なぜ米津玄師はこれほどの存在になったのか――近田春夫の考えるヒット

文春オンライン / 2019年10月13日 11時0分

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絵=安斎 肇

『馬と鹿』(米津玄師)/『#Love feat. Ann, gaku』(supercell)

『馬と鹿』を4分の4拍子のリズムで捉えると、何か腑に落ちない――というか落ち着かないというかムズムズするというか――トリッキーなものがあるのを感じとってしまうリスナーも、結構いるのではないだろうか(といってその理由についての構造的解説はこのページには馴染まないかとも思いますので、とりあえず端折りますが……)。

 てな訳でこの作品、作曲者の、音楽の持つ数学的側面への造詣が深くなければ(いい回しを変えるなら、きちっとした楽典的素養の持ち主でなければ)作り得なかったものであることは、業界人ならば、まぁ誰でもわかる話だろう。

 ただ、そうした作曲技術論的な文脈においての好奇心のみで眺めるのなら、このレベルの若者は他にもそこそこいるような気はする。

 というのもご承知の通り、米津玄師は、初音ミクでお馴染みの「ボーカロイド」すなわちコンピュータ合成された擬似的な肉声に歌を歌わせる作品を動画の投稿サイトに発表して、注目を集め頭角を現してきた経緯を持つ。

 同時期、同じようにコンピュータを駆使して作品をまとめ上げるアマチュアも、ネット上には多く散見できた。彼等と米津玄師とを比べて、音作りにさほどの遜色はなかったようにも思えるからだ。

 では何故、一人米津玄師のみが、これほどまでの存在となったのか? 他のいわゆる“ボカロP”たちとは何が違ったのか?

 新曲から、見えてくるものもちょっとあった。

 冒頭述べたこととは別に、この曲でどうしても目がいくのがタイトルだろう。一体これは何を歌っているのか、気になって思わず歌詞を見た。

 結論から申せば『馬と鹿』が何を指すのか、結局よく分からなかった俺だが、この歌詞はjpopにはよくありがちな、曲を担当した人間がついでに“埋め草的に適当なコトバを並べて納品した”本人も何をいいたいのかが見えていないようなシロモノとは、キッパリと一線を画していた。

 ふと想像したのは、誰か別の作曲家がこの歌詞に曲を載せたらどんな感じになるのだろう? また全然違う世界が待っていそうだなということで、つまり、米津玄師の書く歌詞というのは、本人の音楽と対になって初めて成立するのではなく、コトバそれ自体が独立して揺るぎない表現性を有しているのである。

 そして、今回何より実感させられたのがノドの説得力だ。ややもするとどうしても、作り手/プロデューサー的な部分での才能に注目が集まりがちな米津玄師だが、この人がここまで売れた大きな要因のひとつに、ボーカリストとしての魅力は無視出来ぬのではないか。こんなデジタル全盛の御時世とはいえ、やはり歌詞と歌声に人々は惹かれるものなのかも知れないなぁと、あらためて強く思った次第だ。

 supercell。

 大変に耳触りの良いサウンドゆえ、どこで音がなっていようとも邪魔にならない曲。

ちかだはるお/1951年東京都生まれ。ミュージシャン。現在、バンド「活躍中」や、DJのOMBとのユニット「LUNASUN」で活動中。近著に『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。近作にソロアルバム『超冗談だから』、ベストアルバム『近田春夫ベスト~世界で一番いけない男』(ともにビクター)がある。

(近田 春夫/週刊文春 2019年10月3日号)

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