小・中学生時代のホンネを元甲子園球児に聞いてみた!

ベースボールキング / 2019年7月17日 12時0分

5試合で計77安打。チーム打率.418と驚異的な数字を残したのが2014年夏の甲子園でベスト4に進出した敦賀気比(福井)。そんなチームで中軸を担い25打数8安打2本塁打、打率.320の成績を残した峯健太郎さん。今年の春に日体大を卒業し、今は地元の和歌山で社会人としての第一歩を歩み始めました。そんな峯さんに子ども時代のお話を聞いてみました。




■本当はサッカーがやりたかった?


外で遊ぶことが好きでとにかくよく体を動かしていたという幼少期。野球に触れたきっかけは家族だった。
「父と兄が野球やっていたので、家でキャッチボールをしてもらったり、自然と壁当て、素振りなどをやっていましたね。友達と公園とかに行ったときも自然と野球をして遊んでいました」

しかし、当時野球より楽しく感じていたのはサッカーだったという。そんな少年がなぜ野球を選んだのか? それはほんの些細な事がきっかけだった。
友達の誘いで少年野球チームの練習に行くことになったある日。バッティング練習をさせてもらうと長打を連発。遊びで野球をやってきた成果を遺憾なく発揮した。そんな峯少年のバッティングを指導者が褒めてくれた。それが嬉しかった。
「そしたら翌日に大会があるからといきなりユニフォームを渡されて(笑)。入部して欲しいから褒めてくれたのかもしれないですけど、子ども心に嬉しかったですね」。



翌日行われた大会にまんまと出場した峯少年は、二塁打を放つなどの大活躍。その時味わった長打を打つ快感は今でも忘れられないという。
「打つことがこんなに面白いとは思わなかったし、野球もいいなって思いましたね」
野球よりサッカーが好きだった少年は、野球チームに入ることを決意した。

入部したチームは部員が少なかったこともあり、必然的に捕手、投手など色んなポジションを守ることになった。それらを難なくこなした峯少年はすぐさまチーム内でも一目置かれる存在になった。少年はますます野球が好きになっていった。


■やめたいと思ったことはあります


中学進学を控えた頃、峯少年には甲子園という目標が見えてきた。硬式野球で活躍すれば強豪高校の関係者の目に止まる機会が増えるのではないか? そう考えた峯少年は強豪・和歌山シニアに入部する。



入部後すぐに中学硬式野球の日本一を決める全国大会「ジャイアンツカップ」で準優勝も経験した。当時の3年生にはのちに大阪桐蔭で春夏連覇を果たすことになる田端良基などがおり、峯少年は強豪チームのレベルの高さに圧倒された。当時の記憶といえば厳しい練習しかないという。
「特にランメニューが多くて、とにかく走らされていましたね。主に長距離。ある時は50m×100本、100m×50本、『どっちがいいか?』とコーチに言われたこともあります。距離は同じなんですけどね(笑)」。

練習が嫌で逃げ出したいとか思ったことはなかったかと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「やめたいと思ったことはありますよ。練習がしんどい時、結果が出ない時、怒られた時……でも本気でやめようとはならなかったですね。今にして思えば、厳しさを乗り越えて精神的に強くなったと思うので、(後々の人生で)役に立っているのかなと思いますね」

■複数ポジションを守れた方が可能性は広がる


和歌山シニアでもポテンシャルの高さを発揮し始めた峯少年は、遊撃手、投手と複数ポジションをこなし、やがて外野手に転向。3年になるとキャプテンも任された。
「内野は小、中で少しやってそれからはずっと外野でしたけど、子どもの頃は絶対に1つのポジションよりも複数のポジションを守らせた方がいいと思いますね。その方がその子の色んな可能性が広がるとは思います。個人的には外野よりも内野のほうが難しかったですね。経験上、内野手が外野手になるのは簡単なんですけど、その逆となると倍ぐらい時間がかかるように思いますね」(沢井史/写真:本人提供)

次回「元甲子園球児に聞いた『高校選びの基準とはじめての寮生活』」に続きます。

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