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バイクで往く城跡巡り 武田の牙城はいまだに侮りがたし!? 山梨県には多くの山城が存在していた

バイクのニュース / 2021年7月4日 13時0分

名称武田信玄で知られる武田氏は、甲斐源氏を祖とすると言われており、甲斐国(山梨県)を拠点に活動した一族です。この広大なエリアを納めた武田氏にまつわる城は数多く、現在でも城跡がたくさん残っています。バイクで訪れたところ、想像以上に手強いものでした。

■武田氏にまつわる城跡を訪ねて、山梨県甲府市をバイクで巡る

 名称武田信玄で知られる武田氏は、甲斐源氏を祖とすると言われており、甲斐国(山梨県)を拠点に活動した一族です。この広大なエリアを納めた武田氏にまつわる城は数多く、現在でも城跡がたくさん残っています。

 かつて、甲府を中心とした街づくりを進めたとされる信玄以降、領土を拡大していった武田氏。その広さは当時の勢力図を見ても明らか。「甲府城」や「新府城(しんぷじょう)」など代表的な城以外にも、家臣たちの拠点も各地に存在するため、現在残されている城跡の数も多いのが特徴です。

 しかし山城の城跡は、管理保存されているものもあれば、ほぼ手付かずの状態のところもあり、実際に行ってみないとわからないことも多々あります。そこで、小回りの利くバイクならば、普段は人があまり立ち寄らない山城近辺にもアクセスしやすいはず……だったのですが、これがなかなか苦戦しました。

韮崎市の山城の麓の多くには電気柵があり、入ることは出来ない。熊も出没する模様

 とくに悩まされたのが「熊」の存在です。韮崎市西部にある城跡を探しに行ったところ、熊出没の看板がやたらと多く、ネットで調べても「熊よけの鈴必須」などとあります。軽い気持ちで散策しない方が良さそうです。また、動物対策として高圧電流の電気柵もあり、何度か探索不可と判断し、退散しました。

 そんな状況で、バイクで辿り着くことができた城のひとつが「能見城(のうけんじょう)」です。砂利の敷かれた緩い山道をバイクで慎重に走ること数分。辿り着いた頂上には「守谷一族発祥の地」と記載された古い石碑がありました。昭和15年に建てられたであろう石碑の文面は難しく、あとで調べたところ、ここ山梨県韮崎市穴山町は武田一族の穴山氏の拠点であり、詰城だったようです。

「能見城」へ至る道。頂上までは緩い坂の林道。電動アシスト機能付きのMTBや原付でも走れるような道だが、下り坂となる戻りは要注意

 信玄の息子、武田勝頼が建設した「新府城」は、この「能見城」から北へ2kmほどの場所に位置します。当時は「新府城」の防衛拠点として機能していたことが想像できます。何年か前に発掘調査された際は、残念ながら遺構は見つからなかったようです。

 次に訪れたのが「白山城」跡の「ムク台」跡です。武田氏の初代当主、武田信義(たけだのぶよし)の要害で、「新府城」防衛の拠点として重要な役割を担っていたようです。南北2カ所に烽火(ほうか)台があり、南にあるのがこの「ムク台」です。烽火、いわゆる狼煙(のろし)で情報交換していたことがわかります。

武田氏の歴史小説を代表する井上靖の『風林火山』。険しい山岳地帯を舞台にした物語も、実際に山を目の前にすると当時の息吹を肌で感じることができる

 武田氏の軍法として知られる「飛脚篝火(ひきゃくかがりび)」は、山岳地帯が多い山梨県における通信設備として、有事の際に狼煙をあげる手法です。今回の城跡巡りでその名残を見ることができたのは、ひとつの醍醐味でした。

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