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小椋藍選手がMoto2チャンピオン獲得!!「3度目の正直」に必要だったものとは【MotoGP第18戦タイGP】

バイクのニュース / 2024年10月28日 18時10分

MotoGP第18戦タイGPが2024年10月25日から27日にかけて、タイのチャン・インターナショナル・サーキットで行なわれました。Moto2クラスに参戦する小椋藍選手(MTヘルメット - MSI)は2位を獲得し、その結果、2024年シーズンのチャンピオンに輝きました。

■日本人ライダーとして、15年ぶりのチャンピオン誕生

 Moto2クラスに参戦する小椋藍選手(MTヘルメット – MSI)は、MotoGP第18戦タイGPを、タイトル獲得に王手をかけた状態で迎えていました。前戦オーストラリアGPで、チャンピオンシップのランキング2番手に浮上したアロン・カネト選手(ファンティック・レーシング)に対して65ポイント差をつけ、小椋選手が5位以上でゴールすればチャンピオンが決まる、という状況だったのです。

「世界選手権でのレースでは、周りが喜んでくれるのがいちばん嬉しいと感じます。パルクフェルメに戻ってきてチームのみんなを見たときのほうが、嬉しさはありましたね」(小椋藍選手)【MotoGP第18戦タイGP】「世界選手権でのレースでは、周りが喜んでくれるのがいちばん嬉しいと感じます。パルクフェルメに戻ってきてチームのみんなを見たときのほうが、嬉しさはありましたね」(小椋藍選手)【MotoGP第18戦タイGP】

 小椋選手自身も、「タイではかなりチャンスがあると思う」と、この大会でのチャンピオン獲得に狙いを定めていました。

 ここ数戦の小椋選手は、いつにも増して落ち着いて見えました。金曜日には、セッション前にもかかわらずクルーと会話をして笑顔を見せるシーンもありました。小椋選手自身だけではなく、そこにいるクルーが、ピットの雰囲気が、プレッシャーを持たずに週末の仕事に集中しています。肩の力が抜けているのにしっかりと足が地を踏みしめているような、そんな雰囲気がありました。

 実際のところ、金曜日には午前中のフリープラクティスで、ピットレーン出口がクローズドになったあとにコースインするミスをしてしまったり、午後のプラクティス1ではエンジンに不調が出たりもしました。トラブルはありましたが、それは小椋選手と小椋選手の周りにいる彼らにとって障壁にはなりませんでした。ちなみに、ピットレーン出口クローズドでのコースインについては500ユーロの罰金となり、エンジンについては土曜日に向けて載せ替えとなっています。

 そして決勝レースの朝には、スコールが降り注ぎました。Moto3クラスの決勝レースが始まるころにはコースの路面状況はドライコンディションに回復したのですが、レース後に再び雨が降りました。ただ、サイティングラップで走ってみると、確かにホームストレートはウエットだったものの、その他はドライ。ウエットレースモードに入っていた小椋選手は「ついてる!」と思ったそうです。「表彰台争いをするあたりで走れるかな」と。

 ポールポジションについた小椋選手には、さすがに今回は緊張がありました。と言っても、チャンピオンがかかるレースでナーバスになっていたわけではなく、「ウエットコンディションで、どうなるかわからなかったので緊張しました。ドライだったらあまり緊張しなかったと思うんですけどね」ということだったそうです。

【MotoGP第18戦タイGP】決勝レースはポールポジションからのスタートとなった小椋藍選手(#79/MTヘルメット - MSI)。スリックタイヤでスタートしたが、微妙なコンディションに緊張していたという【MotoGP第18戦タイGP】決勝レースはポールポジションからのスタートとなった小椋藍選手(#79/MTヘルメット - MSI)。スリックタイヤでスタートしたが、微妙なコンディションに緊張していたという

 そんな決勝は、やはりいつもの小椋選手のレースでした。5位にさえ入ればチャンピオンは決まります。しかし、もちろん守りの走りをすることはありませんでした。序盤は路面状況もあって様子を見ていましたが、状況を把握すると、6周目以降に猛然とポジションを回復し始め、14周目に2番手に浮上したのです。

 ところが、トップのカネト選手を追っていたところでまたしても雨が降り始めます。ペースを落としたところで、21周目に天候を理由に赤旗が提示され、全周回数の3分の2を完了していたことから、レースは2周を残して終了となりました。

 この瞬間、小椋選手の2024年シーズンMoto2チャンピオンが決定しました。日本人ライダーとしては、2009年250ccクラスの青山博一さん(現ホンダ・チームアジア監督)以来、15年ぶりのチャンピオン誕生となったのです。

「もちろん、チェッカーを受けたかったですよ。でも、こういうコンディションなので仕方ないですね。チェッカーを受けた方が実感が湧くと思うんですけど、レッドフラッグは急だったから、心の準備ができていなかったです」

 小椋選手は、チャンピオンを獲得した直後の心情について、そう語っていました。

■小椋選手がパルクフェルメと表彰台で見せた表情

 クールダウンラップでのセレブレーションを終えてパルクフェルメにやって来た小椋選手は、メカニックやチームスタッフたちに迎えられました。たくさんのハグ。インタビュー。カメラに向かってポーズ。パルクフェルメは新しいチャンピオン誕生の歓喜に満ちています。

