事する方々のチカラ飯として村の名物でした。
10年程前に両親の高齢を理由に廃業。未だに「あの味が忘れられない」と言われ心痛な想いをする。水野氏からの事業継承の話を受け、「うな富士の味は故郷の名物のようになくしてはいけない。」と思い、うな富士の味を永遠の「あの味」にするためにと事業継承を決めました。

鰻を学びだしたばかりの我々が名店の名を永く守り続けることは簡単なことではありません。しかし多くの方の「あの味」を守り続けるために、今後の「炭焼 うな富士」「鰻う おか冨士」両店が100年、200年と続くために社業の発展に全力を尽くしていきます。
代表取締役 岡田 憲征は「僕にとっての事業継承とは味と歴史を知り、守り育て続けること。今後も微力ながら飲食業界の中で、そんな橋渡しなども必要とあれば行っていきたい」と語っています。


◆初の暖簾分け店うなぎ専門店「鰻う おか冨士」とは
2018年1月に当社初のうなぎ専門店「おか冨士」が誕生。食べログ全国77万件のランキング上位約0.15%が得られる「食べログTOP1000」の行列が絶えない名古屋市内のうなぎ専門店「炭焼 うな富士」の味を正統継承する初の暖簾分け店です。


◆株式会社かぶらやグループについて
代表取締役 岡田 憲征は、名古屋市東区にて1992年創業。名古屋16業態、東京2業態、客単価390円のラーメン業態から客単価1万円のステーキ業態まで幅広く展開。経営理念である「お客様第一主義 我々すべての行動がお客様の喜びの源である」のもと流行にこだわらず、十年、二十年と愛され続ける店を目指し、日々追求し続けています。

商号 : 株式会社かぶらやグループ
代表者 : 岡田 憲征
所在地 : 愛知県名古屋市中区千代田4丁目2番7号
創業 : 1992年11月24日
事業内容: 和・洋・中華 飲食店の経営
URL : https://www.kaburaya-group.co.jp


詳細はこちら
プレスリリース提供元:@Press

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