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「万木城」の支城のひとつ「国府台城」で見つけたわずかな遺構に興奮!? バイクで往く城跡巡り

バイクのニュース / 2023年10月15日 12時0分

以前訪れた千葉県いすみ市に残る「万木城(まんぎじょう)」は、土岐氏が築いた房総を代表する山城のひとつです。その支城のひとつとされる「国府台(こうのだい)城」の跡をスーパーカブで訪れました。規模は小さいものの、人工的に削られた空堀らしきものを見つけました。

■小規模ながらも、山城らしさを感じることができる

 スーパーカブで、千葉県いすみ市の「国府台(こうのだい)城跡」を訪れました。国道465号を挟んだ斜め向かいにはコンビニがあり、とくに大きな山も無く「こんなところに山城があるのだろうか?」と疑問に思いましたが、近くを流れる夷隅川(いすみがわ)を見て、これがまさに要害の証だろうと思いました。全国各地の山城を巡っていると、大概の場合、急峻な崖や大きな河川などが近くにあり、それが天然の要害となって機能しているわけです。

国道465号から「国府台城跡」(いすみ市)に建てられた「五柱神社」へ至る道。境内への入口は緩やかだが、西側崖下には夷隅川が流れており、やはり要害の地だったことが想像できる国道465号から「国府台城跡」(いすみ市)に建てられた「五柱神社」へ至る道。境内への入口は緩やかだが、西側崖下には夷隅川が流れており、やはり要害の地だったことが想像できる

「国府台城」は規模が小さいながらも、いすみ市の指定史跡として保存され、現地には解説板も設置してありました。それによると「萬喜五支城」のひとつとのこと。この「萬喜城」とは以前訪れた、いすみ市の「万木城(まんぎじょう)」のことで、ここはその支城のひとつだそうです。

 伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)という古代日本の官職の子孫が三階(みはし)氏と称するようになり、国府台に居を構えたことが城の成り立ちのようで、永禄年間(1558~1570年)に「国府台城」と呼ばれるようになりました。

鳥居の手前の右手を見ると、人工的にえぐれた空堀らしき跡を発見鳥居の手前の右手を見ると、人工的にえぐれた空堀らしき跡を発見

 三階義政という人物が万木城主の土岐為頼(ときためより)の娘の弘子を娶り、土岐氏に仕えるようになると、その長男の義堅(よしかた)が義政の後を継ぎ、国府台城主となったそうです。

 しかし1590年の豊臣秀吉による「小田原攻め」で土岐氏は北条氏と運命を共にし、「万木城」は落城。その際に義堅も「国府台城」に火を放ち、家人と共に落ちのびたとのことです。

道の奥に道祖神社、右手に鳥居、対して左側は平地だが、これも城跡だと思って眺めると曲輪ように見えてくる。奥は夷隅川が流れ、急峻な要害となっている道の奥に道祖神社、右手に鳥居、対して左側は平地だが、これも城跡だと思って眺めると曲輪ように見えてくる。奥は夷隅川が流れ、急峻な要害となっている

 現在、城跡には「五柱(いつはしら)神社」が建ち、参拝をしてから城跡を歩いてみました。

 神社の周りではほとんど遺構らしきものは見つかりませんでしたが、帰り際に入口近くの崖を覗いてみると、堀のようなえぐれた場所を発見。小規模ではありますが、山城らしい遺構を見ることができました。

昭和34年製の鳥居の先には拝殿、水神宮、稲荷が祀られている昭和34年製の鳥居の先には拝殿、水神宮、稲荷が祀られている

 じつは、千葉県市川市にも同名の「国府台城跡」があります。広い公園として整備され、堀や土塁、櫓の跡もあり、そちらに比べたら小さな山城ですが、人が訪れることの少ない場所で発見した堀らしき跡は、じつにワクワクドキドキさせてくれたのです。

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