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バイクで往く城跡巡り 千葉県の勝浦城に残る「お万布ざらし」の伝説とは?

バイクのニュース / 2021年10月3日 11時0分

千葉県には多くの城跡があり、バイクでのんびり巡るには最適なロケーションです。今回は太平洋を望む絶壁の上という「勝浦城跡」を訪れました。そこにはある伝説が残っていたのです。

■晴れていれば抜群の眺望、伝説に思いを馳せながら散策

 徳川家康の関東支配が進行する中、城主正木頼忠(まさきよりただ)の娘、お万は、14歳の時に城を追われることになります。暗闇の中、岬の先端の松の木に白布を垂らし、それを伝わり絶壁から海上へ下りたという「お万布ざらし(おまんぬのざらし)」という伝説があります。そんな言い伝えが残る「勝浦城」の史跡を、スーパーカブで訪ねてみました。

 蒼く澄み渡る夏の太平洋と青空。そんな紺碧の世界を望む絶壁の上に神社の鳥居があります。勝浦城は、この「八幡神社」を含めた「八幡岬公園」一帯を指す海城です。バイクや車は公園入り口の駐車場に停めて、そこから徒歩で園内を巡ります。

 歩みを進めると、八幡神社と勝浦城跡の看板がありました。そこにはこんなことが書かれていました。

 ……勝浦城は、天文十一年(1541)の頃、勝浦正木氏の初代、正木時忠(まさきときただ)が入城。それ以前は、真里谷武田(まりやたけだ)氏の砦のようなものであったろうと言われています。その後、二代時通(ときみち)。三代頼忠(よりただ)の居城となります。しかし天正十八年(1590)、豊臣秀吉により安房里見(あわさとみ)氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れます。なお、頼忠の娘は、後に徳川家康の側室(お万の方)となり、紀州徳川頼宣(よりのぶ)と水戸徳川頼房(よりふさ)をもうけます。高名な水戸光圀(みつくに)(黄門)は、お万の方の孫にあたります。また、絶壁を布を伝わって下りたという「お万布ざらし」伝説は、神社裏の断崖絶壁が舞台です。……

 崖の上の鳥居を目指して上ります。短いながらも階段の周りは草木が多く、ここも山城特有の防御が敷かれていたかもしれません。上った先には神社があり、その向こうの絶壁が「お万布ざらし」の舞台とのこと。現在はあまりにも鬱蒼としていて立ち入ることはできません。

八幡岬は、勝浦湾の東側に突き出た半島。蒼く広がる太平洋の海原を眺望することができる

 神社を後にし、道を下ると開けた公園に至ります。ここは二郭に相当する曲輪跡だそうですが、その面影はなく綺麗に整備されていました。さらに岬の突端へ向かうと、そこはまさに岬の先端部で、太平洋の水平線が見渡せる抜群のビューポイントでした。お万の銅像も建っていました。

 勝浦から伊豆へ逃れたお万は、利発さと類まれな美貌でここでも伝説を残したと言われています。伝説は伝説であり、史実かどうかは分かりません。しかし「水戸黄門の祖母」として、激動の人生を乗り越えたその力強さは、勝浦の雄大な海に育まれたのかもしれない。そんな想いを抱いて、城を後にしました。

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