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一夜城の伝説「穴太衆」による石垣が与えた衝撃とは 家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅

バイクのニュース / 2023年10月6日 12時0分

1590年に勃発した豊臣秀吉による「小田原攻め」では、攻撃対象である「小田原城」から直線距離にして3kmの石垣山に「一夜にしてできた」という伝説の「石垣山一夜城」があります。その史跡をスーパーカブで訪れたところ、戦国時代に活躍した技巧集団「穴太衆(あのうしゅう)」による見事な石垣が残されていました。

■関東には無かった総石垣の城、築城には「穴太衆」の技が!?

 1590年に勃発した豊臣秀吉による「小田原攻め」では、徳川家康を先鋒として各国の名だたる勇将による「小田原城」包囲により支城が次々と落とされ、北条氏は籠城の末ついに城を明け渡し、滅亡します。

多くの観光客が訪れる「石垣山一夜城」(石垣山城)。駐車場の目の前から、壮大な「野面積み」の石垣が存在感を放っていた多くの観光客が訪れる「石垣山一夜城」(石垣山城)。駐車場の目の前から、壮大な「野面積み」の石垣が存在感を放っていた

 余談ですが、「小田原攻め」「小田原合戦」の史跡を巡っていると、唯一落城しなかった支城「忍城」(埼玉県行田市)のことを思い出さずにはいられませんでした。豊臣家家臣、石田三成の水攻めに耐えたこの城は、小説や映画『のぼうの城』の題材となり、2012年に大ヒットしました。

 話を戻します。北条氏は「小田原城」を中心に「総構(そうがまえ)」と呼ばれる堅固な防御施設を造り、城下町全体を堀や土塁などで防御していました。そんな北条を驚かせ、恐怖を煽ったと伝えられているのが「石垣山一夜城」です。「小田原城」から直線距離にして3kmの山の上に、秀吉は総石垣の城を築かせたのです。

「山頂の城周辺の木を伐採して、天守まである総石垣作りの城を見せつけ、一夜にしてできた城に見せた」、「櫓の骨組みに白紙を貼って白壁に見せた」などの伝説が残されていますが、実際には82日間で造り上げたそうです。それでも驚異的な早さです。秀吉は近江(滋賀県)から「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる石工の技能集団を集め、壮大な石垣を作らせたのです。

あらかた崩れてしまってはいるが、大小様々な不揃いの石が積まれていた様子が想像できるあらかた崩れてしまってはいるが、大小様々な不揃いの石が積まれていた様子が想像できる

「穴太衆」と言えば、「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれる加工成形をしていない自然石を巧みに積み上げる手法で堅牢な石垣を作る集団として知られ、武将たちに重用されていました。織田信長の採用によって全国に広まったと言われており、秀吉もまた、大勝負の「小田原攻め」でその力を使ったのです。

 石の形は不揃いですが、堅固な石垣は近くで見ても異様な迫力を感じます。「小田原城」へ向けて見せつけた「石垣山一夜城」の存在感たるや、凄まじいものだったのではないかと思います。

 本丸から「小田原城」を眼下に眺めると、わずか3kmとはいえ思ったよりも小さく見えて遠い印象があるのですが、逆に「小田原城」の天守閣展望台から石垣山を眺めると、いやでも目につくほどの近さに感じるのです。そこに秀吉の城が突如現れたのですから、恐怖と絶望でしかなかったであろうと想像しました。

「小田原城」の天守閣展望台から「石垣山一夜城」を眺めると、想像以上に山の存在感があり、そこに本格的な総石垣の城が突如現れたと思うと、北条側の恐怖心と焦りを感じずにはいられなかった(これはビビる!)「小田原城」の天守閣展望台から「石垣山一夜城」を眺めると、想像以上に山の存在感があり、そこに本格的な総石垣の城が突如現れたと思うと、北条側の恐怖心と焦りを感じずにはいられなかった(これはビビる!)

「石垣山一夜城」を散策します。四方を石垣で囲み、いまでも湧き水が流れているという「井戸曲輪」は、残念ながら周囲が工事中で見学できませんでしたが、二の丸から本丸の方へ歩いて行くと、その門の跡がありました。いまでは石が崩れてしまっていますが、当時は立派な城門だったのかもしれないと想像しながら本丸へ向かいます。

 現地に設置された解説板のイラストによると、天守は西側の端に建っていたそうです。つまり「小田原城」からはやや離れた場所です。NHKの歴史番組で解説されていましたが、「小田原城」に天守の姿を見せるだけでなく、秀吉の味方である武将たちに権威を見せつける必要があったとのこと。味方とはいえ、勇猛なスーパー武将たちの集合体であり、秀吉は20万もの大軍に自分の力を見せつける必要があったということです。

本丸から小田原の街を見下ろす。この景色を見ながら秀吉と家康が「関東の連れ小便」をしたと言われるが、果たして真実や如何に?本丸から小田原の街を見下ろす。この景色を見ながら秀吉と家康が「関東の連れ小便」をしたと言われるが、果たして真実や如何に?

 ちなみに、秀吉はこの「石垣山一夜城」に100日間滞在したと伝えられています。妻の淀殿(よどどの)や千利休も呼んで茶会も催したのだとか。

 秀吉と家康が石垣山から「小田原城」を見下ろし、連れ小便をして、秀吉が家康に「小田原が落ちたら関東八州をあげよう」と言ったことは「関東の連れ小便」の逸話として知られています。

 史実かどうかはさておき、絶大なる力を得た秀吉は、関東最強の北条氏のエリアでも、自信に満ち溢れていたようにも思えました。

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