大麻、強姦、情報漏えい、元社員の投資詐欺……なぜ野村證券で不祥事が続くのか?

文春オンライン / 2019年7月12日 6時0分

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国内30店舗以上を統廃合

 かつてはガリバー証券とも称されていたのが野村證券である。しかし、いま、同証券を主力とする野村ホールディングスが悪戦苦闘している。

 野村證券は以前の不祥事の記憶が消えかかったころに、新たな不祥事を引き起こしてきた。ゆえに「野村10年サイクル説」などとも言われてきたのだが、今回は従来にも増して厳しい。不祥事が連発するとともに、前期には純損失1004億円という巨額赤字決算を余儀なくされた。いったい、野村に何が起きているのだろうか。

犯罪事件の合間に行政処分も

 一連の不祥事を振り返ってみると、昨年、営業社員による顧客資金の流用事件が起き、それに続いて、社員が大麻利用で逮捕された。さらに今年には若手社員2人が合コンの果てに女性を強姦するという破廉恥な事件を起こし、世間を唖然とさせた。と思いきや、7月2日、同社のホームページに掲載されたのが「当社元社員による投資詐欺の疑いについて」という、架空投資商品売込みに関する注意喚起の呼びかけだった。

 それだけではない。これらの犯罪事件の合間に、野村は金融庁から行政処分を受けている。インサイダー事件まがいと言える重要情報の漏えい・悪用がその理由である。具体的には、東証第1部、同第2部などとなっている株式市場区分の見直しを目的とした東証主催の会議で交わされた情報が、その委員を務めていた野村総研関係者から野村證券のチーフストラテジストに伝わり、さらに同ストラテジストが国内外の同社営業社員に情報伝達するというルートで漏えいし、営業社員たちが早耳情報的にビジネスに悪用したという内容である。

怒りを爆発させた金融庁

 この処分に際して、金融庁の姿勢は厳しかった。証券の行為を規制する「金融商品取引法」の法令等諸規則に違反する行為ではないとしながら、「資本市場の公正性・公平性に対する信頼性を著しく損ないかねない行為」と断じたからだ。法令上のルール違反ではないものの、法の精神である常識が欠如したというわけである。

 事件を把握して以後、金融庁内では野村に対する怒りが爆発していた。たとえば、ある幹部は、「野村は2012年に増資インサイダー事件を起こしたことを忘れたのか」と言葉を吐き捨てていたし、別の幹部は「野村は株式市場区分見直しを潰しにかかったのか」と強く疑った。

「お客様のために」情報漏えいした疑い

 東証が議論していた市場区分の見直しは、金融庁が進める株式市場改革の主柱ともいうべきテーマであり、いわば、「実力が伴わないエクセレントカンパニー」をその座から引きずり下ろすことに眼目がある。

 換言すると、真のエクセレントカンパニーだけが選定される市場の創設構想だ。しかし、そうなると、形式だけで一部上場というポジションを得ている実力無き企業はそこから脱落し、場合によっては市場評価が落ちて株価も下落しかねない。

 金融庁幹部が激怒したのは、そのような企業の主幹事証券という顔も持つ野村が、「お客様のために」見直し議論を封印する目的で情報漏えいしたのではないか、という疑念を抱いたからだった。金融庁内には、一時、野村の永井浩二・グループCEOを辞任に追い込みかねないようなムードも漂っていた。

薄氷を踏むような再任劇

 実際にはそこまでにはならなかったものの、6月24日の株主総会は深刻だった。会社側による「取締役10名が留任する選任」議案に対して、古賀信行氏(同社会長)と永井氏の2人に対する反対票が予想以上に集まったからだ。賛成比率は両人ともに全議決権数の60%程度と、いわば、足切りラインすれすれの薄氷を踏むような再任だった。

 こうした一連の出来事は何を示唆しているのか。様々な見方があるだろうが、ひとつには野村がかつてのような革新的な企業ではなくなってしまった状況と深く関連しているように思える。その論点から今回、 「文藝春秋」8月号 に寄稿した。

日本興業銀行と闘い続けた黄金時代

 野村が最も輝いた時代は1970年代後半から1980年代である。当時、野村はお世辞にも二流とも言い難かったわが国の資本市場に米国流の制度、ビジネス、発想を次々に持ち込んで、その先行メリットを享受した。

 野村はそのたびにレースの勝利者となるとともに、わが国の資本市場では、社債市場が先進国並みに整備され、債券先物取引などの市場が創設されていった。これが野村の勝利の方程式であり、活力の源泉だったと言える。

 例えば、野村はあるべき社債市場を創設しなければならないと論じて、時代遅れとなった非合理的な社債市場を支えてきた日本興業銀行と戦い続けた。1980年代から1990年代にかけて、強大な力を保持した日本興業銀行と戦ったのは野村だけである。

 そして、その勝負はついた。日本興業銀行をはじめとする長信銀は、金融危機のなか資金調達難という形で荒れ狂う資本市場に飲み込まれ、姿を消したのだ。

フロントランナーであることを止めてしまった

 だが、近年、このような姿を野村から見ることはほとんどなくなっている。なぜか。日本の資本市場、あるいは証券ビジネス、証券会社経営が米国のそれと肩を並べるまでに進化したからなのか。

 残念ながら、その答えは「ノー」である。いまだに日米間にはギャップが存在している。だが、野村はかつてのようにギャップを埋めるフロントランナーとなって先行者メリットを得ようとしていない。

「文藝春秋」8月号 に寄稿したのは、このような観点からの「野村論」である。いわば、時代遅れの差が付きかけたビジネスモデルでは、野村に内在する絶大なパワーは歪んだ方向に向かって行くしない。野村に襲い掛かっている異常事態は、そこからの覚醒を野村に迫っているようにも思える。

(浪川 攻/文藝春秋 2019年8月号)

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