「日本を離れて『日本』が大好きになった」13年前にイチローが語った日の丸への思い

文春オンライン / 2019年3月26日 17時0分

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3月21日、深夜に行われた会見は85分にも及んだ ©文藝春秋

「孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました」。引退会見の最後、イチローはアメリカに渡ってからの「孤独」について語った。

 日本から離れて「日本が大好きになった」というイチロー。日本人として、世界を舞台に戦うことの意味とは何なのか。遡ること13年前、WBCで優勝を決めた直後の独占インタビューを特別公開する。   

(出典:「諸君!」2006年11月号)

◆ ◆ ◆

 2006年3月20日。米・カリフォルニア州サンディエゴ・ペトコパークのグラウンドに、一本の日の丸がはためいていた。

 野球の国別対抗世界一を決めるために、初めて開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。大会はこの日、決勝戦を迎え、日本とキューバが激突した。試合は日本がアマ球界NO1といわれたキューバを10対6の圧勝で下し、初代のワールドチャンピオンの座に輝いた。

 優勝を決めた日本代表の歓喜の輪の中心には、誰が持ち込んだのか一本のポールにくくられた日の丸があった。代わる代わる選手がその日の丸を持って思い思いに打ち振るう。チーム最年長の宮本慎也(ヤクルト・スワローズ)から、日の丸はこの大会でチームの中心的な役割を果たしたイチロー(シアトル・マリナーズ)の手に渡された。

 表彰式の間、日本代表チームの監督を務めた王貞治(ソフトバンク・ホークス)の隣で、そのポールを手にしたイチローは、背筋を伸ばし誇らしげな表情で何度も頭上の日の丸に目をやっていた。

「なぜだか分からないけど、最後になって(チーム全体に)国という気持ちが湧き上がってきた。だからあれだけまとまったんだと思います」

 日の丸の下への結束――イチローは優勝の理由を、チームの中に芽生えたその意識にあったとはっきりと言い切った。

 何のために戦うのか……。もちろんプロの集団だったWBCの代表メンバーには、それぞれのモチベーションがあったはずだ。己のプライドのために。日本の球界のために。それとも愛する家族やサポートしてくれたスタッフ、ファンのために。それぞれが持つ戦いの意味は、だが最後の最後で一つに束ねられた、とイチローは言う。日の丸のために戦うという共通した意識が生まれたことが、WBC優勝の要因だったというのだ。

 だから優勝の瞬間、グラウンドにいたどの選手も、日の丸に対して素直に熱い思いを抱けた。あの瞬間に自分たちの勝利の象徴としてはためいていたのが、日の丸というシンプルなフラッグだったわけだ。

 その日の丸に対するイチローの思い入れは、いったいどんなものなのか。

 インタビューは、マリナーズの遠征先、米・カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のオークランド・アスレチックスの本拠地であるマカフィー・コロシアムで行なった。当日、イチローは前日より1時間近く早い午後2時半に球場入りした。まず外野で入念なストレッチを行なって、ロッカールームに戻ってきた。何人かのチームメートが楽しそうにトランプに興じる横で、着替えを済ませたイチローは、まず静かに日の丸観について語ってくれた。

――イチローさんにとって日の丸とはどういうものでしたか?子供のころとかに、家で国旗を揚げたりする習慣はありましたか?

イチロー ボク自身(が揚げることは)はないですよ。家に(日の丸が)あったりはしましたけど。

――旗日とかに日の丸を揚げることはありました?

イチロー 昔は見た気がしますねえ。でも、特に印象は残っていませんね。

――特に残っている日の丸の印象はないですか?

イチロー ないですね。

王監督の覚悟を感じて

 イチローは1973年10月22日、愛知県生まれである。愛工大名電高から92年にオリックス・ブルーウェーブに入団。プロ野球選手としてのスタートを切った。文部省によって、学校の入学式や卒業式などの行事で日の丸の掲揚と君が代の斉唱が義務付けられた90年は、イチローが愛工大名電高の2年生のときだった。世代的にはギリギリ日の丸、君が代義務化世代ということになる。ただ、学生時代は、まだそれほど学校での日の丸、君が代問題がクローズアップされていなかったこともあり、個人的な体験として日の丸の印象が希薄なのは仕方ないかもしれない。

――WBCのときに日本代表という立場から、その象徴として日の丸を背負うというのがあったと思います。そのことはプレーする上でプラスになったり、逆にマイナスになったりしたことはありましたか?

イチロー それは比較対象がないので……。ボクは(日本代表として試合に臨んだのが)今回が初めてだったし、それはなんとも言えないですね。

――チームがまとまっていく上で日の丸のもとでというのは、一つの方法論としてあったと思いますか?

