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ホンダ初のエンジンは自転車に搭載!? やがて世界へ飛び出す日本メーカーのはじまり

バイクのニュース / 2024年1月1日 19時40分

1946年夏、戦争の空襲などで工場を消失した本田宗一郎は、旧陸軍が放出した無線機発電用エンジンに出会います。「これを自転車に載せたら、どれだけの人達が楽になるか」……「本田技術研究所」の看板を掲げ、自転車用補助エンジンを製作して500基を販売。そして自社製エンジンの開発に挑みます。

■本田宗一郎とホンダの始まり。最初の1台は、奥さんがテストライダー?

 何事にも始まりがあり、今や世界トップクラスのバイクメーカーであるホンダにも、最初の1台がありました。ホンダにとっては最初の1台ですが、創業者である本田宗一郎は起業する以前に、すでにエンジニアとしての人生経験がありました。

1947年に作られたホンダ初の自社製エンジン(プロトタイプ)、凸型ピストンを採用する通称「エントツエンジン」は自転車用補助エンジンとして開発され、エンジン下部から混合気を吸入するロータリーバブル式を採用。市販化はされず、湯たんぽが燃料タンクとして使用された1947年に作られたホンダ初の自社製エンジン(プロトタイプ)、凸型ピストンを採用する通称「エントツエンジン」は自転車用補助エンジンとして開発され、エンジン下部から混合気を吸入するロータリーバブル式を採用。市販化はされず、湯たんぽが燃料タンクとして使用された

 15歳となった本田宗一郎は、東京の自動車修理工場の丁稚小僧となります。そこには多種多様なクルマやバイクが持ち込まれ、宗一郎少年は貪欲にありとあらゆる知識と経験を身につけて行きました。

 1924年には修理工場の主人にその腕前を見込まれ、自動車レースにも参加し、優勝しています。宗一郎少年の胸にモータースポーツ魂が燃え上がりました。この時期、世界にはインディ500やマン島TTというレースがあることを知ったと言われています。

 その後、成人した宗一郎は浜松市に自身の自動車修理工場を立ち上げ、さらに部品を製造する工場まで設立しました。

 社長となった宗一郎の、修理や製造に留まらないアイディア溢れる仕事ぶりは「浜松のエジソン」と呼ばれ、大手企業への部品納入もあり、経営は順調のように思われました。しかし戦争の空襲などで工場は瓦礫の山となり、日本の復興とともに宗一郎の人生も再スタートとなります。

ホンダ前史として1946年に作られた1台目は、旧陸軍が終戦後に放出した無線機発電用エンジンを改造し、自転車補助エンジンとしたもの。前方のキャブレターから混合気を吸って後方のマフラーから排気。フライホイールがかなり大きいホンダ前史として1946年に作られた1台目は、旧陸軍が終戦後に放出した無線機発電用エンジンを改造し、自転車補助エンジンとしたもの。前方のキャブレターから混合気を吸って後方のマフラーから排気。フライホイールがかなり大きい

 宗一郎は1946年9月、小屋のような建屋に工作機械を持ち込み、「本田技術研究所」の看板を掲げますが、織機やガラス、屋根瓦など、次なる仕事を模索する日々が続きます(1948年に本田技研工業株式会社に改組)。

 そんなある日、宗一郎は友人宅へ訪れた際に、旧陸軍が放出した排気量50ccの無線通信機の発電用小型エンジンと出会います。

「このエンジンを自転車に載せたら、どれだけの人達が楽になるか!」

 エンジンを自転車に取り付ける作業はお手の物で、目の色が変わった宗一郎は社員と共にエンジンの配置やベルトの素材、クラッチなどを検討し、3日も4日も昼夜ぶっ通しで働き、エンジン付き自転車は完成します。

 こうしたエンジン付き自転車は戦前から国内にもありましたが、「戦後の復興期である今こそ売れる」というヒラメキもあったようです。

 出来上がったエンジン付き自転車を自宅に持って帰った宗一郎は、自分の奥さんである、さち夫人に試乗させました。浜松の街を颯爽と走り、試乗を終えると、さち夫人はキャブレターからの混合気の吹き返しを指摘。市販エンジンでは対策されていました。

ホンダ初の自社製エンジン(プロトタイプ)、通称「エントツエンジン」は車体右側に搭載され、マフラーは乗り手の足元を排気煙で汚さないよう、後輪左側下部に設置された。1947年当時のエンジンは現存せず、写真の展示品はホンダの手によって1996年に制作された復元モデルホンダ初の自社製エンジン(プロトタイプ)、通称「エントツエンジン」は車体右側に搭載され、マフラーは乗り手の足元を排気煙で汚さないよう、後輪左側下部に設置された。1947年当時のエンジンは現存せず、写真の展示品はホンダの手によって1996年に制作された復元モデル

 これがホンダ前史である本田技研の1号車と思われますが、実際に市販されたのは、自転車に取り付ける「エンジンキット」です。発売したのが1946年10月のこと。第2次世界大戦の終戦からわずか1年後の秋でした。

 自転車用補助エンジンキットが発売されると、旧陸軍の放出した無線機発電用エンジンやキャブレターなどの在庫確保に奔走します。手に入った発電用エンジンは分解と整備と改造を施し、動作確認、試運転も行なったうえで、500基ほどが販売されました。

 評判も良く売れ行きも好調ですが、旧軍の放出エンジンも在庫が少なくなり、自社製エンジンの開発に着手します。ここで宗一郎らしいアイディアが浮かび、一風変わったエンジンが試作されます。

 排気量50ccの2ストロークエンジンで、シリンダーヘッドやピストンが煙突のように上部へ突き出しており、「エントツ」と呼ばれました。この構造の狙いは従来の2ストロークエンジンよりも吸排気を管理しやすく、燃費とパワーの向上が期待できました。

 同じような形式のエンジンは戦前からドイツにあったようですが、当時の本田技研では工作精度や材料がアイディアに追いつかず、トラブル続出で挫折し、比較的オーソドックスな形式の2ストロークA型エンジンが開発され、市販化となりました。つまり、「エントツエンジン」は幻となったのです。

妙にロングストロークな「エントツエンジン」。ヘッドから突き出た部分までピストンの凸部が上昇する妙にロングストロークな「エントツエンジン」。ヘッドから突き出た部分までピストンの凸部が上昇する

 無線機発電用エンジンを安易にコピーせず、果敢にオリジナルエンジンの開発に挑戦した幻の「エントツエンジン」は、設計図も試作品も消失していましたが、半世紀ほど経った1996年、ホンダによって現代の工作技術で復元され、同時代の2ストロークエンジンのレベルを超える省燃費を発揮しました。

<主要諸元>

■ホンダ 自転車用補助エンジン(1946年)
エンジン型式:空冷2ストローク単気筒ピストンバルブ
排気量:50cc
最高出力:1ps
※無線機発電用エンジンを改造

■ホンダ 第1号試作エンジン/通称「エントツ」(1947年)
エンジン形式:空冷2ストローク単気筒ロータリーバルブ
総排気量:50cc
最高出力:1ps/4500rpm
※1947年当時の実物は無く、1996年に復元された

【取材協力】
ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)

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