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バイクで往く城跡巡り 東京の住宅地に残された「今井城」とは

バイクのニュース / 2021年10月17日 11時0分

日本には城主が不明な城の遺構が多数存在します。東京都青梅市今井にある「今井城跡」は、住宅地の中にポツンと取り残されるように存在していました。

■住宅地に残された、城主不明の城跡

 東京都青梅市に残る「今井城跡」は、その名の通り今井氏が城主だったであろうと考えられています。今井氏は武蔵七頭の児玉党というグループに所属していた一族だと言われています。この辺り一体は「今井」が地名となっており、今井保育園、今井小学校、今井城学園なども存在しています。

 さて、そんな今井城を探索すべく、スーパーカブで訪れました。そこはどう見ても住宅地。正確には住宅地に囲まれた丘陵があり、そこが今井城の跡地のようです。幸いにも説明看板があったので、無事たどり着くことができましたが、山根通りという街道から眺めると、ただの小さな森です。これが、かつて今井氏が支配していた一帯のシンボルであることは、地元の方や歴史好きな方にしかわからないだろうと思います。

 看板には次のように書かれていました。

「今井氏代々の居館(きょかん)と伝えるこの今井城跡は、面積およそ八千五百平方メートルの、二郭からなる単純な連郭式(れんかくしき)の城跡である。東半分は西北両側に深い空堀(からぼり)と三方を土塁(どるい)に囲まれた曲輪(くるわ)であるが、西半分は土塁のない曲輪である。

 昭和四十二年に発掘調査を行った結果、正和(しょうわ)元年(1312)から大永(だいえい)二年(1522)にかけての板碑(いたび)や開元通宝(かいげんつうほう)等が発見された。また、遺構の保存状態も良好であることが判明し、小規模ながら中世城郭としてきわめて貴重な遺構であることが明らかとなった」

 ということで、青梅市の文化財として保存されています。見学者のために平面図の案内板までありました。築城自体はおそらく鎌倉時代から室町時代と古く、その後今井氏が改修したとも考えられているようです。

明確な空堀の跡が残る今井城は、四方を堀で囲み、敵の侵入を防ぐシステム。3つの曲輪を堀で囲んでいたことが散策してもわかった

 実際に中へ足を踏み入れてみると、なるほど、曲輪、土塁、空堀がわかりやすく残されています。曲輪というのは、いわゆる区域のこと。土塁や石垣などで区画されたスペースです。空堀は水のない堀で、敵の侵入を妨げる防御施設です。

 今井城は明確にふたつの曲輪が残されていて、外から見れば鬱蒼とした森です。城跡でなければわざわざ足を踏み入れたくない感じもしますが、空堀は見事に原型を残しており、次第にワクワク感が優ってきました。

 まず「曲輪2」から入り、空堀を超えて「曲輪1」へ。今井城跡のイメージ図を参照すると、この曲輪1に本館のような櫓が建てられていた可能性があります。

 険峻な山城ならともかく、標高160m程度の丘に築かれた城が、一体どのように防御されていたのか、そのようなことを考えながら探索するのも楽しいものです。

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