残る記録のほとんどない『秘匿飛行場』の建設に 石ころだらけの盆地へ動員された子供たちの #戦争の記憶
BSN新潟放送 / 2024年8月18日 11時30分
シリーズ『終戦から79年』
終戦間際の1945年に、たった1か月ほどの期間で旧日本軍が新潟県魚沼市でひそかに『飛行場』を建設していたことをご存じでしょうか?
芝を刈り、石を拾い…。
作業には子どもも動員され、完成したのは79年前の8月15日。
暑い夏の日でした。
【魚沼歴史・民俗の会事務局 八海昭夫さん(69歳)】
「皆さん汗水流して、のども乾いたでしょうしね。暑いさなかで、砂漠の中での作業のようなそんな感じだったでしょうから、本当に大変だったと思います」
本土決戦に備え、魚沼市小出地域の八色原(こいで・やいろはら)と呼ばれる場所に建設された“秘匿飛行場”の計画は秘密裡に進められ、今に残る記録はほとんどありません。
当時の様子を語る桜井秀一さん(89歳)と森山みつさん(97歳)。
作業に駆り出されたときは、まだ幼い少年少女たちでした。
【森山みつさん】
「飛行場をつくるにあたって、そこをみんな掘り返して、こういうゴロゴロした石をみんな拾い出したわけ、それを私らがした。骨が折れましたね、暑いときで」
飛行場建設の命令は、突然下されたといいます。
『小出町史』には1945年当時の出来事が記されています。
「6月下旬、陸軍航空関係の二人の将校が伊米ヶ崎村(いめがさきむら)に現れ、八色原と近郷一帯を眺めて帰った」
「それから数日後の7月はじめに、『八色原に飛行場を建設するために土地を収用する。伊米ヶ崎国民学校校舎を兵舎に提供せよ』との命令が下った」
「既に沖縄は占領され、日本の大都市はほとんど空襲で焼け野原となっていたが、大本営は本土決戦を計画していたのであった…」
八色原で行われた急造工事。
国民学校の初等科(今で言う小学校)5・6年生や高等科(今で言う小学校)の2学年と卒業後の青年団員らが建設に動員され、鎌やくわを手に刈った芝を滑走路に植え付ける作業などを行いました。
当時5年生だった女性が記憶をもとに描いた絵画からも、その様子がわかります。
小学4年生だった桜井秀一さん(89歳)は、年上の児童たちが勤労奉仕に出向く様子をそばで見ていたそうです。
「男の人は芝を張る作業をした。なんで芝を植えたか…。上から見たときに畑、作物を作っている場所だなということを米軍にわからせる。『飛行場ではないんです』と、そういうことを飛行機の上で見たときに、そういうこと(偽装する)のために芝を張ったと思いますけどね」
当時18歳だった森山みつさん(97歳)は、疑問を心に隠しながらも、国家のためにと働きました。
「友達と一緒に、『あんな石ころだらけの八色原を開墾して小さな飛行場なんかつくったって、特攻隊が乗るような飛行機が飛べるか飛べないか…』。それだけの飛行場ができるかできないかわからないけど、まあ一応私らは言いつけられて仕事をしているから」
当時子どもたちの学び舎だった国民学校は、軍隊の宿舎になっていました。
【桜井秀一さん】
「学校そのものが全部兵舎として使用されましたから、学業はほとんど…。学校の勉強とか、それから教えられる歴史とか、そういうことに対してはまったく不勉強で、今にして思えば本当に何が正しい歴史だったのか、何のために戦争をやらなければならなかったのか。ただ戦争があって、兵隊さんが来て、そういう状態だったということですね」
当時の地元を研究している、魚沼歴史・民俗の会事務局の八海昭夫さん(69歳)に、重機の駐車場所として使われていた神社の杉の木を案内してもらいました。
そこには今も、古い傷が残っています。
「杉の木の根元。ちょっとくぼんでいますけど、ブルドーザーがぶつけた跡…」
八色原飛行場の予定地は当初、幅50m・全長1500mほどの計画だったと言われています。終戦後の1947年に撮影された航空写真には、畑を押し固めてつくった滑走路の痕跡とみられるものが写っています。
八色原飛行場にはアメリカ軍の本土上陸に備えた飛行基地の役割があったのではないか、と八海昭夫さんは考えています。
「関東のほうから敵が攻めてきますから、三国峠を越えて向こうへ撃って出る。そういう意味合いでは、最前線の基地・飛行基地をつくろうとしていたということだと思う」
そして、村にとって忘れられない日がやってきます…。
建設工事の開始から1か月あまりがたった1945年8月15日。
八色原飛行場の完成を祝う演芸会が開かれ、兵士や子どもも参加して、ひと時の賑わいに包まれました。
しかし…
【森山みつさん】
「お昼になったらやかましくなって、なんだかうるさくなって。『何があるんだろうね』なんて言っていたら…。『戦争に負けた』って。兵隊さんが怒って」
村に届いたのは敗戦の報せ。
この日完成した八色原飛行場は、一人の兵士も送り出すことのなかった“幻”の飛行場となったのです。
地元に暮らす住民たちは、当時を知る人がいなくなる前にと、その『記憶』を記した冊子を3年前にまとめました。
戦争の時代を生き、秘匿飛行場の建設に関わった、かつての少年少女たち。
そこに綴られた記憶は、子どもたちとすぐ隣り合わせにあった戦争の“事実”を語っています。
【森山みつさん】
「戦争ということだけはやってもらいたくない。何万人の人が死んだとか、何千人の人が死んだとか、そういうことを見たり聞いたりニュースでしますと、やっぱりもう絶対、戦争はやってもらいたくないですね」
魚沼市と同じような秘匿飛行場は当時、新潟県内に複数あったとみられるということで、大人も子どもも、そしてどこの地域で暮らしていても、戦争が生活に深く入り込んでいたことが伺えます。
当時を知る人が減っていく中で、『戦争の記憶』を次の世代へ受け継いでいくことが重要です。
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