羽田空港の下を通る点線……夢にまで見た「東京港トンネル」を貨物列車で走破した

文春オンライン / 2019年8月29日 5時30分

写真

EF65の運転台

 9時37分。前方の信号が青に変わると、運転士が声を挙げた。

「二番線第一出発進行!」

 そして定刻9時38分、列車は力強く動き出した。

 貨物列車が出発する瞬間、運転台には「俺が引っ張っている」という感覚が伝わってくる。貨車一両一両に、連結器を通して順に力が伝わっていく感覚が確かにある。これは電車では味わえない。

 新鶴見信号場。その広い操車場の真ん中あたりにある「着発二番線」を発車した列車は、ポイントをいくつも渡って左へ左へと寄っていく。隣接する新川崎駅のホームで、小さな子供が手を振っている。その奥からこちらに望遠レンズを向ける青年もいる。

鉄道貨物の全容を見るべく、東京貨物ターミナル駅へ

「文藝春秋」(2019年1月号)で、「どっこい生きてる 貨物専用『隅田川駅』」というルポを書き、その後発売された『 平成の東京12の貌 』(文春新書)にも改題収載された。

 その取材では、普段一般の人が立ち入ることのない「貨物駅」で何が行われているのかを見て、そこで働く人たちの思いを聞くことができた。そして何より、トラックドライバーの減少による鉄道貨物へのニーズの高まりを、肌で感じることができた。

 しかし、東京には鉄道貨物の拠点駅が二つある。主として北海道や東北、新潟方面への“北向き列車”が発着する隅田川駅に対して、九州や関西など“西向き列車”を柱とする東京貨物ターミナル駅だ。

 二つのうちの片方だけを取り上げるのはバランスが悪い。まして東京貨物ターミナル駅は敷地面積、列車の発着本数、貨物取扱量において日本一の規模を誇る日本の鉄道貨物の心臓部だ。ここを見ずに鉄道貨物の全容が分かったような顔はできない。

 ということで、前回の取材でお世話になった日本貨物鉄道株式会社(JR貨物)広報室に東京貨物ターミナル駅の取材を打診したところ、快諾を得られた。

貨物列車に乗って貨物駅に向かう

 東京貨物ターミナル駅(以下「東京タ」)は、大井埠頭のある品川区八潮に広がるコンテナ専用の貨物駅。最寄り駅は東京モノレールの大井競馬場前駅か流通センター駅だが、我々はモノレールでは行かなかった。もちろん車ででもない。貨物駅に向かうのに最も適した乗り物、そう、貨物列車に乗って行ったのだ。

 午前8時30分、横須賀線・新川崎駅に集合した記者と「文春オンライン」編集部のIデスク、それにカメラマンのY氏の3名は、JR貨物広報室の市川寛さんと中村玲香さんの案内で、同駅に隣接する新鶴見信号場に向かう。ここを午前9時38分に出発する「東京タ」行き第4072列車に添乗するのだ。

 大井機関区の垣井洋之副区長(当時)から、これから乗る列車とルートの説明を受ける。

 そもそも我々がいる新鶴見信号場とはいかなる施設なのか。

「東京タ」行き貨物列車の大半が通る重要拠点

 東京方面から横浜方面に向かう横須賀線は、品川駅を出ると、まっすぐ南下する東海道本線と分かれて、東海道新幹線に寄り添って走る。多摩川を渡って武蔵小杉で再び南に向きを変えると、新川崎駅を経て東海道本線と再会、合流して横浜に向かう――。

 この、品川と鶴見の間の横須賀線が走る区間を、正式には「品鶴線」と呼ぶ。いまでこそ横須賀線や湘南新宿ラインが走っているが、1980年に東海道本線と横須賀線が分離運転を始めるまでは、旅客列車が走らない貨物専用線だったのだ。

 新鶴見信号場は、横須賀線の新川崎駅に隣接している。「新鶴見」と「新川崎」がほぼ同じ場所にあるのでややこしいが、どちらも住所は「川崎市幸区鹿島田」だ。

 品鶴線の貨物駅として設置された新鶴見信号場は、全国各地から「東京タ」に向けてやって来る貨物列車の大半が通る重要拠点。

 我々が乗る第4072列車は、その日の早暁5時36分に宇都宮貨物ターミナル駅を出発し東北本線を南下。大宮操車場を出ると武蔵野線に入り、新座貨物ターミナル駅(埼玉県新座市)、梶ヶ谷貨物ターミナル駅(川崎市宮前区)を経て、7時57分に新鶴見に着いたコンテナ専用列車だ。ここから終点「東京タ」までの最終区間は22.1キロ。