イチロー 方法論ですか?

――まとまっていくためのキッカケとしてでもいいです。

イチロー ボクは最初は少なかったと思いますね。それほどでもなかったと思います。日本ラウンドのときは。アメリカに行ってまあ、審判の問題(※)があったりして、盛り上がりましたよね、確かに。あそこから、そういうものが表れたというのはあったと思いますね。その相手がアメリカだったというのも大きかったと思います。

※二次リーグのアメリカ戦。3対3の同点で迎えた8回一死満塁、岩村の左飛で三塁走者の西岡がタッチアップして日本に一度は勝ち越し点が刻まれた。しかし、米国側の抗議でボブ・デビッドソン主審はタッチアップが早かったと判定を覆し、日本の得点が認められなかった。試合は米国がアレックス・ロドリゲス選手の安打でサヨナラ勝ちを収めた。

――誤審騒動……。

イチロー ボクは誤審とは言わないですけどね。あれが例えば、相手がメキシコだったら違ったかもしれませんね。あの相手がアメリカだったことで、多分、世の中の人も、やっぱりボクらは昔からメジャーリーグというのが最高峰、一番レベルの高いところだと思ってきたし、現在も、昔とは多少、温度差があったとしても、位置づけとしては多分、そうですから。アメリカに勝つということが、今回、ひょっとしたら世界一になることよりも重要だったかもしれない、日本人にとってはね。で、ああいうことが起こって一気にそれが……気持ちが高ぶっていったというのはあるかもしれませんね。

――そのとき日の丸のために結束しようとか、日の丸のために戦おうとか、そういうことはチームの中で言われましたか?

イチロー 王監督は最初の日に、集まったときに、それは言われました。しかし、ボクはそのときは最初にいったように、みんなにその気持ちが強かったとは思えない。仕方なく来たという雰囲気すらあったかもしれない。実際は分からないですけど。だからすべてはアメリカが作ってくれたもの、結果的にはね。そう思います。

――イチローさん自身は、最初に王監督の話を聞いたときにどう思いました?

イチロー 王監督の話を聞くよりも、ボクは王監督が日本代表の監督を承諾されたこと、その覚悟は非常に大きいと感じていたので、だからボクもそれに賛同したんですけども。王監督があれを言ったことよりも、王監督が監督をやるという決断をしたことの方が、ボクにとっては意味のあることでしたから。そこでは色んなことを感じましたよ。

――例えばどういうことを感じました?

イチロー 例えばどういう覚悟をもってやっているのか。ものすごいリスクがあったと思います。当然、いま現役の監督をされていてチームを離れなければいけない。それでもあの大事な時期に……日本のために立ち上がっていただいたわけですよね。それはもう難しいことではないですよね、(覚悟の大きさを)想像することがですね。

――もちろん国籍のことも考えられたと思いますし……。

イチロー うん……。

――それが日の丸を背負うということもあったと思います。

イチロー ハイ。

――そういう色々なことを含めてということですね。

イチロー もちろんです。

 日本代表監督を務めた王が中華民国籍であることは改めて説明する必要はないだろう。中国民国籍の王が日本代表を率いることについては、王自身は大会中の記者会見で「私は日本で生まれ、日本で教育を受けた。国籍はちがうが日本人的な人間と思っている」と語っていた。

――イチローさん自身が決断した理由というのは王監督の決断があって、でも、それだけではないですよね。

イチロー もちろんです。アメリカに来たからだと思いますね。ボク自身がいま日本でプレーしていたら、もし、声をかけられたとしても、(WBCでプレーを)やっていなかった可能性はありますね。

――アメリカに来て日本人であることを意識した……。

イチロー そういうことですね。

「奥深い民族ですから」

 オリックスで9年間プレーし、94年から7年連続首位打者を獲得したイチローは、2000年オフにポスティング制度を使ってシアトル・マリナーズと契約を結んだ。メジャー1年目の01年にはいきなり首位打者と新人王を獲得。その後も04年には262安打を放ってMLBの年間最多安打記録を塗り替えるなど数々の記録を打ち立てているのは説明するまでもない。

――日本人として意識するのはどういうところでですか?

イチロー それは一つではないですね。そんなのもう5年間やってきて、色んなものを感じてきて、簡単に言えば日本のことが、日本にいるときよりも大好きになっているということですよね。

――例えば?

