「小牧・長久手の戦い」家康勝利の裏に命を賭して闘った16歳の武将がいた 家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅
バイクのニュース / 2023年8月12日 13時40分
1584年の「小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い」は、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康による、最初にして最後の直接対決です。歴史に名を残す大戦では最終的には講和が成立し、家康はのちに秀吉の臣下に収まりますが、家康が戦いを有利に進めたのは「岩崎城」での攻防にあったようです。スーパーカブで「岩崎城址公園」を訪れました。
■歴史に名を残す大戦、「小牧・長久手の戦い」
1582年の「本能寺の変」で織田信長亡きあと台頭した羽柴秀吉と、信長の次男、織田信雄(のぶかつ)の関係が悪化。その信雄が家康と同盟を結んだことで秀吉の逆鱗に触れ、両者は戦闘状態に没入しました。愛知県の「小牧山城」を占拠し、土塁などを大改築した家康軍に対して、秀吉も陣を張り両軍はこう着状態になります。
現在の「岩崎城」。兵の慰霊祭は現在でも受け継がれ、史跡の保護の動きが高まり、1987年に展望塔としての模擬天守が築城された
戦が動いたのは1584年4月。NHK大河ドラマ『どうする家康』で徳重聡さんが演じる、織田家重臣の池田恒興(いけだつねおき)が、秀吉に対して、家康の本拠地である三河(岡崎)を攻め入ることを提案します。
この作戦は過去に織田信長ただ1人しか成功させていないため、秀吉は乗り気ではなかったと言われていますが、最終的には「途中に何があっても寄り道せずに三河を急襲すること」を条件に、作戦を許したそうです。
2万人もの軍勢を率いた池田勢は、岡崎への道を急ぐため「岩崎城」(愛知県日進市)を素通りしようとします。しかし城主の丹羽勘助氏次(にわかんすけうじつぐ)の弟、氏重(うじしげ)らが鉄砲を撃ち浴びせたため、池田勢がこれに応戦。
じつはこの池田軍の岡崎侵攻隊の動きは家康に察知されており、兄の氏次は池田に対する追撃隊として動いていました。「岩崎城」の留守を任されていたのが氏重だったのです。
若干16歳の氏重の決死の行動です。人数の面でも明らかに不利だったはずですが、早朝に岡崎方面に急ぐ池田隊に気づき、これをなんとしてでも食い止める覚悟をしたのでしょう。
愛知県日進市にある「岩崎城址公園」に到着。駐車場にバイクを停めて公園内を散策した
「岩崎城址公園」にスーパーカブで訪れ、現地に設置された解説板を読むと、氏重は病気のため健康体ではなかったようです。母親に励まされながら老人や幼い者、婦女などを城外の「妙仙寺」に避難させ、自身は白馬にまたがり、長槍で打って出たそうです。
家来や里人、商工業者が弓や鉄砲を乱発したことに信雄が激怒。1万人もの軍勢に対してわずか300人ほどの氏重らは次々と倒れ、全滅したのです。
この落城の時間は午前8時から9時頃だったと伝えられています。偶然にも同じ時間帯にこの解説板の前に立ち、1人で読んでいると、心がざわざわと動きました。16歳にして仲間や家族とともに散ったこの氏重の勇気ある行動は、一時的にも池田隊の動きを食い止めることに繋がり、戦況を変えたのです。
駐車場から歩くとすぐに城特有の湾曲した道に出た。現在は庭園とされている「二の丸」に出ることができる
幾度もピンチをくぐり抜けてきた家康にとっても、「岩崎城」の戦闘は結果として意味のあるものになり、のちに丹羽兄弟に対して深く感謝したと言います。世の中に大きな影響を及ぼす「短く太い人生」というものが、この世には本当にあるのだと、改めて感じました。
「岩崎城」を落城させた恒興ですが、後方の総大将、三好信吉(のちの豊臣秀次)が家康軍に大敗させられたことを知り、急遽長久手まで引き返すことになります。そこで徳川勢に敗北を喫し、長男の元助(もとすけ)と共に死去したのでした。
底がV字型の「薬研堀(やげんぼり)」から、凹状の「箱堀(はこぼり)」へ改修された空堀が残る。幅は最大16m、深さ5m。これほど大規模なものは、尾張地方では珍しいそうだ
「岩崎城」を素通りして岡崎に直行できなかったこと、秀次の敗退に動揺して長久手まで引き返し、討ち取られたこと。いずれも秀吉との約束を破り行動したことによる結果でした。
秀次は若干17歳、秀吉の甥でした。秀次に自らの馬を差し出して討死したという木下兄弟の石碑をこの後訪れることにして、「岩崎城址公園」を後にしました。
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