まさかの「駅チカ城跡」!? バイクで往く城跡巡り 東京都中野区の消えた町名「城山町」
バイクのニュース / 2021年5月30日 11時0分
東京でお城と言えば「江戸城」が有名ですが、東京23区だけでもおよそ100もあったと言われており、探せばあらゆるところに城跡が残っています。中野区にも「城山」と名付けられた気になる公園がありました。
■JR中野駅からも近い城跡、かつて「城山町」だった場所
東京でお城と言えば「江戸城」が有名ですが、東京23区だけでもおよそ100もあったと言われており、探せばあらゆるところに城跡が残っています。中野区にも「城山」と名付けられた気になる公園がありました。
とりあえず「城山公園」周辺へ向かうと、近くにある「谷戸(やと)運動公園」の南側の入り口に「城山」の説明板が建てられていました。それによると……
このあたりは、もと城山町とよばれ、谷戸運動公園裏に幅五・四米ほどの土塁が残っていました。
延宝三年(1675年)の村の記録には「中野村のうらに九百坪ほど土手を築き、から堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこは、もともと名手堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代だい卯右衛門が所持している。」とみえています。
堀江氏は、天正四年(1576年)戦国大名後北条氏領中野五郷を治める小代官をつとめ、次いで豊臣秀吉の指令もうけた中野の土豪でしたから、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であったことが考えられます。湧水のある中野川の谷戸(谷あいの地)をおさえ、野方丘陵の東南を占める城山は、平忠常の城砦あと、あるいは豊島氏と戦った太田道灌(おおたどうかん)の陣地「道灌とりで」あとなどともいわれています。
……と記載されていました。
都内の各地に残る太田道灌(1432年から1486年を生きた、江戸城を築城した戦国武将)の名前も出てきますが、果たして道灌の砦だったのか史実はわかりません。ただ、戦国時代を生きた中野の土豪、堀江卯右衛門の屋敷だったことは違いなく、時代背景からするに、そこは戦闘に備えた城だったのでしょう。
それにしても、から堀(水の入っていない、防御に優れた堀)の跡が残っているわけでもなく、ただそこにはキャッチボールをして遊ぶ家族の姿があるだけの公園です。しかし、すぐ近くには桃園川(ももぞのがわ)という、現在は暗渠(あんきょ)になっている大規模な歩道(桃園川緑道)があり、水源地としても優れていたこともわかります。
「谷戸運動公園」の南側、すぐ近くを通る「桃園川緑道」。元々は桃園川という、阿佐ヶ谷から高円寺、中野を経て神田川に流れる小川を暗渠にしたもの。戦国時代は堀の役割や重要な用水路だったのかもしれない
そして少し離れた場所に「城山公園」があります。中野統治者が管理していた城が、戦国時代にこの辺りにあったというのは史実なのでしょうか。そしてそれはどのような姿の城・屋敷だったのでしょうか。原型を留めていない地で、遠い過去を想像するのも一興かもしれません。
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