イラク水滸伝――巨大湿地帯に、豪傑たちが逃げ込んで暮らした“梁山泊”があった!

文春オンライン / 2019年2月28日 11時0分

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舟を葦の棒で操る

「イラク」。なんて禍々しい響きなのだろう。イラクと聞いて思い出されるのは、サダム・フセイン、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、化学兵器によるクルド人虐殺、内戦、アルカイダ、イスラム国(IS)、自爆テロ、拉致、処刑、難民……。

 不思議なことに「イラク」という国名が一体どこから来たのかははっきりしないのだが、世界最古の都市とされる「ウルク」に由来するという説もある。ウルクは今から5000年以上前にユーフラテス川のほとりで栄えた。人類史上初の文明、いわゆるメソポタミア文明だ(初期のメソポタミア文明は、担い手がシュメール人だったので、シュメール文明とも呼ばれる)。

イラクへの想いは止んだことがない

 日本の自衛隊が派遣されたサマワという町の郊外に今もウルク(ワラカ)の遺跡がある。ウルクとその周辺地域では文字が創られ、灌漑農業が開発され、学校や役場が始まり、土地の売買や賃借が行われ、パンやビールが生み出された。酒を飲みながら男と「立ちバック」で交わる粋な女性のレリーフすら発見されている。現代文明はウルクが源であるといっても過言ではない。

 イラクとウルクが醸すこの両極端なイメージはしかし、現在のイラク人の生活やリアルな状況を何一つ語ってくれない。だからこそ自分で行って、この目で見てみたいと思うのは人情だろう。だが、いかんせん、外国人が行くには難しい国だ。それは20年前から今に至るまで変わらない。

 実は、私は1990年代半ばにイラクに長期滞在しようと考えていた。イラク人を見つけて友だちになり、アラビア語を習っていたこともある。だが、うまい方策を思いつけず計画は頓挫してしまった。最近ではアルカイダやイスラム国が登場し、ひじょうに危険とされているが、イラクへの想いは止んだことがない。

どうみてもアラビアの風景に見えない

 そんな折、朝日新聞の国際面を開いたら驚くべきニュースが目に飛び込んできた。2017年1月のことだ。

「砂漠の国 文明育んだ湿地」という見出し。頭に布を巻いたアラブ人が小舟で水上を行き交い、水牛が泳いでいる写真。どうみてもアラビアの風景に見えない。

 記事を読んで再度びっくりした。ティグリス川とユーフラテス川の合流点付近にはかつて、最大で日本の四国を上まわったこともある面積の「湿地帯」が存在し、そこを生活拠点とする水の民が暮らしているというのだ。私もそれは聞いたことがあったのだが、すでに失われた過去の話だと思っていた。

世界史上には、レジスタンス的な湿地帯が数多く存在する

 この湿地帯は昔から戦争に負けた者や迫害されたマイノリティ、山賊や犯罪者などが逃げ込む場所だった。湿地帯は馬もラクダも象も戦車も使えないし、巨大な軍勢が押し寄せることもできない。迷路のように入り組んだ水路では進む方角すらわからなくなるからだ。

「水滸伝」の梁山泊さながらである。

 水滸伝はご存じのとおり、中国四大奇書の一つ。腐敗と悪政がはびこる宋代を舞台に、悪徳役人に陥れられたり暴れん坊すぎて町に住めなくなった豪傑(水滸伝世界では「好漢」と呼ばれる)が、普通の人や官憲が近づけない湿地帯の中に次々と集まり、山賊的な行為をはたらいたり政府軍と戦ったりするという筋書きだ。彼らの集まった湿地帯内の拠点が梁山泊である。

 世界史上には、このようなレジスタンス的な、あるいはアナーキー的な湿地帯が数多く存在する。水滸伝自体、山東省の湿地帯に実在した盗賊集団をモデルにしているというし、他にも、ベトナム戦争時のメコンデルタ、イタリアのベニス、ルーマニアのドナウデルタなどがある。日本では濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川のデルタ地帯がそうで、かつては権力から独立した人々が住んでいた。信長を最も苦しめた長島の一向一揆がそれだ。

「元祖・梁山泊」といってもいい

 イラクの湿地帯はその中でも最古である。なにしろ、至近距離で人類の最初の文明が誕生しているのだ。文明が誕生したとほぼ同時に、文明(国家的な権力)から逃れる場所が出現したのかもしれない。「元祖・梁山泊」といってもいい。

