受験エリートの転落人生…ドイツ文学の金字塔が描く、人生の深い意味

bizSPA!フレッシュ / 2020年7月8日 8時46分

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受験エリートの転落人生…ドイツ文学の金字塔が描く、人生の深い意味

 文学なんて時間の無駄、文学なんて読んでも儲からない、そんな時間があるならビジネス書を読む……。そんな感覚を持つビジネスパーソンは多いかもしれない。しかしそのような考えは、経営戦略の基本から考えても大きな間違いである。

本

 多くの「デキる」ビジネスパーソンは経済紙、ビジネス雑誌、ビジネス書、ときに経営学書・経済学書・技術書などを読む。ライバルに後れをとらないためにもそうした読書は必要である。

◆ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』と受験戦争

 しかし、他のビジネスパーソンと「差」をつけるには、他者と同じ情報を得ていてはダメである。経営戦略論の大家ポーターも指摘するように「Strategy is being different」だ。ビジネスパーソンがあまり読んでいないからこそ、いま文学を読むことは他者と違った価値(=差別化)につながる。

 ただしそこには「読み方」がある。そこでこの「文学で“読む”経済」では、文学から社会と経済を読みとり、ビジネスに活かすという体験を、読者と共有することを目指す。

 受験にそなえて難しい文法を暗記し、難しい数式を必死に詰め込む。数学教師が、聞かれてもいないのに「この数式は将来ちゃんと使うんです」と言い訳のように繰り返す。道徳の時間にこっそりと外国語と数学の勉強を内職する。

 これが115年前の小説だと誰が信じるだろう。ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』である。

◆田舎出身者が出世できる数少ない道

男の子

 この作品は、一時期まで日本の中高生や大学生のバイブルだった。本国ドイツでよりも日本でのほうが売れたといわれたこともある。それもそのはず、日本の受験戦争とそっくりの描写だし、その受験戦争を乗り越えた者がやがて挫折するというところも日本では「あるあるネタ」なのだ。

 小学校・中学校までは神童だったのに……、という話はそこらへんに山のように転がっている。自分こそがその神童だったという方も多いのではないだろうか。まさしくそんな人の心に刺さること請け合いなのがこの『車輪の下』である。

 主人公ハンス・ギーベンラートは片田舎の村に住んでいる。実家は中流よりは少し裕福だ。兄弟はおらず母親は早くに亡くなっている。理解に欠け、俗物で商売人の父親は、息子を「神学校にいかせテュービンゲン大学神学部に進ませる」という型にはまった期待を抱いている。田舎出身者が出世できる数少ない道である。

◆主人公は才能に恵まれた神童

 なお、一歩離れてこの小説を読むと、この父親はそこまで悪い父親でもない。息子を心配して手紙を書くし、後に仕事も探してくれる。俗物なりにいい父親に思える。

 そんな家に生まれたハンスは才能に恵まれた神童である。ラテン語、ギリシャ語、数学を難なくこなす。通っている学校の校長も期待をかけるし、担任はじめ教師はハンスのために受験の特訓をおこなう。

 すべては神学校への切符である「州試験」合格のためである。なんせこの州試験、ハンスの村から受けるものはハンス一人しかいない。

 ついに試験当日。各地から集まったライバルに「この問題は簡単だった」と言ってみたり、相手に知らない文法用語を話されて不安になったり、このあたりはまさに受験あるあるだ。

◆十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば…

ヘルマン ヘッセ

ヘルマン ヘッセ『車輪の下』(新潮文庫、高橋健二・訳)

 中高大どこかで受験を経た人ならばむずがゆい思いになるだろう。不安にさいなまれるハンスだが、結局は2位という好成績で合格する。

 物語はここからである。「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」ということわざをきいたことがあるだろう。まさにそうした状況だ。ここから主人公ハンスはどんどんと道を外れていく。

 ハンスはめでたく全寮制の神学校に入れた。現在の日本でいえば中高一貫の名門進学校入学といったところだ。寮の同室9人のうち4人は個性豊か、残りは普通の優等生。同室の生徒には大学教授の息子、度を越した節約家などがいてハンスは圧倒される。その中のひとり、詩とバイオリンをたしなむハイルナーにハンスは惹かれていく

 ハイルナーは問題児だが自分をしっかりと持っているタイプだ。勝手に遠出して、知らない村の警官と仲良くなり、さらに村人を紹介してもらって一宿一飯をおごってもらうという具合にエネルギーにあふれたエピソードに事欠かない。