 その合間、合間に、小椋選手は何かをかみしめる表情をしていました。じんわりと湧き出てくる何かを少しずつ、けれど逃すことなくしっかりと感じ取るように。

 ついにパルクフェルメでは涙を見せなかったのですが、表彰式のあと、現地に駆け付けたお父さんから手渡されたスマートフォンでお母さんとビデオ通話をしたときばかりは、こみ上げるものがあったそうです。

「簡単なお祝いの言葉をもらいました。そのときは、けっこう……」

 ビデオ通話をしていたとき、小椋選手は表彰台で背を向けて、目頭を押さえていました。それは、彼がひとりの小椋藍に戻った時間だったのかもしれません。

 けれどその後、こちらにくるりと向き直ったときには、いつもの様子でした。小椋藍は、どこまでも「小椋藍」なのです。

■今年、チャンピオンを獲得するために必要だったもの

 レース後のチャンピオン会見で、小椋選手は「今年、チャンピオンになるために何が変わったのでしょうか?」と聞かれ、こう答えています。

「僕のレース人生において最も大きな目標は、世界チャンピオンになることでした」

ピットレーンに戻って来たとき、MotoGPクラスに参戦する中上貴晶選手とタッチを交わす。小椋選手は2025年にはMotoGPライダ-になり、中上選手は引退となる、そんな2人だピットレーンに戻って来たとき、MotoGPクラスに参戦する中上貴晶選手とタッチを交わす。小椋選手は2025年にはMotoGPライダ-になり、中上選手は引退となる、そんな2人だ

「Moto3、Moto2、MotoGP、クラスにかかわらずね。だから、すごくすごく嬉しいですよ。これまでに2度、チャンピオンになるチャンスを失ってきて……。一度はMoto3で、一度は2022年のMoto2でしたが、そのあと、僕はこのタイトルをただ夢見ていました。いつの日かMotoGPライダーになれるかもしれない、ということも考えなかった。世界チャンピオンだけを夢見てきたんです。そしてついに、成し遂げました」

「僕は自分がどういう人間なのか知っています。もっと若かったとき、僕は最速ライダーではなかったし、自分にものすごい才能があるとも思っていませんでした。でも、すごく頑張れば、こういうことを成し遂げられると信じていました。だから、MotoGPのチャンピオンに5回なりたいとかそういうことは……もちろんあり得るかもしれないけど、すごく可能性は低いですから(考えることはなく)、僕は、“世界ナンバーワン”だけをただただ目指してきたんです」

 ここに、レース後に聞いた、小椋選手のクルーチーフ、ノーマン・ランクさんの話を加えましょう。

「最大のポイントは、アイがレースにおける自分の生活の全てを、結果を得るために、世界チャンピオンを獲得するために集中してきたということだ」

 さらに会見のあと、小椋選手に「今年、チャンピオンを獲得するために必要だったものは何だったのでしょうか?」と尋ねました。

 小椋選手は「それを言い出したらすごく細かくなっちゃうんですけど」と言って、こう説明しました。

「Moto3(のタイトル争い)で足りなかったものをMoto2で蓄えて、それでも2022年(のタイトル争いで)足りなかったものを2023年で……と思ったけれど、怪我をしてしまいました。ほんとにちょっとしたものなんですけど、確実に自分の中で(足りなかったものを)つぶしていって、今年を迎えられて、それが形に表れてくれました。それが全てだと思います」

【MotoGP第18戦タイGP】Moto2チャンピオンが決定し、輝いた小椋選手の笑顔【MotoGP第18戦タイGP】Moto2チャンピオンが決定し、輝いた小椋選手の笑顔

 いつか、小椋選手に走りの向上についての話を聞いていたとき、こう言っていました。

「(走りについて)変えたり頑張ったりしたものって、すぐ(結果に)表れてはくれないんです。その瞬間から“ここがよくなった!”、“ここが変わった!”とはならないんですよ。半年や1年、2年前から頑張ってやっていることが、気づいたら表れていた、ということなんです」

 小椋選手の「チャンピオンを獲得するために必要だったもの」の答えもまた、この姿勢につながっているように思います。

 1本1本は細いかもしれない(あるいは太い糸もあるかもしれない)糸が、おそらくは何百本もひとつの終着点に向かって伸びていたのでした。何年も前から伸びている糸もあれば、2024年に加わった糸もあるでしょう。それらがついに束になって届いたのが、2024年だったのです。

 言うは易く、行なうは難しいことです。しかし、小椋選手のそれは、この言葉がまさにぴたりと当てはまるのではないでしょうか。

「小椋藍は、世界チャンピオンを獲得するために“全てを”懸けてきた」

■Moto2クラスとは……

 Moto2クラスは、トライアンフ「ストリートトリプルRS」の排気量765ccの3気筒エンジンをベースに開発されたオフィシャルエンジンと、シャシーコンストラクターが製作したオリジナルシャシーを組み合わせたマシンによって争われる。タイヤは2024年よりピレリのワンメイクとなった。クラスとしてはMotoGPクラスとMoto3クラスの中間に位置する。

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