「農業倉庫は建て直せても、自宅を再建できない」――西日本豪雨から1年。あまりに不条理な被災者支援

文春オンライン / 2019年7月7日 6時0分

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公費解体される被災家屋(倉敷市真備町)

「うちは逃げるよ」あのとき、避難はSNSで始まっていた――西日本豪雨から1年。知られざる教訓 から続く

「家がどんどん解体されています。このうち、どれだけ再建されるのか。集落の人数が半分ほどになってしまうのではないかと、本気で心配しているんです」

 70代の女性がため息をつく。あたりは住宅の公費解体が真っ盛りだ。あちこちで重機の音が響く。

 岡山県倉敷市真備町は、昨年の西日本豪雨で最大5メートルほど浸水した。昨年7月6日深夜からの洪水で、市街などが丸呑みにされ、51人が亡くなった。

「晴れの国」宣伝が油断を生んだ?

 あれから1年が経つ。だが、住宅再建はなかなか進まない。もう水害が起きるような場所には住みたくないと出て行く人だけでなく、再建資金を捻出できない人が多いのである。

 岡山県が「晴れの国」などと宣伝していたせいもあって、よもや水害に遭うとは思わず、「水災」の保険に入っていなかった人がいるのだ。自宅の建て直しには最大300万円の公的支援制度などしかなく、「これでは再建できない」と諦め、地域外へ流出する人が出始めている。

農業倉庫の再建には国などが最大9割を助成

 一方、農業倉庫の再建には国などが最大9割を助成している。被災農業者向けの経営体育成支援事業という手厚い制度があるからだ。

 その差はあまりに大きい。

「倉庫は建て直せても、自宅を再建できない」と指摘する大工がいるほどだ。「これで本当にいいのか」と漏らす市職員もいる。

 真備町の自宅が全壊した会社員、河田真作さん(42)も両制度の間で複雑な思いを抱えてきた一人だ。

 あの日、7月6日――。河田さんが職場から帰宅したのは午後11時半頃だった。

「凄く雨が降っていたので、近所の川の様子を2~3回、見に行きました」

 真備町には、2本の一級河川がある。

 町の東端に沿って、岡山三大河川の高梁(たかはし)川が、縦に流れている。

 その支流の小田川が、町の南部を横に貫き、高梁川に合流する。支流と言っても、河川延長は72.9キロメートルもあり、真備町内では他に何本もの小河川が流れ込んでいる。

 その小河川の一つ、末政川が河田さんの家から100メートルほどの場所を流れていた。これが気になったのだ。

「堤防の天頂までは50センチほど余裕がありました。なのに、どうしたことか、警察官が来ていて、近所のおじさんが『うちはさっき浸かった』と話していました」

「外が川のようになっとる!」

 河田さんは知らなかったが、末政川はその頃、200メートルほど下流で堤防が決壊していたのだ。しかし、河田さんの家には直接被害がなく、迫りつつあった「危機」に気づかなかった。

 河田さん宅には、2階建ての住宅が2軒あった。母屋で60代の両親が寝起きし、1年ほど前に建てた家では、河田さんと妻、小中学生の3人の子が暮らしていた。

「川を見に行った後、一度は避難しようと思いました。でも、眠っている両親を起こすのはしのびなく、妻子には2階で眠るように言って、私だけが1階のテレビや携帯電話で情報収集することにしました」

 ただ、疲れていたのだろう。午前2時頃に眠り込んでしまった。

「外が川のようになっとる!」。母屋の母親が掛けてきた携帯電話に起こされたのは午前5時頃だ。

 河田さんは寝ぼけ眼でトイレに立った。足元がぴちゃぴちゃする。

「ありゃ、便器じゃないところにしてしまったか」と下を見たら、水がそこまで来ていた。一気に目が覚めた。

「慌ててテレビやパソコンを2階に上げたのですが、増水のスピードが早くて、すぐに膝まで浸かりました。結局、ほとんど上げられないまま2階に避難しました」

屋根から落ちた父親を引っ張り上げる

 国交省の調査委員会の推定では、その2時間ほど前の午前3時20分頃、河田さん宅から3キロメートルほど離れた小田川の堤防が決壊した。濁流が押し寄せ、末政川を呑み込む形で一帯を浸水させた。

 水面の上昇は止まらない。2階も浸かりそうになった。母屋では両親が2階に避難していたが、新しい家の方が床が高かった。屋根伝いに移ってもらうことにした。

 その途中で、父親がドボンと落ちた。たまたま流れが緩やかな場所だったので、すぐに浮かび上がり、河田さんが引っ張り上げた。

片づけても片づけても終わらない

 一家がボートで救助されたのは昼前だ。寝間着に裸足のまま、寺に収容され、岡山市に住む妹宅へ身を寄せた。そこで初めてテレビを見て、真備町が池のようになっているのを知った。

 水が引くと、妹の夫の車を借りて、片づけに通った。「もう茫然自失でした。片づけても片づけても終わりません」。河田さんはプロ野球の監督を務めた故星野仙一さんの母校・県立倉敷商業高校野球部の出身だ。「苦しい練習を思い出したら、社会人になってもたいていのことは乗り越えられました。でも、片づけほど辛い作業はありませんでした」と話す。

