恋人の「局所」を切り取った阿部定事件の真相――逮捕直後の写真で阿部定は笑っている

文春オンライン / 2019年5月26日 19時0分

写真

"阿部定事件"を伝える1936年5月19日の東京朝日新聞

解説:「妖婦」の「グロ殺人」に「ホッとした」

「猟奇事件」で中高年がまず思い浮かべるのはこれだろう。2年後の1938(昭和13)年、岡山県西加茂村(現津山市)で30人を殺害して自殺した都井睦雄(21)は語っていた。「阿部定は好き勝手なことをやって日本中の話題になった。どうせ死ぬのなら、負けんようなほどえらいことをやって死にたいもんじゃ」。都井は阿部定の予審(判事が公判の可否を判断する当時の法制度)での供述調書も読んだ。非公開の調書が持ち出されて印刷され、売買された。それほど、この事件は世間の好奇心の的となった。逮捕時には国会の委員会審議が中断されて議員が号外に読みふけり、大阪では市電の車掌が「(切符を)切らしていただきます」と言って客に笑われたという。

 軍国主義の暗雲が社会を覆う中、自らの欲望に“忠実に”男を殺し、局所(「下腹部」「急所」と書いた新聞も)を切り取って持ち去った事件は、「異常性欲による犯行」と見られた反面、抑圧された性を白日の下にさらし、一種の解放感を与えた。「猟奇事件というよりも、むしろホッとした思いで新聞、雑誌の記事を読んだ」とある有識者は語った。

 報道の過熱ぶりは現在のワイドショー以上。新聞の見出しも「昭和の高橋お伝 闇を漁る牝犬」「いづこに彷徨ふ? 妖婦“血文字の定”」……。現場の待合や逮捕された旅館はその後、連日客が押し寄せ“観光名所”に、逮捕前日、阿部定に呼ばれたマッサージ師は取材謝礼で家を新築した。逮捕直後の写真で阿部定は笑っている。だが、それは「妖艶な」笑みだったのか。あまりのフィーバーに翻弄された自嘲と戸惑いでは? いったんは結婚もしたが、戦後の足どりは転々。70年代に消息を絶った。

小池新(ジャーナリスト)

◆◆◆

 稀代の猟奇事件として、世の男性を恐怖震撼せしめた阿部定事件を当時の毎日社会部記者(若梅信次氏)が描く。

 初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「阿部定猟奇事件」

「エロ・グロ時代」と騒がれた昭和11年

 昭和11年といえば、松飾りもとれて間もない2月26日、帝都を埋めた深雪を血に染めた陸軍少壮将校の率ゆる反乱軍二・二六事件あり、桜の花のころは帝都といわず地方の駅駅から、日の丸の旗、万歳の声、征途につくが如くカーキー色の若者達は雪崩のように大陸の要地に送り出されていた。

 街には兇悪な犯罪が続出、何か呪われたように人々の気持ちは灰色におののいていた。

 エロ・グロ時代と当時のジャーナリズムはさわいだ。その翌年秋には上海事変が突発した。

 毎日新聞の前身である当時の東京日日新聞の、その年の5月19日付朝刊は、初号見出しで『待合のグロ犯罪』と横組、『夜会巻の年増美人情痴の主人殺し、滴る血汐で記す『定・吉二人』円タクで行方を晦す」と4本4段抜きの派手な記事がのった。

時の社会部長は『カミナリ』

 当時私は東日の警視庁七社会の新参メンバー、同僚4、5人が夕刊〆切後の警戒を一通りすまして、下のうす暗い捜査一課のデカ部屋から記者室にひきあげて、しばらく麻雀を楽しんでいるところだった。

 卓上のベルが鳴る。『社電だ!』誰かのはずんだ声で電話に出ると、殺しがある、すぐ社に帰れという命令だ。各社に気どられぬように抜け出して、社会部に駈けつけると同僚のJ君が警視庁の第一報をキャッチして早くも現場に飛び、情報は刻々に来る。