 イラクではそれがつい最近、1990年代まで続いた。反フセイン勢力が湿地帯に逃げ込んで抵抗していたらしい。フセインは怒り、大軍を繰り出して攻めるが、湿地ではどうにもならない。そこで最後にこの独裁者がとった手段は「水を止めること」だった。ティグリス川とユーフラテス川に堰を築き、湿地帯に流れ込む水を文字通り堰き止めてしまった。水がなければ、生活ができない。水の民は都市部や他の地域へ移住を余儀なくされ、何千年も続いた「元祖・梁山泊」は姿を消した――。

 そのように漠然と耳にしていたわけだが、記事によれば、フセイン政権が崩壊した後、住民が堰を壊し、水が再び流れるようになり、湿地帯は半分ぐらい復元されているという。水牛を連れた水の民もある程度は戻ってきているらしい。水滸伝、再びなのだ。

 イギリスが後押ししていたイラク王国時代にはウィルフレッド・セシジャーという有名な英国人探検家がここに長期滞在して記録を残しているが、1958年に共和制に移行して以降、この地について記した書籍は数えるほどしかなく、さらにフセイン政権時代には入るのも難しくなっていく。ましてや、復活後の湿地帯について書かれた本はまだ見当たらない。

人間だけでなく生物にとっても避難場所だった

 それにしても、荒涼とした砂漠というイメージしかないアラビア半島なのに、水牛を飼って小舟で移動している人が住んでいるとは……。

 もう一つ驚いたのは、湿地帯が世界遺産に指定されたばかりだということだった。

 英語では The Ahwar of Southern Iraq: Refuge of Biodiversity and the Relict Landscape of the Mesopotamian Cities。

「南イラクのアフワール:生物の避難所と古代メソポタミア都市景観の残影」

(※UNESCO〔ユネスコ〕の日本語サイトにはこう書かれているが、「生物の多様性が残された地域」と訳す方が適切ではないだろうか)

「アフワール」とは「湿地帯」を意味するアラビア語の一般名詞だが、世界遺産登録後はどうやらイラクのこの湿地帯を指す固有名詞にもなった模様だ。本連載でも「湿地帯」と「アフワール」の両方を適宜に使っていく。もちろん意味は同じである。

 ともかく、湿地帯は人間だけでなく生物にとっても避難場所だったというのが面白い。

 ユネスコのウェブサイトにはこう説明されている。

 アフワールは、イラク南部の3つの考古学遺跡と4つの湿地帯からなる地域。都市遺跡ウルクとウル、およびエリドゥの遺丘は、チグリス川、ユーフラテス川の沼沢デルタ地帯において紀元前4000年紀から前3000年紀にかけ、南メソポタミアに展開したシュメール人の都市と定住地の痕跡の一部をなしている。「イラク湖沼地帯」とも呼ばれる南イラクのアフワールは、世界で最も大きな内陸デルタの一つで、極度に高温かつ乾燥した環境における、ほかに例を見ない場所である。

しかし、無事にたどりつけるのだろうか

 中東の巨大湿地帯というひじょうにユニークな自然とシュメール文明の遺跡のセットである。これほど魅力的でありつつこれほど行きにくい世界遺産は他にないだろう。

「これだ!」と思った。ISが猛威を振るっていたり、戦闘が行われているエリアには私は興味がない。大勢のメディアが報道している場所に私が行く必要がないからだ。それよりこの湿地帯は全然知られていない。イラク水滸伝、すごく面白そうじゃないか。

 しかし、湿地帯まで無事にたどりつけるのだろうか。当時、イラクではISと政府軍の攻防が熾烈を極めていた。記事を書いた朝日新聞の記者、小森保良さんに会って話を聞くと、「IS取材のついでに湿地帯を訪れた」とのこと。湿地帯までは首都バグダードから防弾車で往復したというが、湿地帯の治安は悪くなさそうとのことだった。もっとも小森さんも2泊しかしていないので詳しいことはわからない。

「こりゃ行ってみるしかない!」といつものように単刀直入に決意してしまった。だが、さすがにイラクは他の国とはちがう。海外の危険度を4段階に分けている日本の外務省の渡航情報によれば、バグダード周辺と北部はすべて「レベル4」でその趣旨は「ただちに安全な国・地域へ退避してください」。湿地帯を含む南部も「レベル3:その国・地域への渡航はどのような目的であっても止めてください」である。それだけではない。イラクのビザを取得するにあたって、イラク国内の保証人が必要らしいが、私にそんなコネクションはない。入国するだけでも容易でない。

 また、たどり着いても梁山泊にのこのこ入り込んで行って大丈夫なのだろうか。

 その辺はまださっぱりわからないながら、「イラク水滸伝」の思いつきに捉えられてしまった私は準備をせっせと始めたのだった。

(続きは 『オール讀物』2019年3月・4月合併号 に掲載中)

写真=高野秀行

(高野 秀行/オール讀物 2019年3・4月号)

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