全壊した家を修繕するには1000万円かかる

 持ちこたえられたのは会社や野球の仲間が手伝いに来てくれたからだ。涙が出るほど嬉しかった。そうした時、「保険に入っているのか」と尋ねられて、「しまった」と思った。

「よもや水害に遭うとは考えもしなかったのです。保険業を営む同級生にも、『この辺で水災保険に入る人はほとんどいない。保険料も倍になる』と聞いていました」

 家は全壊と判定され、大規模な修繕が必要になった。ローンは約2400万円も残っている。にもかかわらず、新たな修繕費が1000万円ほどかかると分かった。これから3人の子の学資がかかるのに、暮らしていけるのか。

 大規模災害の被災者には、被災者生活再建支援法に基づく支援制度がある。住宅を建て直したり、購入したりする場合、最高300万円が支給される。河田さんのような修繕では最大200万円だ。

 河田さんは、同じように被災した友人に「電化製品など生活必需品をそろえるだけで160万円の見積もりになった」と聞いて、愕然とした。これでは家の修繕どころではない。

 全国から寄せられた義援金は、162万7200円が配分されたが、修繕費用にはほど遠かった。

老後の蓄えをつぎ込んでも足りない

 河田さんは、一般社団法人「自然災害被災者債務整理ガイドライン運営機関」に相談した。ローンで破産しかねない人が、専門家の紹介を受けて、金融機関と協議する。

 これに基づき、土地などの資産を原資にして債務を整理すると、ローンが一部免除される見込みが立った。晩夏には簡易裁判所で特定調停が確定する見込みで、自宅の修繕に向けて踏み出せる。

「修繕費用の借金はダブルローンになりますが、暮らしを取り戻す目途はつきそうです」。河田さんは胸を撫で下ろす。

 一家は今、2カ所に分かれて住んでいる。河田さんと妻子の5人はアパート、両親は親類の空き家だ。だが、自宅が修繕できても、両親は戻れない。7人で住むには狭すぎるのである。

「破損が大きかった母屋は解体せざるを得ませんでした。父は跡地に小さな平屋を建てたいと話しています。それには老後の蓄えをつぎ込んでも足りません。なのに10月には消費税が上がってしまいます」と、河田さんは表情を曇らせる。

今でも7000人近くが仮設住宅暮らし

 こうした悩みを抱える被災者は多い。水災保険に入っていなかった高齢者の中には帰還を諦め、息子や娘の家に身を寄せた人もいる。方針の決まらぬまま仮設住宅で暮らしている人。災害公営住宅に入るしかないと決断した人……。

 自宅を建て直すにしても、少しでも安く上げるため、急に浸水した時の逃げ場がなくなるのは承知のうえで、平屋にする人が増えている。

「保険に入っていなかったのが悪いと言われれば、言葉が返せません」。河田さんはうつむく。

 だが、真備町ではどれだけの人が戻るかが、復興のポイントになっている。被災前の昨年6月末、真備町の人口は2万2797人だった。それが今年6月末までに2224人減った。

 ほとんどを真備町の被災者が占める倉敷市の仮設住宅暮らしは、同月末時点で6845人もいる。他にも親類宅に身を寄せている人がいるため、実際の避難者はもっと多い。このためスーパーなどは一部しか開いていない。住民の帰還が遅れれば遅れるほど、社会的なインフラの再開も遅れる。

あまりにもバランスを欠いた支援制度

 一方、被災した農業者に対しては、トラクターなど機械の買い直しや、倉庫の建て直しで、国県市から最大9割の助成制度がある。真備町だけで365の農業者が利用申請した。

「農業はもうからないのに、機械が高い。助成がなければ再開できなかった」と何人もの農家が語る。確かに心強い制度だが、住宅再建支援とはあまりに差がある。

 60代の農家は、洪水で失った農業機械を助成金で買い直した。しかし自宅は水災保険に入っておらず、仮設住宅から通いながら農業をしている。家は老後の蓄えをはたいて小さな平屋を建てるしかないという。政府の金融審議会が「老後、夫婦で2000万円の蓄えが必要」と試算する時代に、暮らしていけるのだろうか。

 別の農家は「家が再建できなければ、倉庫を建てられず、機械も買い直せないと、営農再開を断念した仲間が何人もいる」と話す。

 実は、河田さんも兼業の稲作農家だった。トラクター、田植機、コンバイン、乾燥機などを持っていたが、全て失った。再びそろえれば1000万円レベルの支出になる。9割の助成があっても自己負担は巨額だ。だから農業は再開しない。「1割」を出す余裕がないのに加え、これからは会社勤めとの両立が難しいと見切った。

 大きな災害が続く時代。日頃から各自で十分な備えをするのが基本だろう。しかし、それだけでは済まない面も出始めている。地域を維持していくには何が必要か。議論を深める必要があるのではなかろうか。

写真=葉上太郎

(葉上 太郎)

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