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「小さくても“続ける”こと」 能登半島地震で被災した石川・穴水町と21年前に震度7の新潟“旧川口町” ともに歩む被災地の絆

BSN新潟放送 / 2025年1月16日 6時0分

BSN

去年の元日に発生した能登半島地震で、石川県は建物の倒壊や土砂崩れなど甚大な被害を受けました。“奥能登の玄関口”と呼ばれる穴水町では42人が亡くなり、地震後の人口流出も深刻です。
この場所に2004年に中越地震を経験した新潟県長岡市の住民が訪れました。2つの被災地の間には寄り添い、ともに励まし合ってきた長年の絆がありました。

まだ日が上らない午前6時。
長岡市川口地域の住民たちは、石川県穴水町へと出発しました。

「ガードレールが浮いていたりとか、車線をやっと確保して急ごしらえの道を通りますので…」

道のりは300km以上。およそ4時間半かけて到着した穴水町で、川口地域の住民有志たちは休む間もなく、炊き出しの準備に取り掛かりました。


それぞれが“21年前の震災”を経験しています。

NPO法人 くらしサポート越後川口 丸山健一代表理事(63)
「自分たちも苦労している経験がありますので、少しでも元気づけられればなって。いろいろな人に支援を受けた部分があるので、その“恩返し”をしたい」

2004年の中越地震で最大震度7の揺れに見舞われた旧川口町。
8割近くの住宅が全半壊し、地域の人口減少が加速…商店の廃業も相次ぎました。

中越地震から3年後の2007年、今度は能登半島沖を震源とする震度6強の地震が発生。大きな揺れは、川口と同じように穴水町の商店街にも打撃を与えました。

痛みを分かち合った川口と穴水の人たちは、互いの商店街の再生を目指して行き来し合うようになり、15年以上の交流があるのです。

当初からのメンバーの1人で、穴水町で酒店を営む七海友也さんは、去年発生した能登半島地震で再び被災しました。

七海友也さん(60)
「穴水の西側っていうか、外側のところが4メートルも隆起しているんだよ、60秒で。“まだ収まらない、まだ収まらない”って…」

「地震の時間って、すごく長く感じる。20秒とか30秒でも長く感じる」と川口の住民が話すと、七海さんは…
「それが60秒…もうひとりじゃ、なにもできなかった」

炊き出しのメニューは、災害時でも簡単に調理でき、日持ちする食材で作った「防災芋煮」と、大根煮。そして…

「俺はちょうどいいんだけど、地元の人は…」
「ちょっと濃くない?」

中越地震をきっかけに生まれた特別なそばです。

コメづくりが盛んだった川口地域では当時、中越地震で多くの田んぼがひび割れ、作付けが絶望的に…

「コメが駄目ならソバの栽培はどうだろう?」
落ち込む農家が前を向こうと育て始めたソバは、地震から20年目の秋も立派に花をつけました。

炊き出しに来た人
「遠いところから、いっぱい時間かかって来ていただいてありがとう」
「流れに任せるしか仕方ないなと思ったりもして、日々過ごしています。だから、こういうのがあると助かります」

寒い冬、立ち上る白い湯気が穴水の人たちを温めます。

この日、川口の住民たちは、打ち立てのそばと中越地震の震源地近くで実った「震央米(しんおうまい)」を手に、仮設住宅を回りました。

仮設住宅の住民
「“1年経つ”って、もう疲れてきたっていうかね…」

くらしサポート越後川口 丸山健一 代表理事(63)
「仮設住宅も3年くらいはいたかね、私たちもね。ぜひともお元気でいてください」

穴水町で酒店を営む七海さん。取引先の酒蔵や旅館、飲食店も地震で軒並み被害を受け、先が見えない1年でした。

七海友也さん(60)
「本当に…写真撮ったのが午後4時13分だから、発災3分後だよね… 店の中に入って来たら、案の定落ちるものは大体落ちていて。割れ物の海で、茫然自失だったのを覚えています」

能登半島地震では、1月7日時点で災害関連死を含む504人が亡くなり、2人が行方不明に。これまでに被害を受けた住宅は14万9000棟余りに上ります。

「元日の大きな地震でもう本当にトドメを刺されたようにして多くの店がだめになって… 商店街通りが“たまに商店のあるだけの通り”になってしまって」
七海さんは、そう声を震わせました。

地震発生前、40店舗ほどが看板を掲げていた穴水町の商店街はその多くが被災し、現在営業できているのはおよそ10店舗のみです。

このうち穴水商店振興会の会長で、文具店を営む吉村扶佐司さんは、地震からひと月後の去年2月に営業を再開しました。

穴水商店振興会 吉村扶佐司会長(76)
「『通りが真っ暗じゃ寂しい』ということで、思い切ってシャッターを上げた。この人口とかいろいろな状況を考えれば、順風満帆なんてことはありえないし、これからどうなっていくのかっていうのは、心配のほうが先だね」

被災した住まいや店舗の再建費用、そして地震で拍車のかかった過疎や高齢化は地域の行く末に重くのしかかります。
それでも、吉村さんは「やっぱり、穴水で生活したい。最後までいたい。傾いていても、汚くてもくさくても、“穴水町”。この空気がないとだめ」と話します。

そして、酒店を営む七海さんは…

七海友也さん(60)
「能登のことをこの被災のことを忘れないで、心を寄せていただいている。それを私たちがわかるだけで、寂しくないというか、うれしいというか。そうするとまた、きょうもあしたも、前を向いて歩いていけるんです」

地震から1年。被災地では、仕事や住まいを失い、先の見えない不安と闘っているという声が多く聞かれました。

同じ痛みを知る川口の住民たちは、「小さくても“続ける”こと」…それが被災地を勇気づけると感じています。

くらしサポート越後川口 丸山健一代表理事(63)
「動くだけが支援ではないし、ちょっとしたところで気を遣って、買い物しても被災地のものを買うとか募金とか、できることがあればしてみるとか。無理しないところで続ける、“忘れないでいる”というのが大切なんだと思います」

穴水商店振興会 吉村扶佐司会長(76)
「本当にどうも皆さん方にはお世話ばっかりかけます。きょうはどうもありがとうございました」

川口地域の住民 平澤勝幸さん(73)
「長い付き合い、細く長くそばのように。細く長く、もう10年がんばりましょう!」

川口と穴水。長年つむいできた人と人との絆が、この先も復興に寄り添います。

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