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国宝「松本城」を見下ろす松本市で最初の公園 江戸時代に庶民へ開放された「犬甘城」をスーパーカブで訪れた

バイクのニュース / 2023年9月10日 12時0分

機動力に優れるスーパーカブで往く城跡巡り。松本市最初の公園でもある「犬甘城山(いぬかいじょうやま)」を訪れました。城でありながら、江戸時代には早くも庶民の憩いの場として開放された場所です。

■国宝「松本城」を見下ろす絶景スポット

 機動力に優れるスーパーカブで往く城跡巡り。長野県松本市で最初の公園でもある「犬甘城山(いぬかいじょうやま)」を訪れました。現在は「城山公園」として整備されている「犬甘城」の城跡で、現地に設置された解説板には、ここが松本市で最初の公園であることが記されています。

「城山公園」として整備されている「犬甘城跡」へ。小笠原氏の「犬甘城」は武田に落とされた経緯もあるという。江戸時代以降は庶民の憩いの場として開放され、各曲輪も歩道が整備されている「城山公園」として整備されている「犬甘城跡」へ。小笠原氏の「犬甘城」は武田に落とされた経緯もあるという。江戸時代以降は庶民の憩いの場として開放され、各曲輪も歩道が整備されている

 城自体の歴史は定かではないようで、信濃国守護職の小笠原氏に重用されていた犬甘(いぬかい)氏が築いたという説があるようです。また南北朝時代から存在していたようですが、現在も空堀の跡が残っていることから、防御を固めた山城として機能していたことが分かります。

 また、武田軍との争いの中で小笠原氏が敗れ、「松本城」(当時は深志城・ふかしじょう)などと共に落とされていました。武田四天王の1人、馬場信春(ばばのぶはる/のぶふさ)の計略で乗っ取られたという説もあるようです。

深く掘られた場所は「堀」のようなものだろうか。「犬甘城山」はのどかな丘陵に見えるが、それぞれが曲輪として成立している山城深く掘られた場所は「堀」のようなものだろうか。「犬甘城山」はのどかな丘陵に見えるが、それぞれが曲輪として成立している山城

 小笠原氏の伝記には、夜回り警備をしていた馬場に近づいてきた犬甘なにがしが、敵である馬場を味方だと間違え、それに乗じた馬場が相手を安心させ、隙をついて犬甘氏を追い出し、まんまと城を手に入れた……とあるのです。

 これが真実かどうかは分かりませんが、実際の出来事だとしたら、ちょっと笑ってしまうような事件です。

「松本城(深志城)」は「本能寺の変」以降、再び小笠原氏が取り戻していますが、この「犬甘城」はどうだったのでしょうか。

五の曲輪には城山稲荷神社が祀られている。解説板には各文学碑の説明や位置も記載されていた五の曲輪には城山稲荷神社が祀られている。解説板には各文学碑の説明や位置も記載されていた

 面白いのは江戸時代以降の話で、当時は松本藩の管理下にあった「犬甘城」が、1843年に城主の戸田光庸(とだみつつら/みつつね)により領民へ開放されたそうです。それが庶民の憩いの場として定着し、明治8年(1875年)に松本市で最初の公園となっています。

 古墳群もあったというこの地は、一から六の曲輪(くるわ)が連なっており、散歩することができます。空堀のようなえぐれた跡もあり、山城らしさも残されていました。

六の曲輪にある展望台からは、国宝「松本城」も見下ろすことができる六の曲輪にある展望台からは、国宝「松本城」も見下ろすことができる

 六の曲輪にある展望台に登ってみると、眼下には国宝「松本城」を眺めることができ、眺望は抜群でした。アルプスの山々や松本の城下町が目の前に広がります。風光明媚な土地柄か、多くの歌人ゆかりの地でもあり、各所に歌碑が配置されていました。

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