梯子段を上っての「垂直乗車」には機関車の重さと安定が感じられる

 9時20分。垣井副区長に率いられて着発二番線に停車している列車に向かう。26両の貨車を従えて、昭和の名機「EF65」の2075号機が出迎えてくれる。

 当然ながら旅客駅のようなプラットホームはない。線路の敷かれた砂利の上から、梯子段を上って乗り込む。この、地面からの「垂直乗車」は、慣れぬ者には一苦労なのだが、同時に機関車の重さと安定が感じられる。「男の乗り物」という雰囲気が味わえて嫌いではない。

 すでに運転士が乗り込んでいた。彼は午前2時52分に静岡貨物駅を出る第2058列車に乗務し、5時00分の新鶴見到着までノンストップで運転。しばしの休憩ののちに第4072列車に乗務する、というスケジュールだ。

 ちなみにこの運転士が静岡から乗ってきた2058列車は、大阪の吹田貨物ターミナル駅から宮城県多賀城市の陸前山王駅まで行くコンテナ専用列車。彼はその真ん中あたりのひと区間を担当し、今度は別の列車の最終区間を運転する、という仕組みだ。日本中を走り回る貨物列車は、多くの乗務員が区間ごとを細かくリレー乗務することで成り立っているのだ。

「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」点検作業後、いよいよ出発

 9時25分。運転席では発車前の確認作業が始まった。垣井副区長がこれから乗務する区間の確認事項を伝え、最後に一言付け加えた。

「なお本日はお客様の添乗がありますが、普段通りの安全運転を心がけて下さい」

 普段は一人で乗務する運転席に、今日は我々取材班の他に、垣井副区長と広報室の2名の総勢6名が乗り込んでいるため、立錐の余地もない。運転士には迷惑だろう。本当に申し訳ない。

 9時32分。運転席に無線の会話が流れる。場内にいる別の電気機関車が、新鶴見信号場の指示でブレーキテストをしているらしい。

「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」

「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」

「テスト終了。お疲れ様でした!」

 といったやりとりなのだが、いったいどんなテストなのだろう。ブレーキが緩むかどうかのテストのようにも聞こえるが、そんなテストがあるのかどうかもわからない。

 わが機関車は出発間近で、運転士と副区長は各種点検作業に余念がない。

 心地よい緊張感の中、いよいよ出発時刻が訪れた。

 前方の信号機が「青」を灯した。

およそ800メートルも続く貨物専用線“短絡線”に心躍る

 新鶴見を出て3分ほど走ると、割畑信号場という分岐点に差しかかる。ここからが今回の添乗記前半最大のヤマ場だ。

 このまままっすぐ進むと、東海道本線に合流して小田原方面に向かってしまう。「東京タ」へ向かうこの列車は、割畑で左に分岐して、東側を走っている南武線に合流する道を取る。その間約800メートルは、記者が愛してやまない“短絡線”という貨物専用線だ。川崎と立川を結ぶ通勤路線・南武線の支線扱いのこの短絡線には、「尻手短絡線」という名称が与えられている。

 昨年、やはり添乗取材で常磐線の土浦駅から隅田川駅まで貨物列車に乗った時も短絡線を走ったが、それは添乗区間の最後、南千住駅の手前から隅田川駅構内までの400メートルほどだった。

 ところが今回は、出発していきなりの短絡線だ。しかも南千住の倍の長さだ。心が躍る。

 割畑の分岐点を過ぎて左にカーブする。横須賀線の高架をくぐって東に向きを変えると、展望が一変する。いかにも短絡線然とした単線だ。道路に置き換えると、何車線もある大通りから、車一台がようやく通れる路地に入り込んだような変化だ。

楽しかった短絡線の旅は2分ほどで終わり、南武線と合流

 レールの間に草が生えて、本線と比べて明らかに格下感のあるくねくねとした短絡線を走るのは楽しい。民家の軒先や裏庭のようなところを、大きな電気機関車が長いコンテナ車を引いて走っている――と思うと、なお楽しい。

 そもそも旅客列車が通らない線路を走る列車に乗っていると、してはいけないことをしているような、背徳感に似た意識に襲われる。いつまでもこの線路を走っていたいと思うが、ものの2分ほどで左側から南武線が近づいてきて合流。ふたたび「大通り」に出た。楽しかった短絡線の旅はあっさり終わった。

 合流地点から目と鼻の先の尻手駅では、南武線の下り線のさらに外側の線路を通過。川崎駅に向かってカーブしていく南武線を左に見て、わが列車は直進。浜川崎駅に向かう「南武線浜川崎支線」に入った。つまりこの列車は南武線の支線ばかりを選って走っているわけだ。

