元ドロシーリトルハッピー高橋麻里の告白「ローカルアイドルとしてPerfumeをめっちゃ意識してた」

文春オンライン / 2019年5月12日 17時0分

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元ドロシーリトルハッピー高橋麻里さん

 ももいろクローバーZやでんぱ組.incがブレイクしたアイドル戦国時代、東京以外の都市を拠点にしたグループの活躍も目を惹いた。

 なかでも、宮城県仙台市を拠点としたドロシーリトルハッピー(Dorothy Little Happy)は、TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)2011でのパフォーマンスが話題になり、ファンに「見つかった」グループだ。

 彼女たちの意識を変えたのは、東日本大震災から1カ月後に仙台で行われたチャリティーライブだったという。昨年12月にグループを卒業した高橋麻里さんにローカルアイドルとしてのドロシーの躍進とその後について聞いた。(全2回の1回目/ #2へ )

◆◆◆

ローカルからブレイクしたPerfumeをめっちゃ意識した

――高橋さんは小さい頃から歌うことが好きだったんですか?

高橋 好きでしたねぇ。両親の影響でアイドルが好きになったんです。3歳の時、モーニング娘。さんのライブをお父さんに肩車してもらって観た思い出があります。『ザ・ピース!』の頃だったかな。小学4年生の時に松浦亜弥さんが好きになって、仙台サンプラザで観たライブがきっかけで「自分もアイドルになりたい」と思いはじめたんです。

――松浦亜弥さんは歌が上手いですよね。

高橋 そこは重要だったと思います。「歌が上手くて、踊れて、かわいくて、いつも元気」という自分が目指すアイドル像が形成されました。

――11歳で仙台にあるモデル・タレント事務所のステップワンに入ります。

高橋 仙台のローカル紙に「キッズモデル募集」と載った広告がきっかけです。歌やダンスのレッスンも受けられると知って応募しました。

――宮城県民にとってステップワンは有名な事務所だったんでしょうか?

高橋 当時はいまほどアイドル文化が浸透していなくて。私が言うのもなんですけど、ドロシーができてから知られるようになったと思います(笑)。

――アイドルを輩出している事務所としてアクターズスクール広島は意識していましたか?

高橋 Perfumeさんがローカルアイドルからブレイクしたことでめっちゃ意識してました。スタッフの方からPerfumeさんのライブ映像を観せてもらって「いいところは学びなさい」と言われたこともあります。

高校受験のとき芸能界をやめるつもりだった

――高橋さんが入る時からステップワンはライブイベントを開催していたんですか?

高橋 すでに5つくらいのグループがあってライブをやっていました。私は歌もダンスもゼロの状態から入ったので、最初は底辺でユニットに選ばれることもなくて。レッスンのたびに自分がふがいなくていつも泣いてました。ちょっとずつ上手くなって「ライブに出たいな。ユニットに入りたい」と思うようになったんです。

――その結果、ユニットに入れたわけですよね。

高橋 1年後くらい B♭(ビーフラット)に入ったんですけど、私にとっては奇跡みたいなものでした。

――さらに、高校1年生でドロシーリトルハッピーのメンバーに選ばれました。

高橋 その前に高校受験をきっかけに芸能界をやめようと思ったんです。受験勉強のためにお休みを1カ月いただいたんですけど、自分の時間が作れることがわかって「ここが区切りかな」と思いはじめたんです。事務所にその挨拶しにいくと「メジャーデビューできるグループを作る計画もあるからやめないでほしい」と言われたんです。少し悩みつつ続けることにしたら、ドロシーのメンバーに決まって。

ブラックサンダーで飢えをしのいだ東日本大震災

――高1でやめなくてよかったですね。

高橋 はい。あの時の自分に感謝してます(笑)。そもそもドロシーに選ばれないと思ってましたから。逆に、他の4人は「選ばれるだろうな」というメンバーで、「私は見る目があるな」と思いました(笑)。

――2011年3月16日にミニアルバム『デモサヨナラ』でメジャーデビューすることが決まりましたが、東日本大震災によりリリースイベントが中止や延期になってしまいます。

高橋 震災が起きた当日はグループのことを考えられなかったというか、自分の生活のことでいっぱいいっぱいで。

――高橋さんの生活にはどんな影響がありましたか?

高橋 ガスも電気も止まっていたので避難所で一日過ごすことになって、普通の生活に戻るまで1週間くらいはかかりました。コンビニで買い物するにも5時間くらい並ばなきゃいけないので、震災前にファンの方から送っていただいた大量のブラックサンダーを食べて飢えをしのいだりしました。SNSでの発信も悩みました。明るいことを書いても良く思わない人がいるかもしれない。自分の言葉がどう伝わるんだろうと考えた時期でもありました。

――メンバーと再会できたのは……。

高橋 3週間後くらいでした。「早くファンの方に会いたい」と思いながらレッスンを再開しましたが、ドロシーリトルハッピーの軸となるものがこの期間に生まれたと思います。あの経験がTIF(TOKYO IDOL FESTIVAL 2011/ 2011年8月27日、28日)のパフォーマンスにつながったんです。

2011年のステージでも「震災のことを強調しなかった」

――そのTIFでは、ステージを重ねるごとにお客さんが増えて熱が上がっていく実感はありましたか?

