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さらに恐るべき、成長期から全盛期のホンダVツイン ~2輪系ライター中村トモヒコの、旧車好き目線で~ Vol.11

バイクのニュース / 2021年12月9日 11時0分

かつてホンダが世に送り出した4ストロークVツインエンジンは、AMAフラットトラック選手権でハーレー・ダビッドソンを打ち負かし、パリダカールラリーで4連覇を達成しました。ホンダがどれほどVツインに熱を注いできたのか、ライターの中村友彦さんが解説します。

■V型専業メーカーに転身か? と思えるほどの熱量

 1970年代後半にホンダが発売した「GL400」と「GL500」(仕向け地や年代によってはCX400とCX500)、そして1982年に世に送り出した「VT250F」で、Vツインのノウハウと美点つかんだホンダは、以後はさまざまな形でこのエンジンの可能性を追求することになりました。

 当時のホンダ製Vツインを代表するモデルとして、どんな車両を思い出すかは人それぞれですが、大成功を収めたという意味で印象深いのは、新分野に挑戦して王座を獲得した2種類のファクトリーマシン、「RS750D」と「NXR750」でしょう。

 ところで、当記事の主題からは話がちょっと逸れるのですが、1980年代のホンダはV型専業メーカーに転身か? と思えるほどに、V型に力を入れていました。その嚆矢となったのは、1979年から世界GP500ccクラスへの参戦を開始した、長円ピストンV型4気筒の「NR」で、以後の同社のロードレーサーは4ストロークも2ストロークもV型が主力になり、量産車でもVツインに続く形で、数多くのV型4気筒エンジン搭載車が登場します。

 もっとも、不思議なことに近年のホンダはV型のラインナップを徐々に縮小し、ここ最近はMotoGPレーサーを除くと、「ホンダ=V型」というイメージは抱きづらくなりました。

■アメリカでハーレー・ダビッドソンを打ち負かす

“世界中の全レースで王座を獲得する”。約10年の休止期間を経て、1970年代中盤から本格的なレース活動を再開したホンダには、そんな意気込みが感じられました。

「NV750」のキャブレターとエキゾーストシステムの配置は、ライバルの「XR750」とよく似ていた。とはいえ、この構成はハーレー・ダビッドソンの模倣ではなく、フラットトラックにおける理想の吸気・排気管長を徹底的に検討した結果

 ただし最重要レースとなる世界GP500ccクラスの制覇には、かなりの年月がかかったのですが、1976年にはヨーロッパ耐久選手権、1979年には世界モトクロス選手権500ccクラス、1982年には世界トライアル選手権で、初タイトルを獲得しています。そんな同社が次なるジャンルとして選択したのが、昔からアメリカで絶大な人気を誇る伝統のレース、AMAフラットトラック選手権でした。

 1980年からAMAフラットトラック選手権に参戦するにあたって、当初のホンダは「GL500」用の80度Vツインを反時計方向に90度回転させて搭載する、という豪快な手法を選択しました。とはいえ、現地法人が主導となって生まれたそのマシンでは、強敵のハーレー・ダビッドソン「XR750」にまったく歯が立たなかったため、1982年からはフラットトラックに特化したファクトリーレーサーとして、日本のHRC(ホンダ・レーシング)が「RS750D」の開発に着手します。

ホンダ初のフラットトラックレーサーは、GL用縦置き80度Vツインを反時計回りに90度回転させて搭載。1981年型の正式な車名は「NS750」だが、現地では「サイドワインダー」と呼ばれていた

 吸排気系のレイアウトこそ「XR750」に似ていましたが、「RS750D」は非常にオリジナリティに富んだマシンでした。中でも最も興味深いのは、GLで培った技術を発展させる形で、クランク/カム軸に対して約30度ひねった4バルブヘッドとピストンですが、眉型のバルブリフターガイドやコンロッドを取り付けるピンを90度位相とした一体鍛造クランク、車体に採用されたプロリンク式リアショックなども、ホンダならではの創意工夫が感じられる機構でしょう。

 デビューイヤーの1983年は真価を発揮し切れなかった「RS750D」ですが、熟成が進んだ1984年になるとシリーズチャンピオンを獲得し、1985年から1987年にも王座を維持します。創設当初からハーレー・ダビッドソンのためのレースと呼ばれているAMAフラットトラック選手権には、1970年代以前から世界中の数多くのメーカーが挑んで来ましたが、アメリカンVツインを4年連続で王座から退けたのは、ホンダが初めてでした。

■パリダカールラリーで4連覇を達成

 AMAフラットトラック選手権を制したホンダが、次に挑戦したジャンルは、ヨーロッパで絶大な人気を誇っていたパリダカールラリーです。

ファクトリー態勢で参戦した1986年から1989年に、パリダカールラリー4連覇を達成した「NXR750」。扱いやすさと耐久性を重視したVツインの最高出力は、1986年型が69.3ps、1987年型から1989年型が75psだった

 もっともホンダは1982年に、フランスの現地法人に供給した単気筒の「XR500R」でこのレースを制していたのですが、以後のパリダカールラリーの主役は、フラットツインのBMW、ドゥカティLツインを搭載するカジバ、熟成が進んだ単気筒のヤマハとなり、ホンダの存在感は徐々に薄れていきました。

 そんな状況下でHRCが開発し、1986年から1989年のパリダカールラリーで4連覇を達成したのが、ファクトリーレーサーの「NXR750」だったのです。そしてこのマシンが初年度から圧倒的な強さを発揮できた背景には、「RS750D」で培ったオフロード系のノウハウがあったと言われています。

 もちろん、「NXR750」と「RS750D」の外観は完全な別物で、シャシーは各車専用設計でした。Vツインエンジンに関しても、冷却方式と吸排気系が異なるので(RS750Dが空冷・後方吸気/前方排気だったのに対して、NXR750は水冷・中央吸気/前後排気)、パッと見では共通点は感じづらいでしょう。とはいえ、動弁系がOHC4バルブ、シリンダー挟み角が45度、クランクピンの位相角が90度であることは両車に共通で、振動やトラクションに多大な影響を及ぼすフライホイールの形状にも、「RS750D」と「NXR750」には共通点があったのです。

■主力になれなかったNV750系

 説明が遅くなりましたが、1980年代のホンダVツインは次の4種類に大別できます。

(1)GL系:シリンダー挟み角80度/クランクピンの位相はゼロ
(2)VT250F系:90度/ゼロ
(3)NV400系:52度/76度
(4)NV750系:45度/90度

 全面的な変更を受けたとはいえ、「RS750D」と「NXR750」の開発ベースは(4)でした。

名車として取り上げられることは滅多にないけれど、1983年に登場した「NV750」は、以後のホンダVツインレーサーの原点と言うべきモデル。最高出力は66psだった

 となれば、以後のミドル以上のホンダ製Vツインは、レースの技術が転用できる(4)が主力になりそうなものですが、実際に多くの車両が採用したのは(3)で、「NXR750」レプリカとして1988年から発売が始まった「XRV650アフリカツイン」、「XRV750アフリカツイン」も、NV400系の発展型となるVツインを搭載していました。

 なお、当連載コラムの第4回目では、270度位相クランクのパラレルツインに関して「ヤマハ独自の技術……」のような表現をしましたが、NV系Vツインで位相クランクの美点を把握したホンダは、1985年に270度位相クランク+パラレルツインの特許を出願しています。ただし当時の技術では、その方式でNV系Vツインを上回るメリットは得られなかったようです。

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