「お相手は?」「お答えするつもりはございません」 佳子さまが「回答拒否」に込められた思い――2019上半期BEST5

文春オンライン / 2019年8月22日 11時0分

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ICUをご卒業された佳子さま ©JMPA

2019年上半期(1月~6月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。皇室部門の第3位は、こちら!(初公開日 2019年4月28日)。

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 秋篠宮家の次女・佳子さまは、自己主張をするきっぱりした女性だ。美貌とファッション性で話題になることが多いが、その点もぜひ注目していただきたい。

「お相手はいますか」という質問に答えられ

 2019年3月22日、国際基督教大学(ICU)を卒業するにあたっても、佳子さまの芯の強さがうかがえるご発言があった。

「相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」

 記者会見ではなく、あらかじめ出された宮内記者会からの質問への文書回答だった。「お相手はいますか」という質問に佳子さまは、こう答えられたのだ。

佳子さまの個性が際立ったお言葉

 その文書には、姉の眞子さまと小室圭さんとについて「一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」という答えもあった。メディアは主にそちらを話題にしていたが、きっぱりした現代女性としての佳子さまに注目していた身としては、そちらより「お相手」についての回答に感動した。

 念のため書いておくと、「お相手」とはつまり「結婚を意識するような相手」または「交際相手」のことだ。私なりに翻訳するなら、「その手の質問には未来永劫、答えません」と言ったのだ。

 こうした佳子さまの個性が際だったお言葉は、今回だけではない。

 2014年12月、成人にあたっての記者会見で「母は、週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが、娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます」と語られた。ちょうどメディアの矛先が、皇太子妃雅子さまから秋篠宮妃紀子さまに移りつつある頃だった。「ご両親はどんな性格か」という質問だったからもっと無難なことを言っても良かったのに、メディアに異を唱えられたのだ。

 24歳の佳子さまは「公開するプライバシー」に線引きをしたのだと思う。

 宮内記者会からは「結婚の時期」「理想の男性像」も尋ねられた。前者への答えは「遅過ぎずできれば良いと考えております」。後者については「以前もお答えしていますが、一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております」。素っ気なさに「答えるのは、ここまで」という意志が感じられる。

佳子さまの発言が照らした「公人とプライバシー」の問題

 堀北真希を思い出した。俳優の山本耕史と結婚、現在は引退している。皇室の話と芸能界の話を一緒にするなという指摘は承知の上だが、「公開するプライバシー」への線引きという意味で、軽く衝撃を受けたのだ。2016年、第一子を出産直後、彼女の事務所が発表したのは「母子ともに健康。性別など詳細を発表する予定はありません」だった。生まれた子が男の子か女の子か知らせない。最近ではよくあることだが、走りは彼女だったのではないかと思う。びっくりした。山口百恵ちゃん世代だからだ。

 山口百恵という人は、芸能界を既に引退していたにもかかわらず、第一子出産後、カメラの前に立った。夫の三浦友和と並び、長男を顔が映る角度で抱いていた。1984年、引退から4年も経ってからのことである。なぜそうしたのかは、知る由もない。芸能界にも世間にも、まだ「芸能人=公人」という意識が強かったのだろう。

 皇室と芸能界。まったく異なる世界であるが、敢えてここで触れたのは、皇室における「公開するプライバシー」のあり方が、社会の動きと重なっていることを明示したかったからだ。佳子さまのお言葉は、美智子さまや雅子さまの時代と比べると隔世の感がある。言い換えれば、美智子さまと雅子さまの時代は、「公開するプライバシー」を自ら線引きすることが叶わなかった。

スリーサイズを書かれた美智子さま

 正田美智子さんと皇太子さま(当時)の結婚が発表された1958年11月、メディアは正田さんのさまざまな「横顔」を報じた。中に、こんな記述がある。

「一メートル六十一センチ(五尺三寸)、五十キロ、中肉中背、スポーツ好きで健康そのもの」(朝日新聞号外)

「一家大柄の血をひき、身長一六〇センチ余、体重五〇キロ強、均整のとれた肢体である」(毎日新聞特別夕刊)

「子供のころひ弱だった美智子さんもスポーツですっかり鍛えられ、いま身長一メートル六十、体重五四キロ、バスト八〇、ウエスト五八・八、ヒップ九一・二五センチの立派な体格」(読売新聞夕刊)。

 それぞれ少しずつ数字が違うのは、ニュースソースが違うのだろうか。それにしても、現代からみれば、「おいおい、バスト八〇って」である。

 だが元新聞記者として想像するのは、当時の男性記者(間違いない、全員男性だ)は皇太子妃になる人の「健やかさ」をアピールしたかっただけだと思う。「戦後」の空気もあったろうから、「大柄」や「立派な体格」はプラスイメージだったろう。そういう人が、皇太子妃になる。善意の報道だったはずだ。

小和田雅子さんのプロフィールは身長だけに

 それから35年。小和田雅子さんが皇太子さまと結婚することが決まったのは、93年だった。宮内庁から報道用に配布されたプロフィールにあった身体情報は、身長だけ。各メディアが発表された数字を報じ、朝日新聞は「皇太子さま163センチ、雅子さん164センチ」と書いている。

 86年に雇用機会均等法も施行された。女性だけでなくお2人平等に情報を、というくらいまではメディアの意識も変化していたということだ。でも、デリケートさは所詮そこまで。

「雅子さま、殿下と私室に“こもりっきり”!」

「女性自身」がご成婚直後から始めた連載「雅子さまの幸せ“ハマナス日記”」にはこんな見出しがある。

「雅子さま、“マタニティ風スーツ”と5日間のご静養!」(11回・10月5日号)