イチロー 日本人の奥深さみたいなこと。色んなところで感じますよ。例えば丁寧語があったりとか。言葉の使い方で色んなこと……その人の人格が見えたりとか。立場をわきまえているのかどうかとか、そんな細かいことまで言葉を交わさないでも、会釈ひとつで色んなことが交わせる。そういう奥深い民族ですから。アメリカのなんていうかな……上っ面なところ……上っ面な人が結構多いんですけど、要はそういう人たちにボクらは負けるわけにはいかないと思ったことが大きいですよね。

――日本人のプライドということですか?

イチロー ま、それもあるでしょうね。

――そういうものは日本では感じられなかったですか?アメリカで比較されるものを見て、感じたということが大きかったですか?

イチロー 当然、そういうことですね。

――話は日の丸、君が代ということにもどりますが、野球の場合は国際試合の前に国歌演奏しますよね。WBCの場合も君が代が演奏されたんですけど、それを聞いているときはどういう気持ちでした?

イチロー もうちょっと軽快なほうがいいなと思いましたけどね。試合が始まる前にね。そういうのはありましたけど……。最後の決勝の前の君が代の最後のところでね……何ていうのか……“ガシャーン”ってやるやつね……シンバルっていうの(筆者注=キューバの応援団が鳴らした)……あれはないなと思いましたね。ああいうのを見るとちょっと失礼な感じもするし、やっぱりああいうときに、ああいう瞬間に日本人としての“やっぱりオレたち日本人で、日本が好きなんだなあ”って思いました。カチンときましたね。

――韓国戦で向こうのナショナリズムが前面に出てきて、すごい応援だったと思います。ああいうナショナリズムは日本人の場合はなかなか出にくい。韓国のああいう姿をご覧になって、日本人のナショナリズムに関してはどう感じますか?

イチロー いやー、日本の人も……今回が野球の世界で初めてだったということもありますけど、サッカーの世界ではね、世界と戦ってきている競技の世界ではね、日本人のそういうものも強く感じるわけですから。ボクは日本人ってやっぱり素晴らしいなあと思いますね。あの韓国の応援を見ても。で、韓国の選手がいいプレーをすれば日本では大拍手が起こるわけですから、やっぱり日本人って器の大きい感じもするし。今回色々な発見がありましたよ、ボクの中では。

――その他の部分でどんな発見がありましたか?

イチロー ボクはだから野球、今回は全員がプロで、プロのオールスターで臨んだわけですから、ボクは勝つだけではいけなかったと思うし、勝つことが最強のチームではない、いわば立ち居振る舞いみたいなものがプロとして大事なことだと思ったし、そういうことが日本の人というのは考えられていると思いますね。

――日本人には姿勢のいい、背筋の伸びた国民性を誇る文化があると思いますが、そういう部分が野球の中でも示せるということですか?それは勝つことによって示されるのでしょうか?

イチロー いや勝つことによってではなく、負ける中でも示せることですから。当然、勝ったチームはそれをしなくちゃならないですけど。それでは今回、(アジア予選や二次リーグの)それぞれの試合で勝ったチーム、優勝はしなかったけど、その勝ってたチームがそれを示したかというと、ボクはそうではなかったと思うんです。

 大会直前にイチローが「向こう30年は日本に手は出せないな、という感じで勝ちたい」と発言したことに、韓国サイドが猛反発。これを機に大会では韓国のファンばかりか韓国チームも巻き込んだ猛烈なイチロー・バッシングが行なわれた。このイチロー・バッシングが、もともとスポーツの世界で日本に比べると、ナショナリズムの色合いが一層濃く出る傾向にある韓国に火をつけた感もある。

 二次リーグが行われたロサンゼルス近郊にあるアナハイムのエンジェル・スタジアムには、ロス近辺から大挙して韓国の応援団が集まりスタンドを埋め尽くした。スタンドには「独島(竹島の韓国名)」とハングルで書かれたプラカードが林立するなど、領土問題まで持ち出され、猛烈な対抗意識がむき出しになった。

 二次リーグの日本対韓国戦では、試合後に勝った韓国ナインが、マウンドに韓国の太極旗を立てるパフォーマンスを行ない、球場関係者の顰蹙を買う場面もあったほどだった。一部ではマウンドを竹島に見立てたという説もあり、単なる野球の試合ではなく、国と国の対決というナショナリスティックなぶつかり合いが大きくクローズアップされた。

 この韓国の行為に対し、日本チームは準決勝で勝った試合後に、上原浩治(読売ジャイアンツ)、清水直行(千葉ロッテ・マリーンズ)両投手が日の丸をマウンドの上に広げて置く、というパフォーマンスで返している。

――韓国が日本戦で勝ったときに、マウンドの上に太極旗を立てましたよね。それについてどう感じましたか?