◆原因不明の頭痛に悩まされるようになり…

 おとなしいハンスとエネルギッシュな問題児ハイルナーは、自分に足りないものを感じ取るのか、互いに気が合う。しかし、ハイルナーが問題行動の末にあっけなく退学となると、ハンスは徐々に勉強にも身が入らなくなり、原因不明の頭痛に悩まされるようになる

 最初はこれまでの知識の蓄積でなんとか周囲についていけたが、徐々にそれも不可能になる。ついには、授業に出ていても教師にまったく反応できないほどになる。今でいえば鬱状態だ。そうしてついにハンスは実家に戻される。

 ハンスの父親は彼のために役所の仕事か機械工の仕事を紹介してやろうと持ち掛ける。ハンスは幼馴染が機械工になっていたことを思い出し、彼をたずねる。やがて彼は機械工として、まさしく歯車製造にかかわるようになる。

 ある日、ハンスは幼馴染と機械工たちと一緒に酒を飲みに出かける。アルコール度数の強い酒も飲み、酔いが回るにつれて、ハンスは自分が落ちぶれたとしみじみ感じてくる。帰り道、酔いのあまり草むらにかがみこむ。それから1時間して、酔いも少しはさめたのか、家に向かって彼は歩き始める。

◆ハンスは落ちぶれたのか?

頭痛

 ここから、空白行もなしに突如としてハンスが死んでしまったことが語られる。川に流されてしまったのだという。帰り道に何が起こったのかは明らかにされない。足を踏み外したのか、自分から川に飛び込んだのか、ほんの少し前までは家に帰るつもりだったはずなのに、である。

『車輪の下』は受験エリートがやがて挫折していく様子をありありと描く。「有名進学校に入ったのに」「○○大学に入ったのに」「○○株式会社に入ったのに……」という話はよくきくだろう。エリート街道だと思っていたら道を踏み外した、落ちぶれた、というエピソードはそれくらい身の回りにありふれている。

 それと同時に、この文学作品はハンスの何がいけなかったのかを教えてもくれる。『車輪の下』を読んだ人は、心を締め付けられるとともに、完全には同意できない部分も出てくるだろう。それこそが生きる上でのヒントになる。

 たとえば神学校を退学したことや機械工になったことに対して、ハンスが「すべてはおしまいだ」と思ったこと。実際に、物語の終盤でハンスはこうした歌詞を自作して歌っている。

◆どうして退学や機械工がおしまいなのか

 しかしどうして退学や機械工がおしまいなのか。もう退学して職を変えてしまったのならば考えても仕方ない。経済学や経営学では、もはや取り返せないコスト、計算する必要のないコストとして、「埋没コスト」と言われるものである。

 どうしようもないならば、とりあえず「神学校を退学して機械工になるというめずらしい経験ができたぞ」とでも考えておいて、自分の目標に合わせて次に打つべき手を着々と考えるしかないだろう。

 これに関して、筆者がある企業人にインタビュー調査を実施したときのことを思いだす。

 その方は、有名大学卒業後に超一流とされる企業に入社したが、最初の配属が工場の糧食班だった。ご本人いわく「大学を出て他人の飯の世話はいやだ」と思ったそうである。だが配属が基本的に一生変わらないとわかると、心機一転、糧食のプロになろうと決めたそうだ

◆受験は一瞬だが人生は一生続く

やる気 目標

 そして、喫食率を上げる様々なプロジェクトを立ち上げ、同時に食堂の動線改善をおこなった。かくして食事の品質が最高でコスト最安の食堂を作り上げた。

 そこにやってきたのがその会社の当時の社長であった。その社長の目にとまり、その方はそこから出世コースに配属転換され、部長、取締役と進み、ついに兆円企業の社長となった。

 受験は一瞬だが人生は一生続く。あきらめずに次の手を打ち続けることが大事である。そんな無茶な、と思われるかもしれないが。作者のヘルマン・ヘッセ自体が、経歴は主人公ハンスと似ているものの、職を転々としながらも着実に詩人・小説家になる夢を実現した人物である。

 この『車輪の下』もヘッセはいくつもの出版社に持ち込んできちんと営業もしている。ヘッセ自体はエネルギッシュなハイルナーの側面も持っていたのだ。ハイルナーの上の名前が「ヘルマン」なのも偶然ではないだろう。

<TEXT/岩尾俊兵>

【岩尾俊兵】

明治学院大学経済学部国際経営学科専任講師・東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員。平成元年生まれ、陸上自衛隊少年工科学校中退、慶應義塾大学商学部卒業、東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了、東京大学初の博士(経営学)を授与される。研究活動で第36回組織学会高宮賞受賞、文学活動で第63回群像新人評論賞最終候補。(@iwaoshumpei

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