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写真家・水景クリエイターとして活躍した亡き師匠 天野尚の原点 消えた『鎧潟』を探して…

BSN新潟放送 / 2024年6月21日 12時35分

BSN

写真家として、また水景クリエーターとして世界的に活躍し、2015年にこの世を去った天野尚さん。その遺志を継ぐ作家が新潟市で初の写真展を開いています。
師匠亡き後、探し続けている、今は無き「鎧潟(よろいがた)」とは…

新潟市 中央区にあるギャラリー新潟絵屋。ここで、とある写真展が開かれています。
写し出されているのは新潟の「潟」の風景です。

【来場者は】
「水辺のニュアンスがとても美しく、四季を通じての潟のよさがよくあらわれている。きれいなんですけどこれがすてきだなたくましい」

今回、初の写真展を開いたのは本間裕介さんです。

【本間裕介さん】
「天野が写真を撮っているのは憧れていましたし、このカメラは天野が使っていたものを貸りて撮らせてもらっている」

本間さんの師匠は、新潟市西蒲区出身で、写真家・水景クリエーターとして活躍した天野尚さんです。

天野さんは最大で幅50センチを超える大判フィルムを使って、様々な自然の姿を撮影してきました。

さらに、水槽の中に自然の風景を再現するネイチャーアクアリウムを開発。
ポルトガルの水族館にも展示されるなど、世界を舞台に活動してきました。

18歳のとき、天野さんが営む「アクアデザインアマノ」に入社し、多くの現場をともにしてきた本間さん。
長年あこがれ続けている景色がありました。

【本間裕介さん】
「鎧潟、私自身も見たことないんです。ネイチャーアクアリウムの原点が鎧潟にあるんですね」

「鎧潟」とは、かつて今の新潟市西蒲区に存在した潟。
東西南北ともに2.5キロあり、越後平野の湖や沼の中で一番大きな潟でした。

戦後、食料増産などの目的で干拓がすすめられ、1966年に姿を消しました。

子どものころ、この鎧潟が遊び場だったという天野さん。その風景を再現したいと、ネイチャーアクアリウムを生み出したのです。

【本間裕介さん】
「特に天野が亡くなったあと、どういうところからネイチャーアクアリウムが生まれたのか気になって、近くにある佐潟に鎧潟を重ねながら撮影を続けていて」

本間さんが映すのは、新潟市西区にある佐潟の風景。
15年以上、春夏秋冬、撮影に通いました。

【本間裕介さん】
「鎧潟もこういうときがあったんだろうなと思い浮かべながら…」

【写真展を企画した新潟絵屋  大倉宏 理事長】
「一部の写真は天野さんの写真を思わせるところがありますけど、コピーではなく、本間さんの独自の視点があると思います。小さい生き物の視点で自然を見つめている。パターン化した美しい写真とは違う魅力があると思いました」

奇しくも現在、同じ新潟市で天野尚さんの写真展も開催されています。
どちらの写真も、かけがえのない自然の姿をきりとり、その大切さを訴えます。

―天野さんが写真展を見たら、何というと思いますか?

【本間裕介さん】
「何ていうんでしょうね…褒めてはくれなさそうですね。鎧潟って名前自体を知っている方、若い方は特に少ないと思う。『こんな大きい潟が新潟にあったんだ』というところから、今ある新潟の潟に興味を持ってもらうことが重要かなと思います」

鎧潟を探し、天野さんの原点を探した本間さんの写真展は30日まで開催されています。

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