 号外発行のベルがけたたましく鳴り、編集も工場も上を下への騒動である。

 デスクのM副部長は日ごろ青白い顔をさらに白くして電話にかじりついている。

 時の社会部長は『カミナリ』といえば新聞界で通る小坂新夫氏(現下野新聞会長)である。

 デスクのきいている現場からの電話を奪い取るように聞きながら『ウン、猛烈にやれ!』と叱咜する。

 宵の街に号外屋のベルが鳴り出したころ、編集室の社会部に販売部副部長のI氏が、号外を鷲づかみにしてド鳴りこんできた。

『こんな号外をナンで出した。新聞が売れなくなるゾ』という抗議である。この時小坂氏は平素とガラリ変って、ただ笑って取りあわない。

 ここで事件を説明するために、当時の社会面を採録して見よう。

死体の左腕には『定』の傷跡

 頻発する兇悪事件未検挙の折柄、荒川区尾久4の1881待合まさきこと正木吾助さん方に、年齢50位の男と30位の女が、去る11日から流連していたが、18日朝8時ごろ『水菓子を買いに行く』といったまま帰らない。女中伊藤もと(33)が気になって午後3時ごろ、2階四畳半の部屋を明けると、男は蒲団のなかで絞殺されている。

 所轄尾久署から傍島署長、警視庁から酒川捜査一課長、中村係長、高木鑑識課長、東京刑事地方裁判所から庄田予審判事、酒井検事が急行検視した。

 男は枕を窓側にして、細紐で絞殺され、顔にはタオルがかけてあった。

 男の大腿部に『定・吉二人』さらに『定吉二人きり」と1字3寸角位の太い文字が血汐で描かれていた。被害者の首には赤い細紐がまかれて、そのあたりに血汐が点々としていた。

 また死体の左腕には『定』と生々しく刃物できざまれてあり、局所が切りとられている。

 枕許の男の財布はカラになっていた。被害者の身許はかねて捜索願の出ていた中野区新井町五三八料理店吉田屋石田吉蔵(42)逃走した犯人は埼玉県坂戸町生れの同家の女中田中かよこと阿部定(31)と判った。

「肉体の一部」の表現を懸賞募集

 たしか社の号外は吉蔵の切り取られた肉体の一部を『局部』と報じたと記憶しているが、一応事件の全貌が判って見ると、小坂氏は、『肉体の一部』の適当な表現について考えこんだ。

 ソコで編集局内に貼出して懸賞募集をした。

 各部からワイワイ持ちこまれなかに、採用されたのが『局所』。『部』を『所』に置き替えたのである。これがなんと貴族院担当の老記者T氏の案であった。もって社内の人気のほど推して知るべし。

『局所』を持った阿部定はどこに逃げたか。ラジオに号外に帝都はたちまちにしてお定旋風の渦巻だ。庶民は時代の緊迫感も一時は忘れ去った如く、お定の汚れた話題に一ときの"うつ"を晴らしたものである。

 翌くる19日。お定の手配は早朝から帝都はじめ近県、熱海、名古屋、大阪方面までかの女の手懸りのあるところほとんど全国に跨り、写真2万枚がバラ撒かれた。その手配を抜書して見る。

 殺人容疑者 本府人 阿部定31

 身長5尺位、痩形、色浅黒く面長、頬こけ口大にして、一見水商売風、歯黄く、歯並にすき間あり。

 著衣。うずらお召、鼠地に銀箔のウロコ形飛模様のついた単衣の襦袢、ちりめん水色無双の長襦袢。帯、薄卵色の竪縞のあるしゅすの昼夜帯。下駄、桐表つき駒下駄、卵色の鼻緒つき

 常に用ゆる偽名田中かよ、黒川かよ、阿部かよ、田村加代、吉井昌子

 尚、犯人は温泉地その他において、女中酌婦の経験あり、特に温泉地を警戒されたし。

愛の独占を決意した犯行

 話は戻るが、犯行は18日払暁と認められた。11日から1週間も流連したお定、吉蔵は、あらゆる情痴の世界に生きながらも、どんらんの恋はもはや終着駅についていたのだろう。

 吉蔵も相当なうなぎ屋の主人公であり、立派な妻子もある。僅か数ヵ月の交際であるお定の変質な恋愛生活からのがれたい気持も生れてきたのであろう。家庭に帰りたいそぶりが見えると、お定には一層その独占欲が高まる。かの女は男の着物をかくして帰宅するのを警戒した程だ。

