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世界を席巻した高回転型多気筒エンジンの原点! 1959年型ホンダ「RC160」の4気筒DOHCとは

バイクのニュース / 2023年10月23日 19時40分

日本のバイクメーカーが技術を競い合う1959年の「浅間火山レース」で、ホンダは2ストロークエンジン優勢の250ccクラスに空冷4ストローク並列4気筒DOHCエンジンのレーシングマシンを送り込みました。“アサマフォア”と呼ばれた「RC160」の活躍とは……。

■「浅間火山レース」に登場したホンダ初の250ccレーシングマシン

 日本のバイクレースの歴史は意外と古く、明治時代から競技として行なわれた記録があります。ホンダの創業者、本田宗一郎も本田技研創業前に4輪車修理工場や部品製造のかたわら、レースに参加しています。

1959年に「浅間火山レース」の250ccクラスで上位を独占した、ホンダ初の4気筒DOHCエンジンを搭載するレーシングマシン「RC160」1959年に「浅間火山レース」の250ccクラスで上位を独占した、ホンダ初の4気筒DOHCエンジンを搭載するレーシングマシン「RC160」

 1954年に、本田宗一郎は世界GPである「マン島TTレース」への参戦を宣言します。この時期はホンダのみならず、国産バイクメーカー各社も「レースはバイク性能向上の場として有効」、なにより「レースに出場し勝つことが広告宣伝以上に販売に効果がある」として積極的にレースへ参加しています。

 そんな機運の盛り上がりもあり、1955年11月に群馬県北軽井沢で国内最大規模のバイク競技となる、「第1回 浅間高原レース(正式名称:全日本オートバイ耐久ロードレース)」が行なわれました。

 当時のバイクは働くための実用車で、各メーカーはそれを改造してレース用車両に仕立てていました。ホンダも第1回、第2回の浅間には、125ccクラスに「ベンリイJC」、250cc/350cc/500ccクラスには「ドリームSA」などをベースにチューンナップして出場。その際に様々な新機構やアイディアを盛り込み、耐久性などを試し、良いものをフィードバックすることにより、次に開発される市販車のレベルが向上しました。

実用車ベースのレース用車両ではなく、エンジンから車体までレース専用に開発実用車ベースのレース用車両ではなく、エンジンから車体までレース専用に開発

 一方、ホンダのマン島TTレース参戦宣言文には、「250ccのレーシングマシンで」と書かれていました。しかしホンダにとってレーシングエンジンの設計・製作は初めてのこと、まさに手探り状態で進められました。宣言から5年が経過し、マン島TTレース出場に間に合ったのは、125ccクラスの「RC142」だけでした。

 ホンダのマン島TTレース初参戦が1959年6月で、その2カ月後の8月に「第3回 浅間火山レース(浅間高原から名称変更)」が行なわれました。ホンダはこのレースにマン島帰りの「RC142」と、ここで初登場となる250ccクラスの「RC160」を投入したのです。

排気量250ccの空冷4ストローク並列4気筒DOHCエンジンを搭載。DOHCのカムシャフトはベベルギアで駆動。ベベルタワーは「RC142」の左側に対して、「RC160」では右側に配置排気量250ccの空冷4ストローク並列4気筒DOHCエンジンを搭載。DOHCのカムシャフトはベベルギアで駆動。ベベルタワーは「RC142」の左側に対して、「RC160」では右側に配置

 世界GPの250ccクラス参戦を視野に入れたレーシングマシン「RC160」のエンジンは、空冷4ストローク並列4気筒DOHCです。このエンジンは「RC142」の並列2気筒を2つ連結したような作りで、シリンダーも直立していました。浅間に集まったレースファンは国産の4気筒マシンの登場に興奮し、注目を集めました。

 250ccクラスのレースが始まり、「RC160」が出走します。4気筒DOHCエンジンを14000回転まで上げると、「アサマフォア」と呼ばれた排気音が浅間高原に響き渡ります。

 レースは途中まで他社の2ストロークマシンも健闘していましたが、島崎貞夫選手の力走によって「RC160」が先頭でゴールします。終わってみれば1位から3位までを「RC160」が独占する圧勝。心配してレースを観戦していた本田宗一郎も、最後は笑顔でした。

テストの際の当時の写真にはクリップオンハンドルが装着されていたが、浅間の未舗装路コースではアップハンドルを装着テストの際の当時の写真にはクリップオンハンドルが装着されていたが、浅間の未舗装路コースではアップハンドルを装着

 しかしレーシングマシンの進化は速く、翌年の世界GP用にヨーロッパへ送られたのは、前傾シリンダーの新型エンジンを搭載した「RC161」でした。ホンダ初の250ccレーシングマシン「RC160」は、浅間でのレースだけがファンの記憶に残ることになったのです。

 浅間高原の牧場に作られた未舗装路のコースで行なわれていた浅間火山レースは、この1959年の第3回が最後となり、1962年に鈴鹿サーキットが竣工するとレースはサーキットへと移り、日本車による世界GP制覇の時代が始まります。

■ホンダ「RC160」(1959年型)主要諸元
エンジン種類:空冷4ストローク並列4気筒DOHC4バルブ ベベルギア駆動
総排気量:249.37cc
最高出力:35PS以上/14000rpm
最高速度:220km/h以上
変速機:5段変速
全長×全幅×全高:1690×580×985mm
車両重量:124kg
フレーム型式:ダイヤモンド式

【取材協力】
ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)

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