 いま職場で新婚女性に「あら、そのスーツ、もしかして赤ちゃん?」などと言おうものなら、即アウトだ。だが雅子さまに限っては「あり」だった。

 そもそも6回(93年8月24日号)でもう「雅子さま、“ご懐妊態勢”に『もしや?』の声!」と打ち上げ、12回(10月12日号)は思わせぶりに「周囲も声をかけにくい――雅子さま、殿下と私室に“こもりっきり”!」と書く。

 あからさまな「ご懐妊押し」だ。

 美智子さまは結婚10カ月後、紀子さまは1年4カ月後に第一子を出産されている。実際10月5日号“マタニティ風スーツ”の記事は、「ご成婚から3カ月だが、美智子さまもその頃に懐妊の兆候が見られ、紀子さまは懐妊発表の翌日からマタニティ風ドレスに変わった」などと書いたあと、「雅子さまにも、いよいよ……?」と締めくくっている。

 これまた元雑誌記者として当時の編集部の気持ちを代弁するなら、「美智子さまも紀子さまもそんな感じだったんでー、そんなこともあるかなー」くらいだったと思う。

 悪気がないというか、気楽な感じというか。編集部の気持ちをさらに代弁するなら、「国民も期待してるんでー」だろうと思う。

ご体調の説明で「生理がありました」

 期待していたのは国民だけではない。皇室医務主管を長く務めた金澤一郎さんの証言を紹介する。雅子さまの「適応障害」になった背景についてこのように語っているのだ。

〈ご成婚前にいわゆる「皇室外交」もできるからと説得をお受けになったようですね。ただ、皇室に入られてからは、想像されていたことと違うことがさまざまおありになったと思うのです。皇室では、外国の王室も同様ですが、まずは『お世継ぎ』を期待されます〉(「文藝春秋」12年8月号)。

 要は雅子さまは、メディアからだけでなく皇室内部でも、ガンガン「ご懐妊はまだか」光線を浴び続けたということだ。

  お2人の結婚3年目から5年目に毎日新聞の宮内庁担当記者をしていた森暢平さんは、東宮侍医が雅子さまの体調を説明するのに「生理がありました」などと言うことに、「最大のショック」を覚えたと語っている(「AERA」06年3月27日号)。「ご懐妊の情報を知るのが仕事とはいえ、人の奥さんの生理の周期を聞かされることに違和感を覚えました」と。

「皇室は究極のイメージ産業」と表現したのは、朝日新聞記者として長く皇室報道に携わってきたジャーナリストの岩井克己さんだ。政治学者の御厨貴さんは、同趣旨をこう語っている。

〈象徴天皇制という制度は、国民の支持によって成り立っています。「開かれた皇室」をキャッチフレーズに、私的な部分、つまり理想の家族としてのプライバシーを国民に開放することで、人気と支持を勝ち得てきた。その切り札が、まさに美智子皇后だったのでしょう。〉(『皇太子と雅子妃の運命』)

 皇室というイメージ産業の発展のため、開放すべきプライバシーとして「懐妊」はあるよね、というのが宮内庁サイドとメディアの認識だった。だから「マタニティ風スーツ」と書いてしまい、そこへの道として「生理」を説明する。

21歳の誕生日から「結婚」に関する質問をされた清子さま

 同様に、若い皇族女性の「結婚」に至る「交際相手」については国民が知りたい。それもメディアの前提になっている。天皇家の長女・清子さま(現・黒田清子さん)に対し宮内記者会はそれを聞き続け、清子さまは根気強く付き合った。

 初めての記者会見は90年、21歳の誕生日にあたってだった。結婚は「まだ実感から遠い感じです」とし、時期は「いついつまでにと申し上げてしまいますと、皇太子殿下のようなことになると思いますので」と「30歳までには結婚を」と言いながら果たせなかった兄を引き合いにして、ユーモラスに答えた。2年後、大学卒業時の記者会見では「結婚というものには実感が薄いようでございます」、男性との出会いは「あったかもしれないし、なかったかもしれない」。再び兄の台詞を使って、切り返した。

 だがその後、清子さまのお相手をめぐり、報道が過熱する。25歳の誕生日には「マスコミによって騒がれた多くの人々の生活が乱され、傷つきました。とても心苦しく残念に思います」と文書で回答。だが26歳、27歳の誕生日にも「結婚」「お相手」を質問され、清子さまは「私なりの足並みで」「理想を描いて考えはしない」などと答え続けた。

31歳の誕生日会見で「結婚」の文字が消えた

 27歳になって5カ月後、東欧訪問前の記者会見でも結婚について聞かれた。清子さまはとうとう「これからは答えを控えたい」と明言した。だが28歳の誕生日にもまた聞かれ、「事を急ぐだけでなく大切に考えたい」と答えている。

 新聞記事を追いかけると、31歳の誕生日会見でやっと「結婚」という文字が消えている。清子さまは35歳で、都庁勤務の黒田さんと結婚された。

佳子さまは「先手を打った」

 佳子さまは清子さまと違い、内親王ではあるが、「天皇の子ども」ではない。だが、令和になれば、「皇嗣の次女」となる。宮内記者会が会見を要請する場面が、平成より増えてもおかしくない。その「お相手」への関心は高く、報道されることからは逃れられないだろう。

 だからこそ、「相手がいるかについてですが、このような事項に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」と先手を打ったのだ。

 令和という時代を前に、佳子さまはこれまでの皇族女性とまるで違うメディア戦略を示した。新時代の新しい皇室像につながる、凛々しい第一歩だと思う。

(矢部 万紀子)

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