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国内でも珍しい城跡 北条氏の本格的水軍城塞「長浜城」に昂ぶる!

バイクのニュース / 2024年3月10日 11時10分

1579年、駿河国(静岡県)を手中に収めた武田氏が、狩野川河口に「三枚橋城(さんまいばしじょう)」を築き、伊豆を制定していた北条氏を牽制します。今回スーパーカブで訪れた当時の「長浜城(ながはまじょう)」は、北条氏による本格的な水軍城塞であり、武田軍の侵攻に備えた「海に囲まれた山城」です。

■山城の構造が見られる水軍城塞、国内でも珍しい城跡

 NHKの特番「日本最強の城スペシャル あなたも絶対行きたくなる!」で紹介されていた伊豆の「長浜城(ながはまじょう)」は、静岡県沼津市にある著名な山城です。

スーパーカブで「長浜城跡」へ。第3曲輪の「弁財天社」へ向かう道のため、入口には鳥居がある。しかし道が崩れていて通行できず、その右脇の階段を登って行くことにスーパーカブで「長浜城跡」へ。第3曲輪の「弁財天社」へ向かう道のため、入口には鳥居がある。しかし道が崩れていて通行できず、その右脇の階段を登って行くことに

 現在では城周辺の埋め立てが進み、陸続きになって当時からは地形が大きく変化していますが、明治時代まで城の南側も海でした。

 そして三方は急峻な崖と深い海に囲まれ、全長25mもの大型軍船「安宅船(あたけぶね)」を10艇は保持していたという、まさに水軍のための拠点です。それでありながら、城自体は崖に防御施設を張り巡らせた、いわゆる山城の構造を持つという、国内でも珍しい部類の城跡だそうです。

 この城は駿河に侵攻してきた武田軍から、北条氏の拠点である「韮山城(にらやまじょう)」を守るために水軍の拠点とされていました。築城したのは、伊豆を制定した初代の北条早雲(ほうじょうそううん)から数えて5代目の氏直(うじなお)です。

 1580年春、武田水軍は「長浜城」付近まで攻め込み、北条水軍が応戦します。これが「駿河湾海戦」と呼ばれる戦です。北条は武田の侵攻を許すことはありませんでしたが、両水軍とも翌年まで激闘を繰り返し、お互いに味方の働きを褒め称える文章が残っているため、戦いの有利不利は分からないそうです。

 1590年、豊臣秀吉による「小田原攻め」で静岡県東部の三島市にある「山中城」が落城し、その影響で「長浜城」も廃城となったようです。豊臣軍は3月29日に「山中城」と「韮山城」、4月1日に「下田城」を攻め、6月に「韮山城」が開城となり、7月に氏直が降伏します。

「長浜城跡」に設置された模型と空中写真により、城周辺の地形を俯瞰で捉えられるのが面白い。大型船が停泊しやすい深い湾と険しい崖という、まさに水軍城として絶好の立地条件だったようだ「長浜城跡」に設置された模型と空中写真により、城周辺の地形を俯瞰で捉えられるのが面白い。大型船が停泊しやすい深い湾と険しい崖という、まさに水軍城として絶好の立地条件だったようだ

 前述の通り「長浜城」の構造は特徴的で、陸側は多数の土塁(どるい)や空堀(からぼり)、堀切(ほりきり)、曲輪(くるわ)など、山城の特徴的な防御施設が見られます。

 スーパーカブを麓の駐車場に停めて、散策は陸側から攻めていきます。余談ですが、山城の散策は敵兵になった気分で歩くと、どこから攻撃を受けるのかと敏感になるから面白いものです。

 と、言いつつ、油断していたのが第3曲輪でした。ここには「弁財天社」が建っていて、解説板を見てびっくり。周囲を土塁で囲み、そこから狭い通路に向かって側面攻撃を仕掛けられるようになっていたようです。敵の侵入口をわざと細く狭くして、「虎口(こぐち:城の出入り口のこと)」に進む敵を1列に並ばせて攻撃するという「横矢」の仕組みが設けられていました。

第4曲輪(写真左側)と第3曲輪(写真右側)の間には、やや大きめの「堀切」が存在する。高低差は8mあり、第4曲輪だけ離れた場所に設定されているのが特徴第4曲輪(写真左側)と第3曲輪(写真右側)の間には、やや大きめの「堀切」が存在する。高低差は8mあり、第4曲輪だけ離れた場所に設定されているのが特徴

「虎口」を挟んで第3曲輪と第2曲輪の間の岩盤は深く掘られて切り離されています。これがいわゆる「堀切」と呼ばれる機構です。土塁の壁も高く、防衛上の大事な地点であることが想像されます。

 第2曲輪には畝状の堀があり、その先の第1曲輪に登る斜面への取り付きを阻止しています。この「畝堀(うねぼり)」は、北条氏の山城「山中城」(ワッフル状の畝堀で有名)を少し連想させるものでした。

 第2曲輪の櫓跡に立ち、そこから内浦湾を眺めます。この湾は海底が深いため、漁業が盛んで今もボートやヨットが多く停泊していますが、大型軍船の拠点としても最適だったようです。

海に向かって階段状に4つの曲輪(A~Dと名付けられている)が構えられており、先まで歩いていける海に向かって階段状に4つの曲輪(A~Dと名付けられている)が構えられており、先まで歩いていける

 さらに上がると第1曲輪です。ここを中心に海と山に向かってL字状に曲輪が配置されているのが特徴です。さらに海に向かって「腰曲輪(こしくるわ)」と呼ばれる4つの階段状の平場が設けられています。

 最下部の曲輪の先に石段らしきものが見えたので慎重におりてみると、驚くことに海に出てしまいました。つまり海からも上陸可能な城ということですが、4段の腰曲輪やその先の鉄壁の防御によって、侵入はできないようになっていたのでしょう。

 海と山を同時に感じられる「長浜城」は、NHKの特番でも取り上げられるだけあって非常に面白い山城でした。

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