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今こそ知りたい!! 耐久レースを席巻したホンダの無敵艦隊「RCB1000」の使命とは?

バイクのニュース / 2024年7月1日 19時40分

ホンダはボルドール24時間耐久レースなどの結果が「CB750フォア」の売れ行きを左右し始める1970年代に、ワークスでのレース活動を再開します。半年という短い開発期間でデビューした「RCB1000」(1976年型)は、無敵の強さで走り出しました。

■市場の優位を取り戻せ! 不沈艦「RCB1000」の栄光と伝説

 ホンダは1966年、マン島TTレース出場宣言から12年で世界GP制覇を成し遂げ、翌1967年限りで世界GP参戦に終止符を打ちます。その後のロードレースは2ストローク車全盛となる一方、アマチュアレーサーも参加するヨーロッパの耐久レースでは、長時間走行することもあり市販の4ストローク車を改造したマシンを中心に盛り上がりを見せていました。

ヨーロッパ耐久レース選手権で、1976年から無敗のまま3年連続タイトルを獲得したホンダ「RCB1000」(1976年型)ヨーロッパ耐久レース選手権で、1976年から無敗のまま3年連続タイトルを獲得したホンダ「RCB1000」(1976年型)

 そこで大型スポーツバイク開発で先行していたのは欧州車でしたが、より強力なホンダ「CB750フォア」(1969年)の登場で勢力図が変わります。1970年代初頭からの耐久レースは、4ストロークエンジンの日本製4気筒マシンが活躍する時代となりました。白熱するレースに観客もエントラントも盛り上がっていきます。

 ホンダ車ではイギリスやフランスの現地法人やディーラーチームが参戦し、優勝することもありましたが、次第にホンダ車以外の日本製マシンがレースを席巻していきます。

 そのレベルが上がるにつれて、表彰台はレースのプロであるコンストラクター同士の戦いとなり、同時にそのレース結果は市販車の売れ行きにも大きな影響を及ぼしていました。

 ホンダ本社は現地法人からの要望に応え、大型スポーツバイク市場の宣伝活動として、耐久レースでの勝利を目標に参戦を決定します。

 それは世界GP参戦終了から9年ぶりとなる、ホンダ本社によるファクトリー参戦であり「HERT(ホンダ・エンデュランス・レーシン・グチーム)」が組織されます。

開放型のクリップオンハンドル。年を追うごとに転倒後の修復作業時間短縮のため、様々な工夫が施された開放型のクリップオンハンドル。年を追うごとに転倒後の修復作業時間短縮のため、様々な工夫が施された

 当時の耐久レースは車両規則が緩く、レース専用マシン(耐久レースではリタイヤが多かった)も出場可能でした。しかしプロジェクトのGOサインから初レースまではたったの半年。開発期間短縮のため「CB750フォア」のエンジンをベースにして設計が始まりました。

 目標の最高出力100psを達成するためにシリンダーから上部は新設計のDOHC4バルブとなり、カムシャフトの駆動はセミギアトレイン、さらに1次減速もギア駆動に変更され、結果的には「CB750フォア」との共通部分が少ない、ほぼオリジナルのスペシャルエンジンとなりました。

 たった半年間で完成できたのは、ファクトリー活動停止後も、デイトナ200や国内レースで「CB750フォア」を使うレーサー達にチューニングエンジンを提供しており、勘所を熟知していたからでした。

 車体は1960年代のホンダのGPレーサーを参考に、エンジンを囲むようにダブルクレードル化したフレームとなりました。

 ホンダとしては「CB」シリーズの売り上げを伸ばすための参戦ですから、「次世代CB」のプロトタイプで他社のライバル車と対決することになったのは宿命だったのかもしれません。HERTが開発したそのマシンの名前は「レーシング」の「CB」を意味する「RCB1000」となりました。

燃料タンクの横には航空機の燃料給油装置を流用した当時のクイックチャージャーを装備燃料タンクの横には航空機の燃料給油装置を流用した当時のクイックチャージャーを装備

「RCB1000」は、1976年にヨーロッパ耐久レースに出場すると連戦連勝し、ボルドール24時間レースでも優勝します。深夜を通して行なわれたライバル勢との息詰まるハイペースな戦いは、まさに耐久レースの真骨頂でした。ゴール時に14万人の観客からホンダコールが湧き上がったと言います。

 さらにその年のシリーズタイトルも獲得し、完璧な形で目標を達成します。「RCB1000」の活躍は遠く離れた日本にも耐久レースの存在と楽しさを伝えてくれました。

 1978年7月には鈴鹿8時間耐久レースが初開催となります。この年は耐久レース選手権のタイトル争いに影響しない形での開催でしたが、地元では“打倒RCB”に燃える多くのチームが参戦します。

 日本初上陸となったレースの結果は、日本屈指のコンストラクターであるヨシムラが優勝し、上位を占めたのはホンダ車以外で「RCB1000」は惨敗。このドラマは今でも鈴鹿8耐の伝説として語り継がれています。

「RCB1000」が3年間で残した戦績は26戦24勝(負けた2戦は鈴鹿を含むノンタイトル戦)です。実際には薄氷を踏むようなギリギリでの勝利もありながら、ヨーロッパ耐久レース選手権では3年間無敗のチャンピオンマシンでした。

 その後、目標達成を果たしたHERTは解散し、1979年には前年から開発を進めていた新世代CBである「CB750F/CB900F」のエンジンをもとに作られた耐久レーサー「RS1000」へとバトンタッチします。

 そして1979年の鈴鹿8耐では「RS1000」のワンツーフィニッシュで圧勝。さらに上位を独占しのはこの「RS1000」のエンジンを使用したマシンで、見事にリベンジを果たしました。

フルカウルに外付けのデュアルヘッドライト、ロングタンクに小さなシートカウルが当時の耐久レーサースタイルフルカウルに外付けのデュアルヘッドライト、ロングタンクに小さなシートカウルが当時の耐久レーサースタイル

 ヨーロッパ耐久レースは1980年に世界選手権へと昇格し、市販車をベースにした耐久レースは各メーカーが凌ぎを削る場となります。一方、メーカー系以外のエントラントの多くを支えたのが、ホンダが提供した「RS1000」のエンジンキットパーツでした。

 ドラマチックなレース展開もあり、鈴鹿8耐はたくさんのバイクファンを集める大人気イベントとなりました。2024年も多くのチームがホンダ「CBR1000RR-R」で参戦し、「RCB1000」の時代と変わらない、熱い戦いを見せてくれるのではないでしょうか。

■ホンダ「RCB1000」(1976年型)主要諸元
エンジン種類:空冷4ストローク並列4気筒DOHC4バルブ
総排気量:997.48cc
車両重量:190kg(乾燥)
フレーム形式:ダブルクレードル

【取材協力】
ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)
※2023年12月以前に撮影

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