イチロー ありますよ。ありますけど、ボクはそれはメディアには言わない。

――逆にその後、日本が勝ったときに、日の丸をマウンドの上に置いたことについてはどうですか?

イチロー それもありますけど、ボクはメディアにはそれも言わない。

――スタンドで日の丸が振られるのを見て感じることはありますか?

イチロー それは感じますけど、ボクらはここ(袖)に日の丸をつけていること、たとえスタンドにそれがなかったとしても日の丸について、やっぱりボクらは重いものを感じていたと思いますね、ここについていたことで。その数がどうとかは関係ないですよね。

――スパイクに日の丸をつけたのは、いつ頃決めたんですか?

イチロー 出場を決めたときですよ。

――なぜつけようと思ったんですか?

イチロー 特別感が欲しかったというのがあるでしょうね。ま、そんな深い理由はないですよ。

――やっぱり袖口とかはあまり見えないじゃないですか。足元見たときに日の丸がよく見えるようにとか、そういう意識じゃなかったですか?

イチロー いや、自分が見えるために、例えば……なんだろうな……ケガをした選手の背番号を帽子に書いたりとかって、ボクはああいう行為っていうのは、全然ボクのスタイルではなくて、むしろ嫌いなんですよ。

――心の中ですか、やっぱり。

イチロー 自分で思っていればいいわけですから。別に見ている人にそれを示す必要はないわけで。だから書くんなら裏側に書けよって思うんですけど。だから今回はボクは、それとは違うんですけど、初めてということが大きかったですね、日の丸を背負うことが。それはプロとしてのパフォーマンス的な部分もあったかもしれないですね。

――(ストッキングをひざまで見せた)クラシック・スタイルにしたのは、それとは関係ないですか?

イチロー それとはねえ、きっかけを探していたんで、ずっと去年から。これ(WBC)がいいきっかけになったということです。

――日の丸が見えるために、あのスタイルを選択したわけでは……。

イチロー まったく違いますね。まったく違います。

――君が代は歌えますよね。

イチロー 歌えと言われれば。

――歌いました?

イチロー 気持ちの中では。

――意味は知っていますか?

イチロー ウン、知っているつもりです。ちょっと解釈は時代によって違うみたいだし、難しいところではありますよね。

――日の丸もアジアでは日本人が思っているものと違う意味合いで見られていると思います。その日の丸を目にする機会というのはいまスポーツの場面が一番多いでしょう。それではそういう様々な背景があっても、やっぱりスポーツという場面で必要なものだと思いますか?

イチロー 日の丸が? ウーン……。

――例えば日の丸じゃなくてもいいんじゃないかという考え方もあると思うんですよ。みんなが結束して、集まっていく目印として、例えば日本代表の旗があればそれでいいという考え方もある。それともやっぱり白地に赤い日の丸というのは必要だと……。

イチロー それは色んな考え方があっていいんじゃないですか。

――イチローさんご自身はどう思います?

イチロー ボクはだから、新しいものにトライして何かを見つけていくことも大事なスタイルだし、古いものにも大事なものってたくさんあるから、それも大事にしていく。そういう意味ではボクは(日の丸は)大事なものだと考えていますけどね。

――日の丸でいいと思います?

イチロー 日の丸で、なのか、日の丸が、なのかは分からないですけど、僕はいいと思います。いいと思いますね。ただ考え方として、色々なものがあるのもいいと思いますね。

――最後の質問です。日の丸を背負った戦いは、何のために戦うんですか?国のためなのか、日本の野球界のためなのか。チームのためなのか、家族や自分を応援してくれている人のためなのか。それとも自分自身のためなのか。イチローさん自身は初めて日の丸を背負って戦ったこのWBCでどんなことを思って戦っていましたか?

イチロー どれもかぶっているでしょうね。一つではないです。

――それでは国のためにという気持ちもありましたか?

イチロー 当然ありました。

――日本球界のためにということも?

イチロー ありました。

――強いて言えば、どれが強かったですか?

イチロー ボクはまず自分ありきっていうか、自分がなかったら、それは始まらないですから。そう考えてはいます。

――そういう自分というものから家族やチームと広がっていったものが国なのか。それとも先に国があって、日本の球界があって、そういうのはまた別物なのか。

イチロー 順番はつけがたいですね。でも、自分のプライドというのは大きかったですね。それは確かですね。ただ日本人としてのプライドも大きかったです。それは順番はつけられないです。

――そういう意味では色んなものが並列しているという……。

イチロー ただ最後は国ってことになるんでしょうね。最後は。そう思いました。

――なぜですか?

