孤高のエースの10年間……引退表明・メッセンジャーは日本で何と戦ってきたのか

文春オンライン / 2019年9月17日 11時0分

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今季限りでの現役引退を発表したランディ・メッセンジャー ©文藝春秋

 右足の強烈な痛みが“挨拶”だったと勝手に思い込んでいる。もう何年続いていただろうか。毎年、春季キャンプで初めてブルペン入りした彼の囲み取材が終わると、必ず足を踏みつけられた。「アッチイケ!」。沖縄の、肌に刺さるような日差しではなく、この流暢な日本語を聞くと、また長いシーズンが始まるのだと感じられた。

 電撃的で衝撃の決断だった。9月13日。球団から届いた一通のメールによって、ひとつの時代に終止符が打たれた。「メッセンジャー選手の引退について」――。無機質なデジタル文字でつづられたタイトルから始まる文面には、助っ人右腕が自ら現役を退く意向を球団に伝え、了承された―という内容が淡々と記されていた。

 その前日には2軍の練習試合に先発して5回4失点の内容で降板。シーズン終盤の昇格を目指していた中での突然のリタイア宣言に少し動揺してしまった。パソコンと向き合ってもなかなか手は動かない。振り返ることが多すぎる。記者1年目と入団1年目が偶然にも重なったことで、一歩目から最後までその歩みを目にすることができた。この10年間をゆっくりと思い返しながら、ランディ・メッセンジャーの現役引退を伝える1面原稿に取りかかった。

助っ人をエースへと昇華させたハングリー精神

 2010年、シアトルマリナーズから阪神タイガースに入団した来日1年目は中継ぎとして開幕を迎えた。だが、結果が奮わず4月下旬には早々と2軍降格。先発転向の打診があったのはその時だった。中継ぎに失格の烙印を押されたようで正直、気持ちの整理はついていなかったという。“先発デビュー”はアマチュアのクラブチーム相手の育成試合。2軍首脳陣の「こんな舞台になって申し訳ない……」という気遣いの言葉を聞くと、強く首を振った。「気にしないでくれ。俺はピッチャーだ。誰がバットを持っていようと打席に入れば打者と勝負するよ」。こんな熱い言葉から、成功への道は開けた。

 新戦力として期待されながら異国の地でいきなり経験した配置転換は屈辱でもあったはずだが、それよりも出番に飢えていた。貧しい家庭で育った幼少期。衣服すら満足に揃えることができず、穴の開いたシャツを着て街を歩いていたランディ少年にとって「ベースボール」だけは、無くなることなくずっとそばにあったものだった。野球を信じ、野球に生きる――。ハングリー精神が助っ人をエースへと昇華させた。

 2年目から4年連続で2桁勝利を挙げるなど、ローテーションに欠かせぬ存在となり、名実ともにタイガースの大黒柱へと登り詰めた。ただ、助っ人として来日した外国人の多くが、日本での成功とともに選択肢とするのがメジャー再挑戦という夢。背番号54も例外ではない。2年前に聞いたことがある。

「アメリカの大きな舞台に戻って、ミゲル・カブレラ、ブライス・ハーパーやクリス・ブライアントと対戦したいと思わないのか」

「もちろん、対戦したい気持ちもあるよ。映像で見ながら配球も考えたりするから」と口にした後、ランディは歩んできた道のりを噛みしめるようにうなずいた。「タイガースでも殿堂入りするような選手と対戦してきたし、金本さん、城島さんみたいな素晴らしいプレーヤーとチームメートとしてプレーできた。そんなキャリアを自分でも誇らしく思っているから」。日本……いや甲子園に、骨を埋める覚悟があった。

若い選手たちに背中で「レガシー」を示してきた自負

 開幕投手にこだわり「自分しかいないと思っている」とライバルの追随を許さずに君臨。今季まで5年連続6度の大役を務めたことは積み重ねた信頼の証に他ならない。シーズン中は短い登板間隔を好み、ローテーションの中心でいることが、自尊心を支えた。ただ、若手も凌ぐ豊富な練習量を誇った孤高の存在は、一方で、特にここ数年は孤立とも紙一重だったように思う。

 成績の下降し始めた近年は、球審の判定に不満を示す態度を見せるなど、別の表情もクローズアップされた。2軍での最後の登板となった試合でも、カメラマン席に向かって中指を立てかみたばこを投げ捨てるなど荒ぶったイメージのまま、マウンドを降りていた。

 否定はしないが、そんな悪態ばかりが素顔ではない。若手の成長に目を配り、遠征先では投手、野手、分け隔てなく食事に誘うことも少なくなかった。チームの未来にまで視線を向け、中心を担う若手の成長を願っていた。

 取材してきた10年間で数多くの言葉をノートに記してきたが、最も印象深いのは昨年の開幕前に行ったスポニチの独占インタビューでのやり取り。日本人の若手との世代交代の可能性について問うと、ランディ・メッセンジャーという投手の根幹の部分を明かした。

「一度、若手にポジションを奪われるという恐怖を持つと、自信もなくなっていく。そういう意味で、常に練習し続けることで自分は地位を確立してきた。若い選手にも“レガシー(遺産)”として引き継がれていくのであればとてもうれしい。若い選手には、常に自分のポジションを獲る、とガツガツ来てほしい部分もあるけど」 

 異国の地で、ポジションを奪われる恐怖も感じながら、背中で「レガシー」を示してきた自負がある。

 引退を決断させたのは、長年のフル回転で疲弊し切った右肩の状態にある。150キロを超えていたストレートは、いつしか140㌔台に止まってしまった。力勝負で打者を圧倒するパワーピッチャーだった数年前の自分を、最後まで捨てきれなかったのかもしれない。誰よりも球数を投げてきた男の寂しくも、誇れる引き際――。二度と現れないであろう“青い眼の10年戦士”が大切に守ってきた「エース」という看板をついに下ろす。

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(チャリコ遠藤)

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