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バイクで往く城跡巡り 謎に満ちた「大野城」跡地周辺に当時の城郭を想像する

バイクのニュース / 2021年9月19日 11時0分

日本には無数の城があり、千葉県にも多数の城跡があります。大多喜城のように著名なものもあれば、すぐ近くにはマイナーなお城も。今回バイクで訪れた「大野城」は、史実が明確ではありません。しかしそれもまた、城跡巡りの醍醐味のひとつなのです。

■史実が明確ではない城跡、そんな場所で戦国の要塞を想像する

 千葉県いすみ市にある「大野城跡」をバイクで訪ねてみました。西北西へ4kmほど先には著名な「大多喜城」があり、この辺り一帯は多数の城が建っていたとされる地です。

 Googleマップを頼りに「大野城跡」とされる場所に到着してみると、そこには狩野派の始祖である「狩野正信生誕地」の石碑が建てられていました。室町幕府の絵師として名を馳せた狩野氏は、その後の勢力を拡大。日本絵画界、最大の絵師集団「狩野派」はここに生まれたとされています。

 また、「大野城跡地」という説明板があったので読んでみると、上総狩野氏の居城として伝来されていたとともに、発掘調査によって14世紀後半の陶磁器や鉄砲玉も出土されているとのこと。これにより、大野城は14世紀後半から16世紀後半まで使われていたと考えられているようです。

 戦国時代の城主も明らかにされていませんが、狩野氏ゆかりの「光福寺」というお寺が建っていたり、「堀ノ田」、「根小屋」といった城郭ならではの地名が残されており、この付近一帯が防御施設だったことがわかります。

「大野城跡地」の説明を読むと、歴史のほか「要害」という地名もあるらしい

 とは言っても素人にはその地形から堀や要害(敵を防ぐのに適した地勢)を想像するのは難しく、最も明確に形として残されていると言われる「八幡神社」に行ってみました。ここは説明板に記されていた「要害」という地名の北東の郭に当たる所です。神社の境内へ至る階段の下までバイクで行くことができます。

 他の地域にある城跡でも同じことが言えますが、城と神社仏閣は密接な関係であったことが伺え、城郭の跡地に神社が建っていることはよくあります。この「八幡神社」も、まさに小高い丘の上に建てられています。

 階段を上ると鳥居があり、その先は森林のような境内となっており、山城そのものの作りです。歩き進めるといきなり鋭角に曲がる箇所がありました。山城では敵の侵入の勢いを停滞させるため、故意に鋭角に曲がる道が見られますが、もしかしたらそのような意図があったのかもしれません。

説明板にある「要害」という地名のエリアには、丘の上に「八幡神社」が立っている。階段近くまでバイクで行けるので「大野城」を巡る地としてはアクセスしやすい

 また階段が現れ、上がった先には木造の神社がありました。ちなみに参道は「II郭」「III郭」と呼ばれるエリアの間を通っていて、切岸(きりぎし)と呼ばれる人工的な崖の防御などがあるようです。説明が無ければ見過ごしてしまいそうな堀や崖も、戦国時代の重要な防御システムだったのかもしれません。

「八幡神社」は木造で厳かな雰囲気を漂わせていた

「大多喜城」のような詳細な史実が残っていない城も、長い年月、その時代の城主らによって考え抜かれた要塞だったはず。誰がどのように機能させていたか、現時点では想像するしか手段がありませんが、その想像もまた、城跡巡りの面白い側面でもあるのです。

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