イチロー 分からないです。なぜかは分からないですけど、そういう気持ちが湧き上がってきたから、あれだけまとまったんでしょう、最後はね。

日の丸を背負う意味

 WBCを通してイチローのイメージは変わったと言われる。

 それまでのイチローは自分の世界に他人を踏み込ませない孤高のアスリート、ある意味、近寄りがたい鎧をまとっているようなイメージだった。しかし、WBCでのパフォーマンス、チーム内での言動が伝わってくるに従い、これまでのプレーヤーとしての評価だけでなく、新たにリーダーとしての評価が高まっていった。

 日本代表のためにグラウンド上だけでなく、様々な局面で献身的に行動するリーダーとしての評価。日本人メジャーリーガーのもう一人の代表ともいえる松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)が、個人的な事情からWBCへの出場を辞退したことで、それはより一層、際立ったようにも見えた。

 そうした背景の中で、イチロー自身もこのWBCを通じて改めて、自分自身の戦う意味を問い直していたのではないだろうか。

 イチローの所属するシアトル・マリナーズはここ数年、優勝争いから見放され下位に低迷するシーズンが続いている。その中でイチロー自身は自分の最高のパフォーマンスを求めて、練習を続け、試合に備え、プレーを続けてきた。その結果がメジャーでも特別な記録となって残っている。

 プロのアスリートはもちろん、数字との戦いを第一義とする。イチローにとりメジャー挑戦の1年目から、ずっとこだわり続けているのはシーズン200本安打だった。「まず自分ありき」というのは、アスリートとしてこだわり続ける目標があるからだ。

 同時にアスリートたち、特にプロフェッショナルなアスリートたちの戦いには「勝つこと」、そしてその「勝ち方」へのこだわりも常についてまわる。ただ、野球をはじめとするチーム競技の場合は、個人のパフォーマンスをどれだけ上げても、それがチームとしての結果に直結しない場合もあるというジレンマを秘めている。現にマリナーズでのイチローは、プレーヤーとしてのあり方にことのほかこだわり、その中で安打を打ち続けている。しかし、チームとしては「勝ち方」にこだわる以前に、勝つことすらできない現実を突きつけられ続けているのだ。

 自分のパフォーマンスをいかにチームとしての結果に結びつけるか。それはすなわちイチロー自身が、グラウンドに立ち、戦うもう一つの意味を、自問することだった。

 今回のWBCの日本代表は、当初はその結束に、チーム内からさえも疑問の声が投げかけられるほどだった。WBCという大会そのものが、初の試みであり、その位置づけを疑問視する声があったのも大きい。

 その中でイチローは王監督がチームの指揮を引き受けた決意の重さに、戦う意義を見出していた。そしてその戦いとはグラウンドの中でヒットを打ち、盗塁を決め、ファインプレーをするだけではなく、日本代表としての「勝ち方」にもこだわっていた。当初は集まった意義すらも見えないままだったチームに、イチローが絶えず示し続けたものは「日本代表」としての強い意志だった。

 イチローはことあるごとに国を代表して戦う意味、日の丸を背負う意味をチームの中で説いてきた。最初は“イチロー・チルドレン”といわれた川﨑宗則(ソフトバンク・ホークス)、西岡剛(千葉ロッテ・マリーンズ)、青木宣親(ヤクルト・スワローズ)らの若手選手に語りかけることで、その波は少しずつ広がっていった。“30年発言”も、アジアの中での日本野球の立場をチーム全体に再認識させるためのパフォーマンスだった。スパイクに入れた日の丸にも、本人の意思とは別に、チームに対して何らかの形で影響を及ぼすものがあったかもしれない。

「ボクらはここ(袖)に日の丸をつけていること、たとえスタンドにそれがなかったとしても日の丸について、やっぱりボクらは重いものを感じていたと思いますね、ここについていたことで」

 インタビューの中でイチロー自身はこう語っている。今回のWBCの戦いの中でイチローが感じていた日の丸の意味の重さだった。そしてイチロー自身もその重さを自覚し、その意味を語りかけることでチームの輪の中心となり、これまで見せなかった新たな一面を周囲に示すことになった。イチローは変わったのではなく、ずっと隠れていたイチローが、日の丸を背負うことによって見えてきた、というほうが正しいのだろう。イチローにとっても、それは初めての経験だったかもしれない。

 こうした現象はWBCにおけるイチローだけに限られたものではなかった。

 日の丸のために戦う――。アスリートたちが国際舞台に立ったとき、そのことを意識することは何らかの形でパフォーマンスに影響を及ぼすものなのだ。それは個々のアスリートにとっては、今までの自分とは違う自分、新しい可能性との出会いでもあった。

(鷲田 康/諸君! 2006年11月号)

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