日本学術会議への"政治介入"は「令和の滝川事件」? 憲法が「学問の自由」を保障する理由

弁護士ドットコムニュース / 2020年10月3日 8時33分

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政府への政策提言をおこなうなど、「学者の国会」との異名を持つ国の特別機関「日本学術会議」が推薦した新会員候補者の一部について、菅義偉首相が任命しなかった問題で、SNSでは「令和の滝川事件」と指摘する声が上がっている。

滝川事件とは、1933年、京都帝国大学法学部の滝川(瀧川)幸辰(ゆきとき)教授がおこなった講演やその著書が自由主義的であるなどとして、当時の鳩山一郎文部大臣が滝川教授の休職を決定したことから始まった思想弾圧だ。

この国の決定に対して、学問の自由や大学の自治を侵害などとして、法学部は抗議、教官全員が辞表を提出し、学生やほかの大学、メディアを巻き込んだ政治事件となった。

明治憲法に「学問の自由」を保障する規定は存在せず、そうした中に起きた滝川事件は学問に対する政治介入の歴史として知られる。戦後は滝川事件などへの反省から、憲法23条で「学問の自由」が定められた。滝川事件とは一体、どのようなものだったのだろうか。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)

●明治憲法にはなかった「学問の自由」

現在の憲法23条は、「学問の自由は、これを保障する」と定めている。戦後日本を代表する憲法学者、芦部信喜の『憲法』(岩波書店/第7版)によると、明治憲法だけでなく、海外の憲法でも「学問の自由」を独自の条項で保障する例は多くないという。

なぜ、日本国憲法は「学問の自由」をわざわざ定めたのか。

明治憲法時代に起きた滝川事件や天皇機関説事件(1935年)への反省があったと『憲法』では指摘されている。天皇機関説事件とは、憲法学者の美濃部達吉の著書が発禁処分とされ、公職も追放されたもの。国家を法的に一つの法人とし、天皇はその最高機関として位置付ける天皇機関説は、政党政治に正当性を与える学説で、美濃部はその主な論者だった。

こうしたことから、現在の憲法23条は「学問の自由ないし学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである」という(『憲法』)。

なお、明治憲法の範となったプロイセン憲法において、学問の自由は保障されていた。『図解でわかる憲法』(伊藤真監修、高野泰衡著/日本実業出版社/2008年)によると、明治憲法下でも「明治初期から大正にかけて学問の自由と大学自治、とくに大学の人事に関して教授会の同意がなければ教授の任免を行なえないという慣習が確立」していったが、昭和に入り軍国主義が台頭してくると、これらが大きく侵害されていったという。

●影を落とす「司法官赤化」と「帝国大学教授赤化」

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