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食べることは生きること 過酷な避難生活から学んだ備蓄の在り方福島県南相馬市・宮城県気仙沼市 被災地取材記事公開

@Press / 2021年5月20日 15時0分

福島第一原発を望む
尾西食品株式会社(本社:東京都港区 代表取締役社長 古澤紳一 ※以下、尾西食品)は、防災食・備蓄のリーディングカンパニーとして、”アルファ米”をはじめとする非常食を製造・販売。「誰にとっても安心安全な食」の提供を通じ、日常の防災意識を高める活動をすすめています。3月から公式サイトで防災コラムの発信をスタートしておりますが、今回は現地で「食」にまつわるお仕事をされる2名の方に取材を行いました。

■ 「食」を通じた防災意識の向上に取り組む
画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/259574/img_259574_1.jpg
大戸貴弘 氏
株式会社 伊藤商店 特販課 課長 介護食アドバイザー
東日本大震災で地震、津波、原発の事故により大きな被害を受けた福島県南相馬市で被災。震災前から「食」のエキスパートとして市民の防災意識の向上に取り組み、地域内外への講演活動などを行っている。

東日本大震災で地震、津波、原発の事故により大きな被害を受けた福島県南相馬市。現地で震災前から「食」のエキスパートとして市民の防災意識の向上に取り組む、大戸貴弘氏にお話を伺いました。

■ ~転々とする避難生活、改めて「食」の大切さを実感~
――震災時はどのような状況だったのでしょうか。
東日本大震災の当日は仕事で会津美里町にいました。すぐに水などの物資を購入して自宅のあった南相馬市小高区に夜に戻り、避難所で家族と落ち合いました。翌日、家の片付けで自宅に戻りました。幸いガスと電気は使えたのでカレーを作り、津波から命からがら逃げてきた親族も含め15-16名で温かい夕食を取り寝ようとしたときに防災無線で避難指示が出ました。勉強会で作っていた非常持出リストに従い、今すぐ使うものや家に帰れないことを想定したものを20-30分かけて準備し、車に乗るだけ載せました。家に備蓄庫があり、安いときに食品などを買っておき、また水用の空のタンクも用意してありました。
それから小名浜市、茨城県古河市で避難生活を送り、会社が再開後は、私は南相馬市原町区で単身赴任、家族は会津で生活しました。

■ ~自身の経験を通じ、災害の備えとして自助・共助の重要性を訴え続ける~
――震災後、講演活動などを再開され、防災食の備蓄や活用の新たなアイデアも模索されているとお伺いしました。
地域外の社会福祉協議会や顧客から依頼が来るようになり、介護食アドバイザーの資格も取って防災の講演活動などを再開しました。地域の方への介護食の勉強会を行うことなども継続して行い、自分の身は自分で守るために、自分で用意することを訴えています。
共助の例として、行政側が災害用に備蓄していた防災食で賞味期限が短くなったものをフードバンクなどに提供していくなどの仕組みづくりができれば、無駄なく活用できると考えられると思います。ただ行政の場合にはどの部署で行うのか等の問題があるので、最終的には自助・共助がやはり重要になってきます。地域の組などの単位でも防災食を備蓄できれば一番良いと考えています。

■ ~備えあれば憂いなし、簡単に作れておいしい防災食の備蓄は大切~
――今、特に訴えられていることはどのようなことでしょうか。
コロナ禍の現在、施設や病院の給食室で調理スタッフに陽性患者が出た場合には食事の提供が出来なくなるので、尾西食品さんのアルファ米などの防災食を給食室以外の場所で分散備蓄しておくことをお勧めしています。スプーンが入っていて、誰でもお湯を入れるだけの手軽さで作れ、病棟や各フロアで手に入るお湯で作れることが大きなメリットだと考えています。そのような場合には給食室の食品庫には入れなくなるので、防災食は各フロアの倉庫なので保管して下さい。5年保管できるので万が一使用しなくとも、通常の食事で美味しく召し上がって頂くことができるので無駄もありません。
おいしいことは一番重要で、食物アレルギーや宗教上の問題がなくて万人に提供ができ、さらに簡単に作れておいしい防災食は非常に大切です。

■ 『気仙沼の被災住民を救った「いのちのおむすび」』
画像2: https://www.atpress.ne.jp/releases/259574/img_259574_2.jpg
生駒和彦 氏
有限会社いこま 気仙沼給食センター 社長
気仙沼市で配食サービスを行う企業を経営。東日本大震災で自ら被災しながらも、震災直後から避難所に食べ物を提供し続け、多くの住人を助けた。不安と恐怖に苛まれる避難者に配布されたおむすびは「いのちのおむすび」と呼ばれるようになった。

東日本大震災で津波の直撃を受け、さらにその後に発生した火災により町の中心部が焼失し大きな被害が出た宮城県気仙沼市。被災されながらも、現地で震災当日から避難所に食べ物を届け続けた、生駒和彦氏にお話を伺いました。

■ ~人がいて場所があって食材もあった・・・やるしかなかった~
――東日本大震災当日、どのような状況だったでしょうか。
地震発生時は経営する「気仙沼給食センター」で仕事中で、大きな揺れに遭遇しました。その後に襲ってきた津波が会社の近くの川を逆流してきましたが、幸い職場は難を逃れ無事で、状況を確認するために避難所となっていた近くの中学校の体育館に向かいました。
体育館に着くと、そこで多くの人々が食べ物に困っていることを知ったので、急いで会社に戻り備蓄していた米とプロパンガスを使用してご飯を炊きました。余震でガスの安全装置が働いて途中で火が消えてしまうこともあり、上手くお米が炊けたらおむすびにし、ダメだったらおかゆにして、その日の夜から体育館の住民の方に提供を始めた次第です。翌日からは停電のために冷凍庫の中で溶けている食材を活用しておかずを作り、おむすびと共に1日に1〜2回、避難所に提供、さらに会社の前でも炊き出しを行ったところ、徐々に噂が広がり、行列ができるようになりました。幸い私のところには、人がいて、場所があって、食材もありました。困っている人のことを思うとやるしかなかった。
それから連日おむすびを配りましたが、じきに「いのちのおむすび」と呼ばれるようになったと聞いて、胸が熱くなりました。

■ ~今後への思い~
――震災対応で改善すべき事項があると思いますか。
今回の震災では、自宅にいた避難者には食べ物や支援物資等が十分には届かずに大変だったと思います。家にある食品を細々と食べつないで生き延びたという事例が多いため、今後は自宅避難者への対応を考えておくことが大切だと思います。
震災後ある程度経つと、尾西食品さんのアルファ米や菓子パンなども配られるようになり、大変助けられました。防災食はどうしても米や麺が中心になりますが、災害直後の急場を凌いだ後には人はいろいろなものを食べたくなってくるので、できればスイーツ的なものなども備蓄してあると良いと思います。ケーキが食べたくなった時に、ホットケーキミックスが重宝されました。
経営する配食事業でも今までの枠にとらわれない新たな可能性を模索していこうと考えています。

本文はこちら
「食」を通じた防災意識の向上に取り組む:
https://www.onisifoods.co.jp/column/detail.html?no=5

気仙沼の被災住民を救った「いのちのおむすび」:
https://www.onisifoods.co.jp/column/detail.html?no=4

■尾西食品株式会社
・事業内容:長期保存食の製造と販売
・代表取締役社長:古澤 紳一
・所 在 地:〒108-0073東京都三田3-4-2いちご聖坂ビル3階
・URL: https://www.onisifoods.co.jp/


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プレスリリース提供元:@Press

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いのちのおむすび

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