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散策ムリ!! 「発坂峠」は土岐氏と里見氏が対峙した古戦場 バイクで往く城跡巡り

バイクのニュース / 2023年10月22日 12時0分

千葉県いすみ市周辺の山城を散策していると、「万木城」の城主、土岐氏と安房(千葉県南部)の里見氏の攻防の話をよく目にします。両者が激突し、多数の死者を出した「発坂(ほっさか)峠古戦場」をスーパーカブで訪れました。

■多くの死者を出した古戦場、現在もただならぬ雰囲気が漂う……

 スーパーカブで千葉県いすみ市の国道465号を走り、脇道に逸れて「発坂(ほっさか)峠古戦場」を訪れました。道の先は閉鎖された旧佐室トンネル(佐室はこの辺りの地名)で行き止まりですが、道路脇に突然「発坂峠(ほっさかとうげ)」の史跡案内板が現れます。

千葉県いすみ市の国道465号から脇道に逸れると「発坂峠」の山道が見える。古くから交通の要所だったそうだが、現在は国道の脇に潜んでおり、知らなければ通り過ぎてしまうだろう千葉県いすみ市の国道465号から脇道に逸れると「発坂峠」の山道が見える。古くから交通の要所だったそうだが、現在は国道の脇に潜んでおり、知らなければ通り過ぎてしまうだろう

 閉鎖されたトンネルの迫力によるものか、古い鳥居とその先に続く苔むした山道が視界に入るせいか、ただならぬ雰囲気が漂っています。

 TV番組で心霊スポットとして紹介されたこともあるようですが、今回は純粋に、この周辺の山城群を巡る道中で、「万木城(まんぎじょう)」の土岐氏と安房の里見氏の戦場として気になり、訪れた次第です。

 解説板の書き方が独特で少々分かりづらいのですが、後日ネットでも調べてみると、おおよそ以下のような話だそうです。

解説板の説明や掲げられた熟語など、表現が独特解説板の説明や掲げられた熟語など、表現が独特

 1589年、土岐氏が里見氏の「長南城(ちょうなんじょう・茂原ツインサーキットの北西に位置する)」を攻めたことに対して里見義頼(よしより)が激怒。里見氏による「万木城」攻めが始まり、万木城主の土岐頼春(ときよりはる)が里見氏と一戦を交えるべく出陣。6月6日、挟み撃ちを仕掛けた里見氏の動きを知った土岐氏は、そこを素早く引き払い、発坂峠で里見軍を待ち構えました。

 そうとは知らない里見氏は「万木城」を目指して進軍します。「発坂峠」に差し掛かった時に土岐軍を発見。7日の朝に両軍が激突し、土岐軍の圧勝に終わりました。里見勢の死者は190人にも及んだと言われています。

封鎖されているトンネルの上には、沿岸防衛師団によるトーチカが設けられていたと伝わる封鎖されているトンネルの上には、沿岸防衛師団によるトーチカが設けられていたと伝わる

 時代は変わり、この古戦場は第2次世界大戦の爪跡も残しています。トンネルの上には沿岸防衛師団によるトーチカ(陣地)が敷かれましたが、この連隊がかつて北海道で任務していたため、「道産子」馬が連れてこられたとのこと。ぬかるみの地帯で働かされた馬は死んでいったと言い、ここに戦争の悲惨さが語られていました。

「発坂峠」の入口から少し歩いてみたものの、苔むした石で道は荒れ、倒木もあるので素直に引き返した「発坂峠」の入口から少し歩いてみたものの、苔むした石で道は荒れ、倒木もあるので素直に引き返した

 時代は違えど、人の争いによる悲劇を伝える「発坂峠」の鳥居をくぐってしばし歩いてみました……が、苔で滑りやすく足元が不安定な上に倒木が立ちはだかっていたので断念。

 峠を踏破したという人の山行ブログを読んでみると、藪漕ぎや崖もあり、やはり難易度は高そうです。気にはなりますが、今回は登山装備ではないので素直に諦めました。

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