 お定は遂に吉蔵を殺して、愛の独占を決意して、18日の払暁に吉蔵の首を自分の細紐で絞め殺し、愛欲の名残りを惜しんで、『定・吉二人きり』と吉蔵の血で認めたのだ。

眼をギョロリとむいて、『かよ、かよ』

 その後、高輪署に捕われた時にかの女はこう語っている。

 15日の午後待合を出たかの女は、上野で肉切庖丁を1丁買い求めた。殺して自分のものにしようとしたのだ。

 17日の午前1時ごろ、すやすや眠る吉蔵の首に細紐をまきつけてしめると、男は眼をギョロリとむいて、『かよ、かよ』と苦しそうな声をたてた。かの女もその現実に驚いて、紐をとき、『医者を呼びましょうか』といったが『医者はいらない』ととめたので、そのままにした。頸部には細紐の二重の傷跡が残り、眼球は飛び出して見るも凄い形相の吉蔵であったという。この朝早く外出して、銀座資生堂に行き、目薬と傷跡の薬とカルモチン30錠を求めた。

 介抱するお定に吉蔵は『お前は俺が眠ったらまたしめるだろう。こんどしめてもゆるめないでくれ、一思いに苦しまずに殺してくれ……』

 こうして、かの女は17日夜、愛欲の一念から殺人罪の怨怖心すらなく、好きな男を自分のものにした喜びに一夜を明かしたのだった。

警察を翻弄したかの女・お定の逃亡劇

 尾久の待合まさきを出てからのかの女の逃走は、警視庁の裏をかいて巧みに変装、市内を転々として20日午後5時半ごろ品川駅前の旅館品川館で捕われるまで、まる2日半。満都の話題となった。

 18日深更、名古屋市の野球で有名な私立商業の校長をしている大宮某氏(49)が突如尾久の捜査本部を訪問して、かの女の事件を一層多彩ならしめた。

 この校長先生は事件前年の春、お定が名古屋市のさる旅館の女中をしていたころ、花見で知り合った。教育者である大宮氏は幾度かかの女との悪縁を絶たんとしたが、年増女の魔の手に引ずられて今日に至ったと述懐した。

 校長会議で上京した彼は5月15日に品川の夢の里で会い、お定に50円の小遣を渡したが、これがかの女の逃走資金となったのだ。

 当時は円タク全盛時代。水菓子を買いに行くといって、待合を出たかの女は、付近から円タクを拾って新宿伊勢丹に行き、さらにここから下谷区上野町の古着屋で、まず着衣を変えて、着ていた犯行当時の着物を13円50銭で売り、地味なうろこ形の着物を5円で買い変装した。

 その足でかねてしめし合せた大宮氏と神田万惣果物店で落ち合った。2人はここから日本橋のそば屋に現われてうどんかけを食べている。しかし、かの女は大宮氏には吉蔵を殺したことは何一つ話していない。

真相を知らずにいた男の末路

 2人は午前11時ごろ西巣鴨2の1989緑屋旅館に現われて、2階4号室に落ちついた。お定は洗い髪を夜会巻にするため、ピンとヘヤーネットと打紐を買ってもらった。

 注文の品を持って女将が二階の部屋の襖をあけると、お定が泣いていたので間が悪くなって帳場にそそくさと帰った。

 階下に降りてきたお定はお風呂を焚いてくれと頼んだが、手がないからと断ると金はいくらでも出すからと風呂を焚かせて、入浴。その時かの女は部屋が気に入ったから下宿に置いてくれと頼んでいる。追手をのがれて大宮氏としばしの愛の巣と考えたのだろう。その時女将は賄つき月25円だが、空間がないから断っている。その休憩料を5円札で払い2円20銭、1円をチップに出している。貨幣価値を300倍とか400倍といっても当時の5円札は値打ちのあったものだ。

 ここを出てから大宮氏は文部省の校長会議に出ている。大宮氏は捜査本部でことの真相を知り教育者として自責の念に堪えず早速電報で辞表を出し退職した。

 後にお定は公判廷で『大宮さんは清らかな人でした。あの方の同情で私は心から更生の道をたどろうとしたのに……あの方にご迷惑をかけました』と泣いて詑びていた。

 この日午後3時ごろ芝区新橋六の四古着屋あずまこと中島忠作方に現われた。2度目の変装である。このころ尾久の捜査本部や各警察署にはお定らしい人相の女が現われたという電話が幾度かかかってくる。猟奇の殺人犯もいよいよ網の眼がせばめられた。

 ここでは鼠色縞の金糸菊花模様の名古屋帯、黒地に茶の堅縞の横条のセルの単衣、羽二重絞りの帯揚の3点を12円で買った。

 お定は古着屋の奥の一間をかりて着換えて横浜へ行くとそそくさと出て行ったと妻女のあきさんが近所の交番に届け出た。

お定事件の満載記事を見て『まア、大事件がありますね』

 その時の模様を妻女はこう語っていた。

 普通の束髪をしたキリッとした人でした。……鼠色の風呂敷包を大事そうにして、着換えの時にも『いじらないでネ』と大切にしていた。この風呂敷包こそ後に判ったが、吉蔵の局所を包んだものであったのだ。

