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とにかく明るい安村、話題ネタのルーツを辿る「コンビ解散して、やっと覚悟ができた」

bizSPA!フレッシュ / 2021年3月27日 15時46分

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とにかく明るい安村、話題ネタのルーツを辿る「コンビ解散して、やっと覚悟ができた」

『有吉の壁』で見せる体当たりの芸が話題になっている、とにかく明るい安村さん@yasudebu)。

安村

とにかく明るい安村さん

 そのなかで見せた「東京って凄い」という歌ネタは、大人しかった自分が上京して20年、今は恥ずかしげもなくネタをやっている……という半生を凝縮した作品で、同番組MCの有吉弘行さんをはじめ、他の芸人もホロリ。SNSでも〈笑えるのにグッとくる〉〈頭から離れない〉〈感動してしまった〉など視聴者の心をつかみました。

 有吉さんも「笑えてジンとくる」と評した、安村さんの「東京って凄い」が誕生するまでのルーツを辿るインタビュー。前編では、安村さんが東京に出てくるまで、そして東京で「凄い」と思ったことについて、じっくりお話をうかがいました。

◆幼少期は1人遊びも得意な“末っ子気質”

――「東京って凄い」では、生い立ちから現在を凝縮したドキュメンタリーのような歌ネタが話題になりました。どんな子供でしたか。

とにかく明るい安村(以下、安村):人見知りで、落ち着きがない子供でした。家が電気屋だったんですけど、父がテレビ局にあるようなカメラでよく家族の映像を撮っていて、僕はカメラを向けられると、決まって何かおどけてみせたりして。

 兄貴が2人いて、近所にもお兄ちゃんみたいな友達が2人いて、5人でよく遊んでいました。自転車で競争して腕を骨折したりとか、そういうやんちゃな子供でしたね。

 ただ、遊ぶ相手が全員年上だったので、お兄ちゃんたちが学校に行ってる間は一人遊び。ナメクジをいじったり、とんぼを捕まえてきて家の中で離したり、空を見上げて雪が降ってくる方向をずうっと見つめているうちに、自分が浮いているみたいな感覚になるのを楽しんだり。一人で忍者ごっこをするのも好きでした。

◆ 「人前で笑わせようなんて思ってなかった」

安村

――年下で可愛がられる一方で、一人遊びも得意だったんですね。人前に出るのが好きだとか、笑わそうといった気持ちは?

安村:それが、まったくなかったんです。

――お笑いをやろうと意識したのはいつから?

安村:お笑いをやろうと思ったのは、中3くらい。ガキ大将みたいだった幼馴染(※安村がかつてコンビを組んでいた「アームストロング」の栗山直人)の横にずっといるヤツでした。小さい頃から自分の意志があまりなくて、いつもそばにいる人についていく感じだったんですね。そいつが中学校の文化祭で漫才をやろうと言って、何も考えず「いいよ」って。

安村

――そこで、お笑いの楽しさを知ったのでしょうか。

安村:いやぁ~…。誰かを笑わせて楽しいというよりは、まだまだ仲間内、友達同士で笑って楽しいって感じだったと思いますね。

――その後上京。北海道から東京ということで、かなりの決心があったのでは?

安村:そうですね。僕がいたのは旭川で、出るとしたら大体札幌なんです。でも俺らは、みんなが札幌行ってるんだったら、もう東京行こうと。誘われるままに、高校を卒業して一緒に東京に出てきました。自分が今、一番不思議ですね。自分でやりたいわけではなく、誘われて上京して、今でもお笑いを続けている。

◆上京して衝撃「すごい人がいっぱいいる!」

安村

――東京に出てきて、最初に驚いたことは何でしたか。

安村:僕は野球をずっとやってたし、田舎育ちだったので、すごく年齢が離れた人と一緒に何かをするということはなかったんです。でも高卒で東京に出てくると、NSCの同期に大卒の人とか、それよりも年上の人とかもいて、まずそれが衝撃でした。いろんな事知ってるし、大学行ってる人とかはコンパとかめっちゃしてたし。そういう年上の同期がめちゃめちゃ大人で、それがショッキングでした。「すごい人がいっぱいいる!」って。

 一緒に北海道から出てきた友達は、いい意味で変わらなかった。でも東京で、たくさん大人の人と会っていくうちに、俺が変わっちゃった。

――もう辞めたいとか、ネガティブになった瞬間はありましたか。

安村:単純にお金がなくて、しんどいと思ったことはありましたね。1つ上の先輩(東京NSC5期)には、ピース、平成ノブシコブシ、5GAP、ラフ・コントロールなど、面白い人たちがいっぱいいました。2つ上にはロバートと森三中というとんでもないスターもいた。

 でも、当時はみんな全然売れてなかったんです。NSCを卒業してからも、めちゃくちゃ面白いのに全然売れてない人がいっぱいいる。その現実を見た時に、こんな面白いのに売れないんだったら、もう無理なんじゃないかと心折れかけましたね。

◆コンビ解散後、やっと生まれた“覚悟”

安村

――それでも続けた理由は?

安村:やべえなとは思いながら、やめる気もなかった。あまり深く考えてなかったんです。もともとの末っ子気質が出たのか、のらりくらりとついていくばかりで。

――2014年にコンビを解散したのが、大きな転機になりましたね。

安村:大きかったですね。一度は芸人をやめようと思いましたが、やっと「やるしかない」みたいな覚悟が生まれました。だいぶ遅いけど…。一人でネタライブをたくさんやって。いいものが生まれるまでやろうと決めて、がむしゃらにやってましたね。バイトもして。人生で初めて、自分の意志で頑張ってました。

◆『有吉の壁』で学んだ「欲を出したらダメ」

安村

――解散翌年(2015年)には、「安心してください、はいてますよ」が大ブレイク。そして今は『有吉の壁』での活躍が話題です。

安村:『有吉の壁』は、2015年から特番で続いていて、去年4月にレギュラー化されました。当初、有吉さんは今より全然厳しかったんですよ! でもみんなやるしかないし、出させてもらえてありがたいですからね。

 続けてきてわかるのは、「欲」が出るとダメ(有吉の判定で「バツ」)になっちゃうということ。欲というのは、また次呼ばれたいとか、これでヒットしたら他の番組も出られるんじゃないかとかね。自分の中で、ネタをやる目的が「その時ウケたい」ということからブレるとダメなんです。

 有吉さんには、無我夢中かどうかがわかるんですよね。一度、「手ぇ抜いてんじゃねぇよ」って言われたことがあって、そんなつもりは全く無かったけど、言われてみると、心のどこかで「こんくらいでいいかな」という気持ちが確かにあった。

 一方で、その逆もありました。スベッて、「全然ダメだったな」と思ってるのに、「まぁ面白かったけどね」って言われた時に気づいたのは、「ちゃんとやってるかどうか」が見抜かれるということ。一生懸命やっているかどうか。一生懸命やってスベるんだったらいいけど、手を抜いていると怒られる。一回ごとに、一生懸命本気で挑まないとヤバい、みたいな感じでみんなやっていると思います。

<取材・文/吉河未布 撮影/内海裕之>

【とにかく明るい安村】
1982年北海道生まれ。2000年、NSC東京校6期でお笑いコンビ・アームストロングを結成。2014年に解散後、ピン芸人に。翌年『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。決めフレーズの「安心してください。はいていますよ」は、ユーキャン新語・流行語大賞トップ10に選出された

【吉河未布】

編集者・ライター。ネットの海の端っこに生きています。気になったものは根掘り葉掘り

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