韓国人にとって原爆とはなにか? BTSのTシャツ騒動から考える

文春オンライン / 2018年12月14日 11時0分

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3年先までスケジュールが決まっているともいわれる防弾少年団 ©Getty Images 

 韓国でも、10月31日に封切られてから観客が700万人を突破し、大ヒットとなっている映画『ボヘミアン・ラプソディ』。

 英国の伝説のロックバンド「QUEEN」のこの話のラストシーンは、ネタバレになるが、1985年7月、ロンドンで行われた20世紀最大のチャリティコンサート「LIVE AID」だ。

 QUEENはこの中で、冷戦と核戦争を批判したとされる「Hammer to Fall」も披露した。「キノコ雲の恐怖の陰で、でも、誇りを持って育ち」という歌詞があるこの曲はQUEEN のギタリスト、ブライアン・メイが子供の頃に経験したキューバ危機(1962年)などをもとに作ったといわれている。

 同じキノコ雲で、11月にはK-POP史上でも記憶されるだろう出来事があった。

 キノコ雲の写真がプリントされたTシャツで物議を醸した、防弾少年団(BTS)の“原爆Tシャツ騒ぎ”だ。メンバーのひとりが1年前にキノコ雲の写真がプリントされたTシャツを着ていたとして、彼らのテレビ出演は見送られ、BTSの所属事務所は日韓の被爆者に謝罪した。BTSは今さら言うまでもなく、米国ビルボードにも登場する実力と人気を兼ね備えた、世界のスタだ。

「解放」のシンボルとしての原爆と、多数の犠牲者を出した原爆

 騒動は一段落した雰囲気だが、この騒ぎへの韓国の人の反応に、原爆を巡る認識の違いを痛感した。

 この騒ぎが起きた後、BTSのテレビ出演見送りを徴用工判決への報復と捉え、「(10月30日の徴用工)判決に文化報復する稚拙な日本」(東亜日報11月12日)と報じるメディアもあったが、市井の人々の声を拾ってみると、「韓国では学校でも原爆投下があって日本が戦争に負けて、韓国は日本の植民地から解放されたと教えられるし、だからそう思っている。決して原爆を称賛しているのではなくて、自分たちが解放されたことに重きがある」(40代、主婦)という見方が多かった。

「解放」のシンボルとしての原爆と、多数の犠牲者を出した原爆――こうした韓国国内での認識のズレにもっとも苦しんできた人たちは、他ならぬ韓国人原爆被害者の人たちだ。被爆者2世で韓国原爆被害者協会ソウル支部長の李キヨルさんに話を聞くことができた。

「被爆したつらさなんてとても口に出せない雰囲気だった」

「被爆者について語ると、韓国人の被爆者について知らない若い世代には、『韓国にいつ原爆が落ちたのですか』と質問してくる人もいたりする。私たちは韓国でも存在しているのに、していないも同然の存在なのです。だから、Tシャツが問題になったことで逆に、みなさんに広く知ってもらえる機会になったと思っています」

 李キヨルさんはそう言う。

 李さん一家は、父親が出稼ぎに出た広島の己斐町で被爆した。己斐町は原爆の爆心地からおよそ2.4キロのところにあり、資料によると己斐駅の駅舎は爆風で殆どが倒壊したとあり、李さんの家も爆風で崩れた。

「私は当時幼かったのでその雰囲気は思い出せませんが、両親や姉から聞いた話では、日本から解放された直後(終戦直後)の韓国人社会は解放の喜びにあふれていて、被爆したつらさなんてとても口にも出せない雰囲気だったそうです」

 終戦を迎え、その年の10月末に李さん一家は故郷のハプチョンに戻った。

「村には日本から帰ってきた人が多くて、今でも記憶に残っているのは、村でしばらく日本語が飛びかっていたことです。数年、いや、もっと使っていたかもしれません。解放されたのに、口に馴染んでいたのでしょうねえ」

釜山から車で2時間の山間にある“第2の広島”

 ハプチョン郡は、釜山から車でおよそ2時間ほどいった山間の村で、大半の働き手は徴用されたり、貧しかったため日本に出稼ぎに出ていたそうだ。今でも多くの被爆者がここに住み、昨年には原爆資料館が建てられ、韓国では第2の広島とも呼ばれている。

「幼い頃、村の外れの家に年中、部屋に籠もっている女性がいました。顔を見たのは一度きり。ドアのすき間からちらっと見えただけだったのですが、目がぎょろっとしていて、火傷痕だったのか、顔はただれていた。怖くなって一目散に家に帰りました。その女性が被爆者だったと知ったのはずいぶん後のことです。当時は村の中でもそんなことを言える雰囲気ではなかったんですね。

 でも、今でも、同じような状況です。互いが被爆したことを知っている親戚どうしでも、話題にしようとすると止める者がいる。自分の仕事に差し障りがでるから、口は慎んでくれというんです」

被爆2世だということは子どもにも伝えていない

 そういう李さんも、被爆2世だということを子供たちには今でも伝えておらず、原爆被害者協会に登録したのも、子供たち全員が巣立ってからだったそうだ。

 広島や長崎では数万人に上る朝鮮半島出身者が被爆したとされるが、韓国では、現在2300人ほどが被爆者として登録している。

 李さんはこんなことも言っていた。

「私たちはだから北朝鮮の核保有にも当然、反対です。金正恩労働党委員長にはこう言いたい。『北朝鮮も核を保有しない代わりに米国にも同じことを提案してみたらどうか』と」

 今回のBTSの騒動をめぐり、韓国原爆被害者協会は「全世界に原爆の被害を伝えることができてよかった」というコメントを出した。

原爆投下「正当」が過半数を超える米国と韓国

 米国で学んだ知り合いは、公共政策の講義で、1945年の原爆投下についての議論になった際、50人いた学生の中で自分を除いた全員が「必要悪」と答えたことに愕然としたという。

 戦後50周年にあたる1995年にNHKが複数の国で行った調査では、「米国が広島・長崎に原爆を投下したことは、その当時の米国としては正しい選択だったと思いますか、それとも間違った選択だったと思いますか」という質問に、「正しい選択」と回答したのは、米国(62.3%)と韓国(60.5%)では圧倒的だった。

 その20年後の2015年に米国の調査会社(ピュー・リサーチ・センター)が日米で行った調査では、米国で「(原爆投下は)正当だった」が56%、「正当でなかった」は34%とわずかながら変化がみられたが、それでも正当だとする声のほうが大きかった。

「対話を通してお互いの理解を深めるほうが望ましい」

 単純にひとつに括ることなどもちろんできないが、原爆は「絶対悪」と考える日本や「必要悪」と判断する人が多い米国、「植民地からの解放」ととらえる人が多い韓国など、原爆投下を巡る認識の彼我の差は大きい。

 日本原水爆被害者団体協議会の木戸季市事務局長は、BTSの所属事務所の謝罪にこうコメントした。

「こうした表現を巡る問題については対決や分断を煽るのでなく、対話を通してお互いの理解を深めるほうが望ましい」

 国によって見方が変わる事実はあまたある。批判するだけで終わり、またそれが対決や分断を促すためだけの批判であれば、そうした溝は埋まらない。

 何を伝え、どんな言葉を語り継ごうとしているのか、私たちはもっと自問すべきである。

(菅野 朋子)

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