深夜12時を過ぎると更にエネルギッシュに 雅子さまが「小和田嬢」と呼ばれていた外交官時代

文春オンライン / 2019年8月6日 5時30分

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外務省北米第2課の同僚達と 宮内庁提供

令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま。
『 雅子妃 悲運と中傷の中で 』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。 

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「スーツはまるで、防護服のようなもの」

 帰国後、配属された北米二課は、日米間の経済問題を扱う重要なポストだ。日米半導体交渉などでは、何度か海外出張もこなした。通産、大蔵といった他省庁との情報のやり取りでは、根気強く活躍した。

 天真爛漫のあどけなかった表情から、頬がすっきりとした端正な顔立ちに変化したのはこの頃である。

 友人のひとりは、回想して言う。

「この頃は、お忙しかったためか常に緊張されているような感じでした。洋服も毎日替えて、それに合わせたブランドのスカーフを身に付けていらっしゃいました。洋服にホコリがつくことを気にされるようで、前肩をよくはらっていたのが印象的です。『几帳面ね』というと、『自宅に帰るとまずスーツを衣紋かけにかけて、ホコリをはらって、職場で染み付いたタバコの臭いをとるの。何度も手を洗って、やっと落ち着くという感じ』と、語っていたことを思い出します」

 雅子さまに何度も手を洗うような仕草が見られるようになったのは、北米二課に勤務するようになってからだった。潔癖性というわけではないが、どこか神経が張り詰めているようだった。当時の流行もあるが、雅子さまはかっちりしたスカートのスーツを好み、スカーフを首に巻くことが多かった。

 この友人がつづける。

「スーツを着ると気が引き締まるというか、仕事にやる気が出てくる。背広を着るサラリーマンと同じ気持ちかもしれないというようなことも語っていました。まるで、防護服のようなものだと言って笑っていました。自分の気持ちを仕事のモードに切り替えるためのものだったのかもしれません」

 当時、日本でもアメリカの「キャリア・ウーマン」という言葉が定着して、結婚後も共働きをして子どもはすぐにつくらない夫婦スタイルの「ディンクス(=ダブルインカム・ノーキッズ)」が流行っていた。

 雅子さまのスカーフとスーツ姿、トレンチコートに大きなカバンというスタイルは、まさにそんな時代を象徴していた。そこには、「意志」と「防護」の両方の意味が隠されていた。

 しかし、職場での雅子さまは決して戦闘的な雰囲気ばかりではなかったのである。

「小和田譲」期待と嫉妬が降りかかった職場での雅子さま

 上司には「小和田嬢」と呼ばれた。父親の恒氏を知る人から呼ばれたことがきっかけで、そう通称されることになったのだが、この頃から別の意味を持つようになっていったとも言われている。

 雅子さまが置かれていた状況は容易ならざるものだった。当時の同僚が話す。

「彼女は、世情にはうとくてどこか浮世離れしたようなところがあった。お嬢さま特有の脇の甘さというのかもしれません。与えられた仕事は実に優秀にこなすんですが、その先をどうやって判断していくかという外交の本質の部分は、まだこれからという重要なときでした。確かに、二世官僚、学歴、美人、お妃候補などと入省したときから目立ちすぎたため、そんな彼女に必要以上の期待とジェラシーといった厳しい目が向けられることがあったのも事実です。

 仕事には、勉強とちがって周りの状況を見たり、タイミングを計ったりすることも必要となってくる。自分が努力した分だけ結果が返ってくるとは限らないものですよ。人間関係もうまくやらなくては能力を生かせないときもあるし、スランプからうまく抜け出すためにはコツもいる。お育ちの良いのんびりした性格と神経質なほど几帳面な性格。どちらも私の目に映った雅子さまなのですが、この大きな隙間に他人からの批判と攻撃が入り込む余地がある。霞が関村は人間関係の恐いところですからね。彼女のことを『ノンキャリの女性よりも仕事が出来ない』などと陰口を叩く人までいたようです」

「次世代の新しい外交官になったかもしれない」

 この同僚は、外交官としての雅子さまに期待を寄せていた。

「しかし、彼女はとても頭が良かったし、努力家だから、そんな暗雲から抜け出して、次のステップに行こうと本人なりに必死にもがいている感じでした。私は、数少ない皇室入り反対派だったから、ここで踏ん張っていただきたいなとも思いました。あの枠にとらわれない芯の強さと生真面目さと情の深さは、次世代の新しい外交官になったかもしれないと今でも思っているぐらいです」

「深夜12時は”小和田タイム”」官僚として確かな実績を残された雅子さま

 実際、外務省官僚として目に見える実績もつくった。北米二課はアメリカとカナダとの経済や貿易の懸案を処理する部署だが、日米構造問題協議、半導体協議、外国人弁護士問題、米国独禁法の域外適用問題などに関わっていた。深夜12時を過ぎるとさらにエネルギッシュになる雅子妃に対して、職場では深夜12時を“小和田タイム”と呼んでいた。

 たとえば、竹下登元首相の日米環境セミナーの基調講演の素案を作ったことがあった。政府要人の外交交渉でも通訳を務め、その通訳ぶりは評価された。

 前出の同僚はこう見ていた。

「通訳をしても、ただ言葉だけを追うのではなく、相手の表情や話しかたから何を考えているのか、一歩踏み込んで読み取っていました。心理を読むのに実に敏感で長けていました」

 皇室入りが決まったときには、こうした華々しい経歴や外交官であった側面は、国民から大いに期待を持たれたのである。明敏で美しいお妃が誕生したことを、国民の誰もが晴れやかな気持ちで祝福したことを忘れてはならないだろう。

(友納 尚子)

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