 東海道本線と京浜東北線を直角にまたぐと、右から「東海道貨物線」が合流してくる。ここから先「東京タ」まで、この列車が走る線路の戸籍も「東海道貨物線」となる。

 京浜急行との接続駅である八丁畷駅を9時47分に定刻通過。ここにもこちらにカメラを向ける青年がいた。

「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ

 9時53分。南武支線の終点、浜川崎駅を通過。駅の手前で左にカーブを切り、旅客ホームの裏側をかすめるようにして、それまで南東に向けていた進路を北東に変える。ここから終点の「東京タ」までは、貨物列車に乗らなければ通ることのできない線路だ。

 浜川崎駅から川崎貨物駅までの区間は、夜になると「工場夜景」のメッカとなる臨海工業地帯。昼間は殺風景な工場群だが、そこを貨物列車が走るとよく似合う。

 高速道路と並走したり、運河を渡ったりして9時58分、川崎貨物駅を通過。

 この駅は、付近一帯の工場群へと延びる多くの貨物専用線を束ねる拠点。燃料系の貨物も多く扱うため、コンテナ専用駅とはまた違った風情がある。構内に進入すると、左右に線路が無数に枝分かれしていく。どんどん眺望が開けていく中、わが列車の前方に、側溝のようなくぼみが見えてきた。地下へと潜っていく2本のレールと、その先にはトンネルが口を開けている。

「いよいよ来たか……」

羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ

 大袈裟なことをいうようだが、記者はこのトンネルを通るのが夢だった。

 その存在を知ったのは昭和50年頃だったろうか。子供の頃から地図を眺めるのが好きだった少年は、ある日、地図に描かれた「羽田空港の下を通る点線」を見つけた。

 これは何か?

 インターネットもない時代に、調べようもない。周囲の大人に訊いてもわからない。悶々と過ごしていたある日、新聞だか鉄道雑誌だったか忘れたが、これが貨物列車専用の海底鉄道隧道「東京港トンネル」であることを知った。

 青函トンネル開通前の当時、「海の下」を鉄道で通れるのは関門トンネルだけだと思っていた。ところが、意外に近く(当時横浜在住)に海底トンネルがあるとの情報がもたらされたのだ。

「通りたい!」

 と少年は思ったが、貨物列車専用だから通れない。関門トンネルも、その後に開通する青函トンネルも、お金さえ払えば通れる「海の下」だが、すぐそばにある「海の下」はお金を出しても通れない。そこを通るには貨物列車の運転士になるしかないのだ。

 このトンネルを通るために貨物列車の運転士(当時は「機関士」といった)になろう、と本気で考えた。その頃は貨物列車にも車掌が乗務していたので、運転士が無理なら車掌でもいい――と、妥協案を立ててまで夢見たのだ。

昭和で見た夢は、平成を経て令和に至り、ついに実現した

 結局そのどちらにもなれなかった元少年は、大人になっても東京港トンネルへの憧れが消えなかった。せめてトンネルの出入り口だけでも見ようと、聖地巡礼もした。

 海底トンネルの川崎方の出入り口は、京浜急行大師線の終点、小島新田駅を出てすぐのところにあり、貨物駅全体をまたぐ跨線橋から眺めることができる。橋の上からトンネルを見下ろし、生まれ変わったら今度こそ貨物列車の運転士になろう、と思った。

 ところが、生まれ変わる前に夢がかなった。昭和で見た夢は、平成を経て令和に至り、ついに実現の時を迎えたのだ。

 わが第4072列車は、幾筋もある線路の中から、トンネルに向かう1本を選び抜くと、徐々に「くぼみ」を潜航し、トンネルに突入した。

 東京港トンネルは複線だが、そのほとんどの区間を上下線が別々に掘られている。しかし、川崎方の開口部から僅かな区間は上下線の間に仕切りがない。トンネルに入ってすぐの10時00分。いままさにトンネルを出ようとする下り列車とすれ違った。「東京タ」を9時50分に出発した千葉貨物ターミナル駅行き第4095列車。お互い定時運行だ。

両脇の壁をすぐ近くに感じる5分間のトンネルの旅

 トンネルの中で上下線が分かれた。見た目は単線だ。

 列車の運転席の後ろに立って、前方を眺めながらトンネルを通る時は、複線よりも単線のほうが断然楽しい。車輛のすぐ両脇まで壁が迫った暗く狭い空間を、高速で安全に走り抜ける迫力は、鉄道にのみ与えられた快感だ。

 それだけでも愉快なのに、いま自分の頭上には海があり、空港があり、飛行機もある。そんな海底の下を、人が乗れないはずの貨物列車で走っているのだ。感動は尽きない。

 海底トンネルを5分ほど進むと、前方に光が差し込んできた。夢にまで見た東京港トンネルの旅が、ついに完遂した。

 地下空間から地上に顔を出すと、そこが終点の東京貨物ターミナル駅だった。

 林立する倉庫群、広大な敷地にいくつもの機関車や貨車が連なり、ホームにはコンテナが並んでいる。闇に閉ざされた狭いトンネルから、突如明るくて広いターミナルに出てきた時、母親の胎内から生まれてきた瞬間の光景が連想された。ものの30分貨物列車に乗るだけで、色々なことに思いを馳せられるものだと、わがことながら感心する。