高橋 あんな目に見えてお客さんが増えて、強い視線を感じることは初めてでした。「この子たちは誰なんだろう」という目が『デモサヨナラ』を歌った瞬間に変わって、コールの音量も上がっていったんです。

――ステージで震災のことを強調するわけでもなかったですよね。

高橋 震災から1カ月後に活動を再開して地元でチャリティーライブがあった時、被災地から応援しにきてくれた方に「元気が出ました」と言われたんです。大変な状況でも応援してくれる方がいることを体感して、「私たちが悲劇のヒロインになってもしょうがない。いまやるべきことは歌とダンスでみんなを元気づけることだ」と意識が変わったんです。

――TIF後はライブの集客数が変わったと思います。

高橋 一気に増えましたね。ワンマンライブが初めてソールドアウトして、単純にうれしかったです。

――ドロシーは地に足がついたグループだったから、その後も人気を維持することができたんだと思います。

高橋 好きになってくださった方を後悔させたくないし、「ドロシーの輪をもっと広げたい」という想いが向上心につながったのかなと思います。

アイドル戦国時代「あのグループがすごかった!」

――ドロシーの5人は真面目でしたよね。

高橋 真面目でした(笑)。5人で話していてもプライベートの話がほとんど出なくて、仕事の話ばかりなんです。当時はそれが普通だったけど、いま思えばそれだけ真剣に仕事に向き合っていたんでしょうね。ある対バンライブで褒められたことがあったんです。「スタッフや他の出演者とすれ違った時に挨拶するアイドルは多いけど、掃除のおばさんにも立ち止まって挨拶しているアイドルは初めて見た」って。自分たちにとっては当たり前だと思っていたけど、見られているんだなと感じました。

――ドロシーとして対バンライブに出演することも多かった。

高橋 自分たちの出番が終わっても、モニターや客席の後ろで他のグループのパフォーマンスを観させていただきました。ライブが終わった後も、その日の映像を観て「この曲のここがいいよね」とメンバーと話していたんです。ただ、人見知りを発揮して友達ができなかったんですよ。逆に、対バンしていたアイドルに後から「怖くて話しかけられなかった」と言われたこともあります。あの頃は「話しかけないでほしいオーラ」を出していたみたいです。@JAM主催の海外ライブが終わった後の打ち上げでも、「お疲れ様です」と言って黙々とご飯を食べてましたから。そういう時代だったんだと思います。

――「このグループはすごかった!」というと?

高橋 レーベルメイトの東京女子流さんは宮城出身の新井ひとみちゃんがいることもあって意識していたし、アプガさん(アップアップガールズ)はマネージャーさんが厳しくて「超体育会系じゃん!」と思いましたね(笑)。でんぱ組さんは、みなさん礼儀正しくて「いい人」たちなんですよ。大きなステージに行かれたので、「売れる人たちはちゃんとしているんだな」と感じました。

「大人って怖いなぁ」樹海で裸になっていたBiSとのコラボ

――でんぱ組さんはメンバーそれぞれの個性を強く打ち出してましたよね。

高橋 個性という面でドロシーはすごく悩んで、制作側とブツかることもありました。「もっと派手な曲があってもいいんじゃないか」「衣装に色を足したほうがいいんじゃないか」って。スタッフの方たちと話し合いを重ねて、自分たちで経験を積んで、ドロシーらしさに行きついたのが2ndアルバム『STARTING OVER』だったんです。楽曲、衣装、パフォーマンスで「ドロシーらしさ」が固まった時だったのかなと思います。

――BiSとコラボレーションしてシングル『GET YOU』をリリースしたこともあります。

高橋 最初は「大人って怖いなぁ」と思いました(笑)。「なんでそんなことするの!?」って。アイドル界の端と端で交わることはないと思っていたし、失礼な話、しっかり曲を聴いたこともなかったので。あの樹海で裸になるMVを観て「すごいことやってるな」という印象しかなかったんです。

 コラボが決まってから曲を聴いて、メンバーについて調べたんですけど、なかなか理解できなくて。レコーディングの時も話すことはないどころか、BiSのみなさんはぐったりして床に座りこんでるから、「この人たちはなんだろう」と思っていたんです。2、3年後にゆふちゃん(寺嶋由芙)と仲良くなって、前日に24時間連続ライブをやっていたことを知りました(笑)。

――BiSとはリキッドルームでの2マンライブもありました。

高橋 その2マンでBiSさんへの見方が変わりました。バチバチ感はありつつ寄り添ってくれたことで、それぞれファン層は違うのに一体感が生まれて、「表現の仕方は違うけど、『みんなを楽しませよう』という気持ちは一緒なんだ」と理解できたんです。話したことのないクラスメイトと少しずつ距離が近くなる感覚がありました。ドロシーに新しい表現力を加えてくれて感謝してます。

――アイドル戦国時代はNegiccoやLinQ、ひめキュンフルーツ缶といったローカルアイドルも躍進しました。

高橋 どのグループも地方活性化に力を入れていたので、どういう企業とコラボしているのか勉強していました。「仙台でいったらここかな」と考えて、スタッフの方に「あのグループはこの企業とコラボしてましたけど、仙台でもできませんかね?」と相談したこともありました。

――実際、地元・仙台での仕事も多かったと思います。

高橋 ラジオのレギュラー番組があったり、ホンダカーズさんのCMに起用していただいたり、ファミリーマートさんとコラボして商品開発をしたこともありました。

――東京で話題になれば仙台でも観てみようかとなるし、その相互作用が上手く働いていた。

高橋 そうですね。東京から仙台のイベントに来てくださるファンの存在はありがたいと思いました。お土産を買ったり、何か食べたりしたら、地元の活性化にもつながるので。

写真=川しまゆうこ

【#2へ続く】

髙橋麻里(たかはしまり)…12月15日生まれ、宮城県仙台市出身、血液型O型

 

プロフィール  http://object-co.jp/cast/takahashimari.html

ツイッター  https:/twitter.com/takahashimari15

インスタグラム  https://instagram.com/takahashimari15

(大貫 真之介)

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