2014年夏季特別展「二つの綴織 MIHO悲母観音と蓮華弥勒」

@Press / 2014年7月16日 16時0分

1.MIHO悲母観音像 MIHO MUSEUM蔵
 MIHO MUSEUM(所在地:滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300、館長:辻惟雄)は、2014年(平成26年)7月19日(土)~8月17日(日)までの期間、夏季特別展「二つの綴織 MIHO悲母観音と蓮華弥勒」を開催いたします。
 本展は、現代の織工芸技術の頂点ともいえる綴織の傑作「MIHO悲母観音像」と「蓮華弥勒像」の初の同時公開に因み、楊柳観音や半跏思惟像など国内外の仏教美術の名品を展観しながら、二つの像誕生の背景をたどろうとするものです。

 MIHO MUSEUMは、現代に制作された綴織の傑作二点を所蔵しています。本展はこの二つの綴織が、初めて同時に公開されることに因んで企画されました。
 「MIHO悲母観音像」(平成6年・1994)は、明治期日本画壇の巨匠、狩野芳崖の絶筆にして最高傑作といわれる「悲母観音図」を基に、「蓮華弥勒像」(平成24年・2012)は、昭和24年に焼失した法隆寺金堂壁画のうち第2号壁の「半跏思惟像」を基に、株式会社川島織物セルコンが伝統の織物工芸の粋と最新のテクノロジーを融合して織りあげた綴織作品です。展覧会では、現代の織工芸技術の頂点といえる二つの綴織とともに、楊柳観音や半跏思惟像など、国内外の仏教美術の名品を展観しながら、二つの像誕生の背景をたどります。
 「MIHO悲母観音」のコーナーでは、この綴織の原図となった狩野芳崖の「悲母観音」に焦点を当てます。この名画の構想はどのように生まれたのか、芳崖のどのような思いがこの作品に込められていたのか。この謎に、隋や唐などから伝来した楊柳観音像や、芳崖の「観音下図」(重要文化財・東京芸術大学大学美術館)などの二つの方向から迫り、芳崖の構想が母子図から人類誕生という壮大なテーマに変化していった様を追います。
 続く「蓮華弥勒」のコーナーでは、半跏思惟の姿をした菩薩像に焦点を当てます。釈迦の姿として始まり、半跏思惟像を通じて観音、弥勒としても崇拝されるようになったこの形式の菩薩像は、インド、中国からわが国に伝えられます。銘文により丙寅の年(天智天皇5年666)に、弥勒として造られたことが分かる野中寺(大阪府羽曳野市)の「半跏思惟像」は、7世紀のわが国で半跏思惟像が弥勒として信仰されていたことを示す重要な作品です。また、奈良時代に造られた岡寺(奈良県明日香村)の本尊・如意輪観音像の胎内に納められていたと伝えられる「半跏思惟菩薩像」は、この形式の菩薩が奈良時代に観音としても信仰を集めていたことを示す確かな証です。半跏思惟の菩薩像は平安時代以降も聖徳太子信仰と結びついて如意輪観音として尊ばれ、一方、奈良では興福寺を中心に観音の象徴のように思われる蓮華を持った二臂の弥勒像が伝えられていました。
 また会場では、愛知県立芸術大学によって、日本画家片岡球子を中心に14年の歳月をかけて、昭和62年(1987)に完成した法隆寺金堂壁画の模写12点(愛知県立芸術大学 法隆寺壁画館)を一堂に会し、往時の雰囲気の再現を試みます。
 最後のコーナーでは、二つの綴織制作の秘密が、門外不出の織下絵(川島織物セルコン織物文化館)などの資料を交えて明かされます。狩野芳崖の「悲母観音」を原画に織り上げられた「MIHO悲母観音」は、その荘厳華麗な表現を、忠実、かつ完璧に写しとり、「織」によって異なる様式に昇華させました。また、半跏思惟の姿をもつ法隆寺金堂壁画・二号壁の菩薩の姿から、綴織で新たに織り上げられた菩薩像は、「蓮華弥勒」と名付けられ、奇しくも壮大な両菩薩への信仰の糸をつむぎ合わせるように現代に甦ったのです。 
※会期中一部展示替えあり

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