 日本一の広さを誇る「東京タ」の中心部に差しかかった第4072列車は、速度を落としながら10本ある着発線(列車が本線に向けて出発し、本線から来た列車が到着する線)の中の「着発二番線」に入線した。10時08分、定刻通りの到着。

コンテナホームへの移動にも添乗させてもらった

 これで第4072列車の添乗は終わりだが、同乗した広報室の中村さんから驚きの提案が示された。

「このあと貨車をコンテナホームに入れて切り離し、機関車を留置線に移動させるのですが、そこまで乗られますか?」

 昨年秋、記者は誰の紹介もなく、JR貨物の広報室に電話をかけた。取材の意図を告げ、企画書を郵送し、打合せに行った。

「貨物駅を見学したい」「貨物列車に乗りたい」「短絡線を走りたい」

 そんな、誰に話しても理解してもらえない訴えに、真剣に耳を傾け、要望に応え続けてくれたJR貨物広報室は、もはや記者の思いを見抜き、先回りして提案してくれるまでに心が通じ合っている。この有難い提案を断る理由などない。運転士には迷惑をかけるが、最後まで見届けさせてもらうことにする。

 着発二番線で地上職員からトランシーバーのような無線機を受け取った運転士は、列車の最後部近くに待機する別の職員との交信テストを始めた。これからこの列車は、後ろ向きに走って、26両の貨車をコンテナホームに押し込むのだ。

 運転席から列車の後方は見えない。頼りは無線の指示だけだ。

「40……30……20……10……5メーター…………停止!」

 10時11分。「ピッ」と短く警笛を鳴らすと、列車はゆっくりと後進を始めた。運転士は窓から顔を出して後方を凝視する。今日は晴天だが、雨や雪の日は大変だろう。

 ゆっくり走っているとはいえ、何度もポイントを渡り、そのたびに右に左にとカーブする。たかだか1067ミリメートルの幅の線路の上を、重くて長い貨車を後ろから押して、よく脱線しないものだと感心する。

 速度を落としながら運転士と副区長が喚呼する。

「40……30……20……10……5メーター…………停止!」

 10時14分、コンテナ21番線に停止した。

 宇都宮から引っ張ってきた貨車を切り離して身軽になった「EF65」型電気機関車2075号機は、10時17分、前進を始めた。不思議なもので、運転席にいるだけで軽くなった感覚がわかる。

 先ほど本線から到着した「着発二番線」に戻ると、一旦停止して地上職員に無線機を返却。すぐに発車すると、さらに奥へと進んでいく。

 広かったターミナルも、先端に近付くにつれて線路が集約されて先細りになっていく。最大で22本も並んでいた線路が3~4本まで減ってきた。

 線路を覆うように生える草の伸び方で、ターミナルの終端部が近いことがわかる。

 10時23分、最果て感の漂う「機待三番線」に停止。

「東京タ」の構内をほぼ2往復、添乗体験が終わった

 ここからもう一度逆向きに走って、さっき貨車を切り離したコンテナホームに近い「機留線」まで移動する。

 先ほどは運転士が窓から顔を出して無線を頼りに後進運転したが、いまは後ろに貨車がいないのでその必要はない。反対側の運転台に移動する。

 電気機関車の、前にも後ろにも同じように進める構造の利便性が、こんな時によくわかる。車も飛行機も、船も馬も、前進するのは簡単だが、真後ろに進む時には難儀する。蒸気機関車も同様で、昔は終着駅に着くとターンテーブルという円盤に載せて、向きを反転させていた。

 その点、電気機関車や電車は、乗務員が移動すれば、それまで「後ろ」だったものが「前」になる。鉄道のように、線路の上でしか行き来できない乗り物にとって、これはきわめて大きな強みだ。

 晴れて後ろ前になったわが機関車は、いよいよ最後のひと走りを始めた。

 再び横に広がっていく膨大な数の線路の中で、最も西側に敷かれた線路を通って、機関車を留置する機留線に向かう。短い時間に広い「東京タ」の構内を、ほぼ2往復したことになる。

 10時31分、「機留三番線」に到着。これで添乗体験は本当に終わってしまった。

 去りがたい気持ちをおさえて機関車を降りると、すぐ横には、かつてブルートレインを牽いていた「EF66」の最後の現役車輛、27号機が、静かに休んでいた。

 人生で得られる幸運の、かなりの量をこの1時間で消費したような気がした。

写真=山元茂樹/文藝春秋

「貨物列車は駅でも“分単位”のスケジュールです」物流の最前線で何が起きているのか へ続く

(長田 昭二)

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