一生結婚しなくても生きてゆける現代の日本 「結婚」と「宗教」の意味とは?

文春オンライン / 2019年9月24日 11時0分

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『神前酔狂宴』(古谷田奈月 著)

 結婚。それは縦につながる血族集団を、女性の交換を通して横につなげ、社会の拡大を可能にした画期的システムである、と文化人類学では解釈する。まさに縁を組む「縁組」である。

 それは社会にとって重要であるがゆえに聖なる行為とみなされ、しばしば宗教と結びついてきた。

 ひるがえって現代の日本社会。べつに家族や親族に頼らなくても、一生結婚しなくても生きてゆける。宗教なんて、除夜の鐘をついて初詣はするけど、盆と正月は「お休み」であり、宗教行事であると意識する必要さえない。

 伝統、あるいは慣習という言葉が似合う結婚と宗教。いっけん薄っぺらになったこの言葉の重層性を現代の若者が発見してゆく魂の履歴。こんな大袈裟な物言いを著者は嫌がることであろうが、本書はそのような小説である。

 舞台は由緒正しき神社に附属した結婚披露宴会場。

 18歳で派遣アルバイトとして働きはじめた主人公の浜野と同期の梶。今どきの軽いノリの若者であるふたりが、披露宴会場での仕事、そこでの出会いを通して、どう変わってゆくか。

 当初は披露宴の見積書に並んだ、ボッタクリとも思える高額な諸費用を見て、「何もないところから金が生まれてる」という結婚=ビジネスという薄っぺらな層での認識からはじまる。

 それでも、神社の醸しだす聖なるものが少しずつ彼らの世界に浸透し、神道系大学に通い、近くの神社の披露宴会場で働く倉地という真面目な女の子に感化され、神と結婚との関係について真剣に考えるようになる。そしてふたりの魂は別々の道を歩みはじめる。

 梶は伝承されてきた神のありかたをそのまま信じ、それを体現する倉地に寄り添ってゆく。

 いっぽう浜野は、神的なものにおとなしく侵略されることを拒否し、苛立ちや悔しさや胸にある黒々としたものを意識化し、それらで満たされた自分の心、自分の頭を基準として思索し、行動してゆく。

 現代の結婚における伝統主義と商業主義のバランスも自分なりに咀嚼した浜野は、物語の最後に用意された不思議な披露宴の場において、心の「空白」を担保したうえで神と対峙する、ある種の自由な境地に至る。

 バイトをはじめてからキャプテンとして会場を仕切るようになるまでの16年間。それは派遣社員の時給が上がる経済活動の歴史であるが、同時に個の魂と精神の履歴でもある。

 各人が独自の視点を持ちながら、自身の心と対話しながら現実を生きている。結婚や宗教といった伝統や社会システムも、じつは彼らによって認識され、理解され、再解釈されてゆく。

 歴史とはそうやって「更新」されてゆくものであるということを、今どきの若者の視点を通して明らかにしてくれる、そんな小説である。

こやたなつき/1981年、千葉県生まれ。2013年「今年の贈り物」で第25回日本ファンタジーノベル大賞を受賞。18年「無限の玄」で第31回三島由紀夫賞受賞、「風下の朱」で第159回芥川賞候補。

すずきひろゆき/1965年、山梨県生まれ。文化人類学者。国士舘大学法学部教授。著書に『恋する文化人類学者』など。

(鈴木 裕之/週刊文春 2019年9月26日号)

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