東京大学医学部OBが教授として派遣される「植民地」時代は終わった

文春オンライン / 2019年6月11日 6時0分

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テレビ朝日HPより

 5夜連続で放送されたテレビ朝日開局60周年記念ドラマ『白い巨塔』をご覧になった方、多かったのではないでしょうか。全5話とも、同時間帯トップの視聴率(最終回は15.2%)だったそうです。

 主人公の天才外科医・財前五郎の役を、今回はV6の岡田准一(38)が演じました。「唐沢寿明(03年)のほうがよかった」「いや、田宮二郎(78~79年)だ」などと、ネットでは様々な意見が飛び交ったようですが、何度も映画化やドラマ化されて、今もなお視聴者を惹きつける原作(山崎豊子著)の凄みをあらためて感じます。

 財前の専門が食道外科から肝胆膵の腹腔鏡下手術に、改竄されるカルテが紙から電子カルテに、また、女性(市川実日子)の脳神経外科教授が登場するなど、現代風にアレンジされていたところもありました。ですが、買収も辞さない汚い選挙戦で浪速大学教授の椅子を手にしたものの、医療裁判で医師としての良心を問われた末、最後にはがんで死んでしまうというあらすじは、50年以上前に刊行された原作を踏襲していました。

東京大学医学部を思わせるセリフ

 そんな中で、今回、医学部を取材してきた筆者から見て、面白いと思うシーンがありました。財前の傲慢な人格に反感を持った第一外科の東貞蔵教授が、次期教授候補の人選を母校である東都大学医学部第二外科の船尾徹教授に依頼します。その船尾教授から、東教授が候補者である金沢国際大学の菊川昇教授を紹介されるシーンでのセリフです。

船尾教授「いやはや、最近は頭が痛いことが多くて」

東教授「船尾先生ともあろうお方が、どうなすったんですか?」

船尾教授「菊川君は優秀なんで、まぁ問題なく若くして金沢国際大学の教授にまでなってくれたんですが、教授は自校のOBから選ぶべきだなどという仲良しグループ的な風潮が幅を利かせ、東都大OBの医学部教授の数が減ってきてるんですよ」

東教授「そうなんですか」

船尾教授「今回の浪速大の教授選で、私はそんな風潮に一石を投じたいと思っております。その大事な一石が君だ。菊川君」

菊川教授「ですが私は、金沢国際大学教授という今の立場に満足しています」

船尾教授「東都大医学部は、日本の医学界の頂点に君臨してきた。これからもそうあるべきなんだよ」

「医学界の頂点に君臨してきた」という船尾教授のセリフからもわかる通り、東都大学医学部のモデルは東京大学医学部なのですが、実は現実の東大も医学部教授に就くOBの数が減ってきているのです。

東大OBが3人以上いないと医学校を設立することができなかった

 日本初の官立医科大学である東京大学医学部(旧東京帝国大学医学部)は、かつて、明治政府が採用したドイツ医学を普及させる特別な役割を担っていました。当時の政府は卒業者に無条件に医師免許を与えるなど様々な特権を与え、「東京帝国大学医学部出身者が、教官のなかに3人以上いないと医学校を設立することはできない」とまで指導していたそうです。

 その結果、東大医学部は他大学に多くの教授ポストを持っていました。ノンフィクション作家の保阪正康氏が1981年に出版した『大学医学部』(現代評論社)という本に、1980年の時点で各大学医学部の教授陣の中に、有力大学医学部のOBがどれだけいるかを調べた表が載っています。

もっとも東大OBの割合が多かった大学は88%

 それによると、もっとも東大OBの割合が多かったのが帝京大学で88%、次が順天堂大学で80%、3位が自治医科大学で77%でした。半数以上を東大OBの教授が占める大学が、東大自校を含め7校もあったのです。こうした大学は、事実上、東大の「植民地」になっていたと言っていいでしょう。

「脱東大植民地化」の一方、「自校出身」の教授が増加

 ところが、近年、そのポストが減少しています。私も著書『 医学部 』(文春新書)を執筆するにあたり、80年代当時に東大医学部OBの教授が10人以上いた大学19校に絞り、その数が現在どれくらいになっているのかを、2017年9月~10月にかけて調べてみました。

 その結果、どの大学も東大OBの教授の数が減っていました。東大自校を除くともっとも多かったのが帝京大学で、6割近くが東大OBです。しかし、他に5割を超えている大学はありませんでした。19校全体の教授(755人)の中で、東大OBの教授(383人)は50%を超えていたのに、それが19%(961人中183人)にまで減っていたのです。