 仕事の済むまで、たばこをふかしていたが、すぐ前向の味噌屋さんの若夫婦の働らくのをながめながら、『若夫婦は朗らかですネ……』とうらやましそうにいうので、『あなただって若いでしょう』といったら、かの女は淋しく眼を落して笑ったという。追手から逃れるかの女の心にチラリと過ぎ去りし良心の淋しさだったのか。

 19日の夜は浅草の安宿に泊った。すぐにも検挙と気負いこんだ捜査本部はかの女のためにさんざんに"ほんろう"された。まだ高飛した気配はない。必ず市内に潜伏しているという捜査本部の捜査方針は正しかった。事件発生後約3日目の20日午後5時半ごろ、省線品川駅前芝高輪南町76旅館品川館に潜伏中を高輪署の安藤部長刑事が逮捕した。

 お定は19日午後5時すぎに旅館に来て、『すこし休ませてくれ』といって部屋にはいった。かの女はさすがに焦悴の色が見えた。宿の番頭に頼んで眼帯を買った。右の眼が痛いといってかけてから、東京の新聞を全部見せて下さいといって、しばらく社会面に眼を通していたが、お定事件満載の記事を見て『まア、大事件がありますね』と独り言のようにつぶやいて宿帳に筆を取った。

 大阪市南区南園町209無職大和田直(37)なかなかの達筆である。かの女は風呂に入りあんまを呼んだ。

 若い美青年のあんまさんは、1時間半ももまされていろいろの話題をつくった。気分がいいから泊りますといって、品川発大阪行の切符を払戻し、独りでビール2本のんだ。

 ここではも早、逃れられないと覚悟して、かの女は遺書5通を認めた。

『局所』を隠して見せた妖艶な笑い

 高輪署の部長刑事は宿帳をしらみつぶしに調べていた時に、女文字、しかも関西生れがまずピンときた。これは臭いゾと品川館に乗りこんで、盃盤狼藉のかの女の部屋に乗りこんだ。かの女は大阪生駒山の山上から飛降り自殺を考えたが、もうそれも出来ぬと観念して、間もなく部屋で首を縊ろうと思案していた時であった。

 かの女はあっさりと安藤部長刑事の前に頭を下げた。かの女の捕われた最後の所持品はただ一つの小さな風呂敷包である。嫌がるかの女から包を取って開けて見ると、なかから出てきたものは何であったか……吉蔵の猿股、メリヤスのシャツがハトロン紙に包まれてあった。兇行に使用した刃渡5寸の肉切庖丁はかの女の枕許の蒲団の下から出てきた。だがまだ肝腎の局所が現われない。

 安藤さんにせがまれたかの女は、大切そうに帯の間からハトロン紙に包んだものをチラリと見せて、すばやくまた帯の間に挟んでしまった。その時のかの女の妖しき笑いに安藤さんもかの女のいうままになるより仕方がなかったといっている。

時を同じくして起こった、アメリカ版『阿部定事件』

 お定捕わる! 高輪署から自動車で護送されるお定は、まるで凱旋将軍のような群集の歓声に包まれた。捜査本部の尾久署前の市電はストップされ、一眼見ようとする群集で新聞社の旗を立てた自動車すら身動きも出来ない。ニュース映画班、カメラマンのフラッシュ――。

 黒地人絹縞の単衣姿のかの女は、女優のような落ちつきを見せて、レンズの前に立った。罪を知らぬかのような大きな明るい瞳。恥らいもなくニッと笑う面長の顔。人間として満された幸福感にかの女は酔っているかのようにほほ笑みつづけた。

 事件の経過を発表する総指揮の浦川捜査一課長は顔中無精ひげだらけ。日ごろの覇気もどこかに消え失せたと思えた数時間前とは打って変って顔面紅潮感激の緊張感。『やあ有難う。有難う』を繰り返すのみ。これで警視庁も辛うじて面目を保ったのだ。『発表! 犯人逮捕です』と2階に駆け上る。――

