「ビビリでいじめられっ子」 NBA1巡目指名、八村塁を変えた富山の人々

文春オンライン / 2019年7月13日 11時0分

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入団するウィザーズでは先発出場が濃厚 ©共同通信社

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 6月20日のNBAドラフトで、ワシントン・ウィザーズから日本人初の1巡目指名された八村塁(21)。自分の名前がコールされると、立ち上がって右手の人差し指を天に向けて掲げた。

 このポーズには、ここまで育ててくれた家族や周囲の人々への感謝の気持ちを忘れない、八村のキャラクターが表れていた――。

◆ ◆ ◆

天国の祖父に向けてのサインだった

 現地取材したスポーツライターの宮地陽子氏が語る。

「八村選手は、家族をとても大事にしているんです。ドラフト会議では、祖母から『おじいちゃんも見ているよ』と言われ、天国の祖父に向けて指でサインしたそうです。大学1年生の誕生日には、母親からマフラーと、彼の写真などをまとめたアルバムをプレゼントされて、とても嬉しそうにしていましたね」

 ベナン人の父と日本人の母を持つ八村は、富山駅にほど近い住宅地で育った。

「埼玉でパン屋を営んでいた祖父が、店を畳んで自身のルーツである富山に戻ってきました。母の麻紀子さんは留学先のアメリカで出会ったトーマスさんを連れて帰り、富山で両親と同居。そこで塁ちゃんが生まれたんです」(近隣住民)

 親族が幼少期の八村の様子を明かす。

「乳児の時からよく食べる子でね。焼肉屋で、泣き止まない塁の口に肉を入れたら、ペロリと丸呑みして、もっとくれって泣いてました(笑)。トーマスは北陸新幹線の工事のバイトなどをしていましたが、『冷蔵庫に食べ物があるのに何で働くの?』と言うほどの自由人。英会話講師の仕事をする麻紀子さんの稼ぎで、子供4人を養っていました」

英語の成績は「2」――バスケと周りの人たちが塁を変えた

 富山にはハーフの子供も少なく、八村は目立つことに悩んでいたという。

「小さい頃の塁は、体は大きいのに極度のビビリでした。ドラフトで堂々と英語で話していてビックリしましたね。中学の英語は5段階評定で2でしたから(笑)。バスケと周りの人たちが塁を変えたんです」(同前)

 バスケを始めたのは富山市立奥田中に入学してから。どの部にも入ろうとしない八村を、同級生が熱心に勧誘したという。入部初日には床に置いたボールを叩いて浮かす練習で、一人だけできずに涙を浮かべていた。

「きみ、ひょっとしたらボール掴めるんじゃないの?」

 そんな八村に「きみ、ひょっとしたらボール掴めるんじゃないの?」と声をかけたのが、コーチの坂本穣治氏(59)。ドラフトのスピーチで、八村が最初に感謝の気持ちを伝えた恩師だ。

「野球ボールのように簡単に掴んだ八村を見て、只者じゃないと思い、『君はNBAに行くんだ!』とやる気を出させた。『君はマイケル・ジョーダンか!』とも煽りましたが、まさか私の戯言(ざれごと)を目標にして、達成するとは……」(坂本氏)

味方の席からブーイングを浴びたことも

 ただ、学校生活は順風満帆ではなかったようだ。

「身体の大きな子が特別支援学級の生徒からお金を巻き上げたと、濡れ衣を着せられたことがあった。塁は、『俺、やってねぇ』と教師に反抗して、仕事中の母親が学校に呼び出された。急速に上達したバスケでも、一部の親からのヤッカミで、味方の席から試合中にブーイングを浴びたことも。母親も気が滅入って、バスケを辞めさせようとしたこともあった」(中学関係者)

チームメイトのプレーに苛立つ八村を諭したコーチの言葉

 坂本氏は「八村を育てたのは仲間たち」と語る。

「母親には『やっと大好きになったバスケを取り上げてどうするんですか!』と説得した。群を抜いて上達した八村は『パスぐらいちゃんとしろよ』と、他の子のプレーに苛立つこともあった。でも、『お前にシュートフォームを教え、朝練の球拾いを手伝ってくれたのはこいつらだよな』と諭し、彼が理解したことでチームが一つになりました」

 結果、八村が中学3年生の時、奥田中は初の全国大会出場で準優勝に輝いた。

 坂本氏は、NBAでの八村の活躍に太鼓判を押す。

「もうひ弱じゃないですよ。ゴムの詰まったボールのように、強い衝撃にも耐えられる心と体を持っています」

 目指せ“エアー・ルイ”!

(「週刊文春」編集部)

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