 一方で増えたのが、「自校出身」の教授です。たとえば、日本大学は80年代当時、東大OB教授が45%もいたのがたった1人(2%)になり、一方で自校出身者が6割近くに増えました。また、東京医科歯科大学も東大OBが60%から11%に減った一方で自校出身者が53%に、筑波大学も東大OBが50%から8%に減った一方で自校出身者が51%にまで増えました。

東大医学部OBでなくとも、優秀な人材が育った

 このように、どの大学医学部も「脱東大植民地化」が進んでいるのです。現実の東大医学部OBの中にも、船尾教授と同じように危機感を抱いている人が少なくありません。なぜ、こうなったのでしょうか。

 一番の理由は、東大医学部に頼らなくても自校から教授を出せるほど、各大学医学部が実力をつけてきたことだと思います。とくに70年代は、医療格差を是正するために推進された田中角栄内閣の「一県一医大」構想によって、新たな医学部や医大が多数設立されたばかりでした。当然、新設の大学は東大、京大、阪大など有力大学の医学部から教授を招聘する他ありません。自治医大(設立1972年)や筑波大(同73年)の東大OB比率が高いのは、そのような背景によるものと考えられます。

 しかし、それから40年以上が経ち、設立当初に新設医学部や新設医大に入学したOBもベテラン医師の域に入っています。そうした中には医学界で業績を上げて教授になった人も少なくありません。それに医学部受験ブームが続いたことで、国公立大学だけでなく、かつて「金があれば入れる」と揶揄された新設私大医学部も、今は受験偏差値が格段に上がりました。東大医学部OBでなくても、自校OBから優秀な人を教授に選べるようになったのです。

論文重視から「手術がうまい」教授が求められるように

 ただ、東大医学部OBの教授が減ったのは、それだけの理由ではないと思います。かつて教授は、論文の業績(インパクトファクター)で評価される傾向が強く、研究できる環境に恵まれている東大医学部OBは教授選で有利でした。また、地方や私立の大学では、中央省庁の官僚とコネがあって研究費を持ってきてくれる東大医学部のOBが歓迎されました。そのため、手術が決して得意とは言えない外科教授も少なくなかったと言われています。

 ところが2000年頃から手術数など医療情報の公開が進み、患者が手術の上手な医師や評判の高い医師を選ぶ傾向が強くなりました。手術ができない外科教授の存在も批判されるようになり、病院経営の点からも「患者を呼べる」実力のある医師が教授に招聘される傾向が高まってきたのです。そのため「東大だから」というだけでは、教授には選ばれなくなりました。

 さらに、東大の医局OBで私大の教授になった医師に、こんな話も聞いたことがあります。やはり近年は、「人柄のいい人が教授に選ばれやすい」というのです。なぜなら、教授たちにとって新教授の選考は、一緒に働く同僚を選ぶのと同義だからです。その際、東大医学部OBは「東大」というだけで色眼鏡で見られてしまうので、「謙虚な人柄でないと東大の肩書がかえって不利になる」というのです。

 もし今、財前教授のような傲慢な医師がいたとしたら、患者とトラブルを起こしかねませんし、同僚からも嫌われてしまうので、東都大であろうと浪速大であろうと、教授選には教授選にはまず通らないでしょう。今でも教授選で出身大学のOBによる組織的な働きかけやライバルを貶めるような怪文書が出るようなことはあると聞きましたが、さすがに札束をバラまくような露骨な不正はほとんどないのではないでしょうか。

 いずれにせよ、東大医学部OBの教授が減る傾向にあるのは事実です。ある大学で教授を務める50代の東大医学部OBに聞くと、「同級生の半数が大学教授、約3割が大病院の部長や院長、残りが開業医など」とのことでした。しかし、これから東大医学部を卒業する人たちが、この通りに出世できるとは限りません。「医学界の頂点に君臨する東大に入りさえすれば、高い確率で医学部教授になれる」という時代ではないのです。

自校OBから教授を選ぶ「自校偏愛主義」の問題点

 ただ、東大OBの教授が減ったことよりも、問題は船尾教授の言うように、「教授は自校のOBから選ぶべきだなどという仲良しグループ的な風潮が幅を利かせ」ていることかもしれません。どの大学も自校偏愛主義が幅を利かせており、とくに東大、阪大、慶應大など、名門校ほど教授陣に占める自校OBの割合が高いのです。

「仲良しグループ」ばかりで、外からの刺激がない閉鎖的な組織だと、切磋琢磨して臨床力を高め合う環境になりにくいのではないでしょうか。それに、医療ミスなど問題があった場合にも、「庇い合い」が起きないとも限りません。

「東大医学部OBの教授が減った」という一面だけを見るよりも、大学医学部全体として臨床力、教育力、研究力を高めるために、どのような人材を教授陣にそろえるべきなのか。『白い巨塔』を反面教師として、考える必要があるのではないかと思います。

(鳥集 徹)

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