日比谷高校だけじゃない! ハイレベルな生徒の「都心回帰」はなぜ起きているのか?

文春オンライン / 2019年10月8日 5時30分

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 都立高校で東京大学をはじめとする大学進学成績が伸びているという。これまで進学指導においては、独自のカリキュラムを組む一部の私立高校が中学受験から優秀な生徒を集め、徹底した受験指導を行うため、都立高校は受験に不利といわれてきた。

 ところが最近の都立高校は、学校による特色を打ち出すことを東京都が容認し、進学指導重点校(日比谷高校など7校)、進学指導特別推進校(小山台高校など7校)、進学指導推進校(三田高校など13校)を置き、学校ごとに特別に進学指導を行うようになってきている。こうした地道な取り組みが進学成績の向上につながり、一部の都立高校の人気向上につながったようだ。

「日比谷高校→東京大学」というエリートコースの始まり

 公立高校の役割は本来それぞれの地域の生徒を集め、高等教育を行うことであった。そして現在のように高度に交通網が整備されていなかった頃は、より地域性の高い存在であった。

 都立高校は戦前の旧制府立中学や市立中学校、高等女学校などが母体となり、これに新制高校などが加わったもので、現在では186校(平成31年度)を数える。もともと都立高校のトップと言えば、日比谷高校だ。日比谷高校は旧制府立一中で、戦前から旧制第一高等学校に多数の生徒を送り出し、第一高等学校から東京帝国大学に進学するというのが日本のエリートコースといわれた。

 これが戦後、学校制度が変わり旧制高校が廃止されると、新制の日比谷高校から直接、東京大学に進学する道が開かれた。そして「番町小学校→麹町中学→日比谷高校→東京大学」という新たなエリートコースが生まれたのだった。

戦後の人口拡大の波に乗った“郊外にある都立高校”

 だが戦後の高度成長が始まると、続々と地方から大量の人々が東京を中心とする首都圏に流入、その多くがサラリーマンとなって家族を持ち定住するようになった。人口が増加するにつれて都心部の地価が上がり、都心にあった借家が次々とオフィスビルなどに切り替わるようになり、住宅は郊外部へと広がっていった。

 この動きは昭和30年代後半くらいから顕著になるが、人口の郊外への拡大の波に乗ったのが、郊外にあった都立高校である。たとえば中央線沿線は東京の人口増加の受け皿となっていったが、新宿区の戸山高校、杉並区の西高校、立川市の立川高校などの大学進学成績が急伸していった。

 これらの学校は日比谷高校と並んで戦前の旧制府立中学、いわゆるナンバースクールで、東京都心に通うサラリーマンの子弟の受け皿として徐々に力をつけていったのだ。

 東京大学への進学成績において戸山高校や西高校も100名以上の合格者を叩き出し、トップの日比谷高校に肉薄した。

都立高校の「進学校化」が受験戦争を招き……

 郊外にサラリーマンの受け皿としての住宅を建設し、そこにサラリーマン家庭が居を構える。そして、とりわけ大企業社員や官僚などが好んで住んだ山の手の中央線沿線で育った子弟が、地元の進学校に通う構図が出来上がっていく。

 こうした都立高校の「進学校化」は当時受験戦争を煽るものとメディアを中心に非難され、東京都の小尾教育長は昭和42年に新しい入学者選抜方式である学校群制度を導入する。この学校群制度は「富士山から八ヶ岳へ」のスローガンを掲げ、都立高校に学区制を設けるのと同時に、学区内の都立高校を2校から3校ごとに学校群へと編成。受験生は希望する学校群を受験し、群ごとに合格者を決定されるというものだった。

 その結果、日比谷高校は進学できる学区が千代田区、港区、品川区、大田区に限られたうえに、九段高校、三田高校と同じ一つの学校群の中で選抜され、合格者はこの3校に平等に振り分けられることになった。これが原因で人気が分散してしまい、日比谷高校は進学成績を落としていった。