 お定事件は海外にも打電されたが、たまたま、アメリカ・ニューヨークの49番街殺人事件が前後して発生し、転電されて東日の社会面にのった。名門の令嬢、大学を出た30歳の女が、巨万の富を持つ四十路を2つ程出た貿易商と結婚。2人は49番街のアパートに愛の巣を営んだ。ある夜愛欲生活の極致から、ベッド・ルームで女の持っていたピストルが突如発射され、男はその場に鮮血に染まって死んだ――という事件。これは女が幾度か目に求めた愛を男が拒んだところから、カッとなってピストルを発射したことが判り、これは裁判の結果『女が男から恥辱を受けた結果の殺人』として無罪だったという記事だった。

 市電の若い女の車掌さんが『切符を切らしていただきます……』の言葉にもドッと笑声が起るという世の中。

 お定の公判は間もなく開かれた。かの女は犯行を包みかくさず陳述し、証拠品も揃って予審から公判へ超スピードで、この年の12月22日に東京地方裁判所で判決があった。

 細谷啓次郎裁判長は条理を尽して、かの女を訓戒し『一層その習癖の矯正に努めるよう』諭して懲役6年の判決を下した。

家運の傾きを機に始まった、お定の数奇な人生

 もう師走も余日少い22日。折からの初雪がチラチラと降ってゐる廷外、お定は寒々とびんのおくれ毛をハンケチであげながら、裁判長の 読みあげる科刑の理由にジッと耳傾ける。

 お定の法廷記者として、妖艶なかの女を解剖したⅠ記者はその日のかの女を描いて『木枯しのなかの一本の冬の花』と書いていた。

 細谷裁判長の読み上げた科刑の理由要旨を拾って見よう。

「被告は長期の淫奔的生活に堕したる結果、乱淫性の習癖者となり、加うるに年齢的にも爛熟期に達したる上、たまたま本件被害者がその習癖に興味を持ち、これを遺憾なく満足せしめたるため、その痴戯に対し、急激かつ極端なる愛恋執着を感じ、軽度の精紳障碍により衝動的になしたる犯行なりということが出来る。

 しかしながら人命の尊重、社会的風教上に及ぼす影響などから、にわかにその科刑軽きを正しとなすべからず。

 他面、本件犯罪については被告者が齢不惑の域に達しながら、自己の家庭境遇などを顧みず、十数日間被告の乱淫性を認識し、且つこれに興味をもって、ただただ痴戯玩弄物たるに甘んじ、その習癖を満喫せしめたるをもって、本件犯罪に対し重大なる素因を与えたことは到底看過し得ない。

 さらに本件が社会の焦点となったのは、殺人行為そのものにあらずして、その死体損壊及びその後の行動の特異性である。

 本件につき人命の尊重すべきこと、社会風教に及ぼしたことを重要視すべきは勿論だが、これに膠着し、過酷に鞭つことは当を得ない。

 しかれども本件を恋愛の極致なりとし、また心中殺人に近き行為なりと速断し、科刑の極めて軽きを妥当と思惟するは具に正しからず……」

 お定は一審で服役、栃木刑務所を出たのが、昭和16年。その後舞台に立ったり、伊豆山温泉のマダムをつとめたり更生の途をひたすらにあゆんでいる。

 神田新銀町に徳川時代からつづいた古いのれんの畳職阿部重吉の四女に生れたかの女は、小学校時代から遊芸を仕込まれて、いわばおんば日傘で育ったのだ。それが少女時代に家運が傾き芸者に出たことから、かの女の数奇な一生が始められたのだ。

 当時浦井検事はかの女を解剖して、

「我儘、虚栄心強く濫費性、傲慢で勝気、意地張りで怠惰性あり。破壊性、衝動性、好奇性あり、飲酒、喫煙の習癖。意志弱く耽溺性、熱しやすく、さめ易い等々の反社会性、犯罪性を持つ……」

 といったが、かの女の純真性には同情を惜しまなかった。

 作家長田幹彦氏はかの女のために、更生の温い力を与えているという。いま浅草の『星菊水』という料亭に女中として、忙しくたち働いているかの女は、時折、短冊を手にして腰折れをサラサラと認め、お客さんを喜ばせている。

 時代が生んだお定。昭和一代女お定は、さすがに過ぎにし過去の生活を断ちきるため、名を『昌子』と改めた。痩形のすらりとした肩に、くすんだ声にかの女は五十路の坂にたったが、まだその妖美を騒がれた昔の俤は生きている。平和にそして幸福に浅草の灯に生きようとしているかの女お定――。

       (毎日新聞紙面審査室勤務)

(若梅 信次,小池 新/文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング