27歳は引退適齢期!? マルク・マルケスの骨折に端を発するMotoGP界の新説を追う!
バイクのニュース / 2020年7月26日 15時0分
MotoGP(WGP)に参戦し、多くの実績を残してきたレジェンドライダーたちは、27歳に転機を迎えています。複数回チャンピオンに輝いたライダーたちをピックアップし、27歳を振り返る。
■27歳は人生の転機なのか?
ロックスターが27歳で死亡するという話を多くの方が耳にしたことがあるのではないだろうか。ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン…。それぞれ理由は異なれど、いずれもその年齢で亡くなっている。1990年代に青春を過ごした読者の中には、1994年のカート・コバーンの死を思い浮かべる方も多いかもしれない。
モーターサイクルロードレースの世界でもここ数日、インターネットを中心に少しずつ囁かれている説がある。それは「27歳がGPライダーにとって転機になる」というものだが、果たして真偽のほどはどうなのだろうか? 2月に27歳になったマルク・マルケスが、スペインGPで右上腕骨を折ったことに端を発するこの説を検証するため、世界GPの最高峰クラスで複数回チャンピオンに輝いたライダーの中から何名かをピックアップし、それぞれの“27歳”を振り返ってみたい。
[バレンティーノ・ロッシの場合]
2006年Camel Yamaha Team バレンティーノ・ロッシ
500ccクラス最終年の2001年、MotoGPクラスとなってからもホンダで2002~2003年、ヤマハで2004~2005年と最高峰クラスを5年連続で制し、さらなる連覇を狙い、27歳で臨んだ2006年は、ロッシにとって苦しいシーズンとなった。
開幕戦のスペインGPでスタート直後にトニ・エリアスから追突されたのをはじめ、シーズン序盤から多くのトラブルに見舞われた。5勝を挙げ、第16戦のポルトガルGPでランキングトップに立ったが、次戦の最終戦バレンシアGPで転倒し、5ポイント差でタイトルを逃した(チャンピオンはニッキー・ヘイデン)。スペインでの接触についてロッシは「トニにヘレスの1コーナーでノックアウトされたことでポイントを失ってしまい、もしかしたら、そこでチャンピオンシップを失ったかもしれない」とその不運を振り返っている。
[ホルヘ・ロレンソの場合]
2014年第14戦アラゴンGPで初優勝したMovistar Yamaha MotoGP ホルヘ・ロレンソ
3度目の最高峰クラス王者を目指した2014年は、開幕戦のカタールGPで転倒を喫するなど、シーズンの序盤から調子に乗れず、中盤を迎える頃には、前年MotoGPクラスのルーキーながらチャンピオンを獲得したマルケスに100ポイント以上の差を付けられていた。第14戦アラゴンGPでようやくシーズン初勝利を挙げ、次戦の日本GPも連勝したが、結局、このシーズンは2勝に終わり、ランキング3位でタイトル奪還とはならなかった。
シーズンオフに行った手術の影響でコンディションが整わず、十分にテストできなかったことが序盤での不調の原因とも囁かれた。なお、翌2015年はロッシを5ポイントの差で抑え、見事チャンピオンに輝いている。
[ケーシー・ストーナーの場合]
2011年第14戦アラゴンGPで8勝目を挙げたRepsol Honda Teamケーシー・ストーナー(右)
2007年、ドゥカティに初めてのタイトルをもたらし、レプソル・ホンダ・チームに移籍した2011年に2回目となるチャンピオンを獲得したオージーは、2012年のフランスGPで引退を表明。10月に27歳を迎え、その年いっぱいでMotoGPでのレーシングライダーとしてのキャリアを終わらせた。同年にも5勝を挙げ、まだまだ王者を狙える競争力を備えていたが、市販車ベースのエンジンを搭載することが可能となったCRT(Claiming Rule Team:クレーミング・ルール・チーム)マシンの参戦によるコストダウンの方向性、2009年に消化器系の疾患である乳糖不耐症で3戦を欠場した際に非難を浴びたことなどから徐々にレースへの情熱を失い、引退に至った。
[ミック・ドゥーハンの場合]
1997年イギリスGPのミック・ドゥーハン
ホンダのファクトリー・チームに加わって3年目となるドゥーハンの1992年シーズンは、“ビッグバン”と呼ばれることになる不等間隔位相同爆エンジンを採用したNSR500を駆っての開幕4連勝から始まった。第7戦ドイツGPも優勝し、ランキングトップをひた走ったが、続く第8戦オランダGPの予選で転倒。右脚に一時は切断が検討されるほどの重傷を負った。4戦欠場後に復帰し、チャンピオンへの望みをつないだが、最終戦の南アフリカGPでヤマハのウェイン・レイニーに逆転され、悲願のタイトル獲得とはならなかった。アッセンでの怪我を機に左手の親指で操作するリアブレーキ・システムを使い始めるなど、この年は1994年からの5連覇に続く、大きな転機となった。
[フレディ・スペンサーの場合]
1985年RS250RW/フレディ・スペンサー
1988年の12月に27歳を迎える予定だったスペンサーは、その年のシーズン開幕前に1回目の引退を発表した。以前から傷めていた右手の怪我が原因だった。当時は腱鞘炎、または白蝋病と言われていたが、後年、転倒の際に脊椎を強打し、それが元で手首の神経が圧迫されていたことが分かっている。
1989年、希代の天才はヤマハに加入して再起を試みるが、第4戦スペインGPでの5位が最高位と、1983年に500ccで初タイトル、1985年には500ccと250ccの2クラスを制した全盛期の走りにはほど遠く、残り4戦を残してチームを去ることとなった。その後もAMAスーパーバイクや鈴鹿8耐に参戦し、1993年には世界GP500ccに再度挑むが、“ファスト・フレディ”がかつての輝きを取り戻すことはなかった。
[ケニー・ロバーツの場合]
1981年YZR500(0W54)/ケニー・ロバーツ
1973年、ロードサーキットとオーバルトラック、ダートトラックの総合で争われるAMAグランドナショナルチャンピオンシップを21歳の史上最年少で制し、翌1974年も連覇した“キング・ケニー”が本格的に世界GPへの参戦を開始するのは、その年の12月に27歳を迎える1978年から。ヤマハ・ファクトリーから画期的な可変式排気バルブシステム、YPVSを初めて装備したピストンバルブ・並列4気筒のYZR500を駆って4勝を挙げ、初めてのチャンピオンを獲得した。他にも2位で3回、3位で1回の表彰台に立ち、500cc初年度とは思えない安定した成績での戴冠だった。「YZRは軽量で扱いやすく、どのチームにも負ける気がしなかった」と述べ、1980年まで続く3連覇への序章となった。
※ ※ ※
引退を選んだ者、全盛期の礎を築いた者、その後のキャリアは様々だが、確かに転機を迎えたライダーが多いのは事実だろう。手術が成功し、復帰するマルケスが過ごす“27歳”のこれからが気になるところだ。
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