 学校群制度の導入によって日比谷高校を頂点とするピラミッドは崩壊したものの、それぞれの学区内の中心となる進学校の位置づけは明確になった。特に2校編成の学校群となった22群の戸山高校や32群の西高校、72群の立川高校は日比谷高校の進学成績を上回るようになり、さらに中央線の八王子駅がある八王子市では、八王子東高校が多摩地区の新たなエリート高校として登場することになる。

「好きな都立高校に通えばいいじゃないか」

 人口の郊外部への拡大によって、これまで中央区や台東区、江東区などに住んでいた住民たちが、都市化の流れに伴って郊外部へ脱出。その結果下町の名門校であった上野高校や白鴎高校、両国高校、墨田川高校などが支持基盤を失い、代わって登場した私立高校(どこからでも自由に生徒を集めることができる)に優秀な生徒を奪われ、進学成績を落としていった。

 こうした状況を受けて東京都では石原慎太郎知事の時代、知事が「高校生なんだから東京都内の好きな都立高校に電車やバスで通えばいいじゃないか」と言って都立高校の入学者選抜方式を大きく変え、現在は都内どこからでも「単独志願」で学校が選べるようになった。また小石川中等教育学校(旧都立小石川高校)のような中高一貫校の指定も行われるようになった。

 そうした改革の結果が進学成績の向上につながるのだが、一方で現在の各高校の進学成績を覗くと興味深い事実が浮かび上がる。

都心部の学校に優秀な生徒が集まり始めている

 たとえば2019年春の、各都立高校の東京大学合格者数をみてみよう。一時は東京大学合格者数が一桁台に落ち込んでいた日比谷高校の47名を筆頭に西高校19名、国立高校16名が続くが、注目すべきは都市部の学校で一時は進学成績が低下していた青山高校が10名、小石川中等教育学校も16名の合格者を出していることだ。いっぽう郊外人口増加の流れに乗って進学成績を伸ばしていった立川高校は2名に落ち込んでいる。

 この現象から窺えることは、人口の都心回帰の動きが郊外部の高校の進学成績を落とし、都心部の高校に優秀な生徒が集まり始めているということだ。私立高校でもこの動きは顕著だ。開成高校や麻布高校といった東京大学合格上位の常連校を除き、私立高校の間でも今は都心部の学校に良い生徒が集まる傾向にあるからだ。

 渋谷教育学園渋谷高校は、同系列の幕張高校が72名の合格者を出しているものの19名、本郷高校はかつて東京大学合格者リストには縁のなかった学校だが5名。早稲田高校(30名)、海城高校(46名)はいずれも新宿区の学校、豊島岡女子学園(29名)は豊島区の学校、攻玉社高校(15名)は品川区五反田の学校だ。

街選びは学校選びの時代になっている

 実はこうした「人の流れ」によって学校の進学成績が変わることは、不動産の現場でよく遭遇するできごとだ。たとえば大手デベロッパーなどによって広大な工場跡地に開発された大規模マンションでは、教育熱心な家庭が一時に多数引っ越してくることから、街の小学校や中学校の生徒の姿が激変してしまうことがある。

 ある大手デベロッパーの大規模住宅開発地では、多数のマンション住戸が分譲され、このエリアの小学校に大量の「新参者」の小学生が流入してきたことから、地元の子と争いになってしまったという。この開発地はもともと港町であったことから、漁業関係や港の荷揚げ業者の子息が中心だった。そこの学校につるんとしたお坊ちゃま、お嬢ちゃまが大勢入ってきたことから学校は大混乱となった。

 初めのころはやんちゃ坊主に泣かされていた新参者だったが、最後は多勢に無勢。次々と入学してくる新勢力によって学校の偏差値はどんどん上昇。やがてはそのエリア一番の成績をあげる学校になってしまった。 

 このように有名進学校の盛衰には、実は街の盛衰の歴史が隠されている。最近ではマンションを選ぶ際、地元の小学校の良し悪しを徹底的に調査する親が多いという。街選びは学校選びの時代になっているのだ。

(牧野 知弘)

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