「なぜ女子校の運動会は『学年対抗』形式が多い?」 半減した女子校の存在意義を再考する

文春オンライン / 2019年10月11日 11時0分

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 会社でコピー機が故障したとき。共学校出身の女性は近くの男性を呼ぶ。女子校出身の女性は手を真っ黒にして自分で直そうとする。そんな表現がある。それがそのまま真実だとは思わないが、女子校出身者は「よくいえばなんでも自分でやろうとする、悪くいえばひとに甘えるのが苦手」ということのたとえ話である。

 体育祭の準備をするにしても文化祭の準備をするにしても、女子校では何から何まで女手だけでやらなければならない。重いものを持ってくれたり、高所作業をお任せできたり、大工仕事を手際よくこなしてくれたりする男子はいない。ぜんぶ自分たちでやる。

「寝グセのまま学校に来ても恥ずかしくない?」

「大学のサークルの買い出しで、缶や瓶などの重い荷物を男子が運んでくれて、女子はスナック菓子を持ってくれればいいよと言われることがとても新鮮だった」と女子校出身者の多くが証言する。

 男子に頼るという意識が少なく、むしろ「男子がいないから楽でいい」は、どこの女子校にも共通する生徒たちの意見だ。「教室の中ではお行儀が悪い! 男子がいればもう少しおしとやかにしてくれるかもしれない」と多くの女子校教員が苦笑いする。「寝グセをつけたまま学校に来ても恥ずかしくない」とあっけらかんと言ってのける生徒もいるという。

 拙著 『新・女子校という選択』 および 『新・男子校という選択』 の取材を進めるなかで、私はあることに気がついた。一般的な学校の運動会では学年をまたぐ縦割りのチーム編成となることが多いが、女子校では、学年単位のチーム編成で運動会を行う場合が少なくないのだ。高校3年生チームと中学1年生チームが戦ったりする。少なくとも男子校では聞いたことがない。

なぜ女子校の運動会は「学年対抗」形式が多いのか?

 奇妙だと思って、複数の女子校でその理由を聞いてまわった。「ずっと前からそうなので……」という答えが多かったが、いくつかの学校では、「かつて縦割りにしたこともあったのですが、生徒たちからたいへん不評で、学年対抗に戻した経緯があります。彼女たちは勝つことよりも自分たちのチームをつくること自体にやりがいを感じるようで、よって先輩たちから指図されるのもあまり面白くないと言っていました」という主旨の証言が得られた。

 ケンブリッジ大学心理学・精神医学教授のサイモン・バロン=コーエン氏は、『共感する女脳、システム化する男脳』(NHK出版)という本を著している。そのタイトル通り、女性の脳は共感する能力に長けている傾向があるというのだ。それが本当だとするならば、ある仮説が成り立つ。

 男子の場合、命令系統がはっきりしているトップダウン型の組織を好む傾向がある。いっぽう女子の場合、横のつながりを大事にする。お互いに支え合いながらゆるやかな組織を形成していくのが得意だ、と言えそうだ。言い換えれば、男子の組織では「命令」が、そして女子の組織では「共感」が重要な役割を果たす。だから、少なからぬ女子校において、学年対抗で運動会を行うようになったのではないか。

 いずれにしても、集団としてみた場合、女子と男子ではそのふるまいが大きく異なることが、運動会における組織づくりに如実に表れているのである。共学校にはない、女子校ならではの空気があるのだ。

女子校がピークの半分以下に

 しかしいま、全国の高校のうち、生徒が女子のみの学校の割合は約6.1%。男子のみの学校の2.2%に比べればましではあるが、希少な存在であることに変わりはない。女子のみの学校の数は1970年代がピーク、その後減り続け、現在はピークのほぼ半分以下になっているのだ(表)。いまなぜ女子校が減っているのか。

 

共学化する「台所事情」

 理由の一つには1999年に施行された男女共同参画社会基本法がある。しかしそれだけではなさそうなのだ。東日本で比較的近年共学化した学校のリストを見ると、その多くが過疎化した地域の学校であることがわかる。つまり男女共同参画社会の実現という理屈を盾にしながら、実は過疎化・少子化による学校運営上の事情もあることがわかるのだ。

 同じことが、私学についてもいえる。急速な少子化のなかで、中堅以下の女子校は生徒募集に関して非常に厳しい状況にある。特に高校からの生徒集めが苦しい。しかし共学化した学校では一時的にではあるが志願者数が増えるのだ。

 つまり高校しかない女子校は共学化に踏み切るか、中学校を設置して別学を継続するかの選択を迫られる。女子中高一貫校は高校募集を停止し別学を継続するか、共学にするかを迫られる。

 共学化に合わせて大胆なリニューアルをしたのが、順心女子を前身とする広尾学園、東横学園を前身とする東京都市大学等々力、戸板女子を前身とする三田国際などである。校名を変え制服を変え校舎を改装し、まったく新しい学校として生まれ変わった。「共学リニューアル校」とも呼ばれ存在感を増している。

 一方、都内高校受験で私立女子トップ校の一つとされる豊島岡は、2022年度入試から高校での募集を停止すると発表した。中学入試で十分に優秀な生徒を集められるからだ。

 公立であっても私学であっても、学校の運営や経営ありきの共学化というケースが実際は多くあるわけだ。その選択自体は否定されるべきではない。

 しかしそこで、「男女共同参画社会では共学であることがあたりまえ」や「学校は社会の縮図であるから、学校の中にも男女がいるべき」と言われれば、「ちょっと待ってほしい」となる。

海外の研究結果「女子校のほうがジェンダーにとらわれない」

 海外での調査によれば、男女別学校のほうがむしろジェンダー・フリーである、つまり男女の性的役割についての既成概念にとらわれにくい環境であるという研究結果がある。

 2002年には、イギリスの国立教育調査財団が計2954もの高校を調査した結果、女子校の生徒ほど、高等数学や物理など、一般的には女性的ではないと見なされがちな教科を選択する確率が高いことがわかった。調査に関わった研究者たちは、「女子校では、女性らしい教科や男性らしい教科という固定概念にとらわれにくい」と結論づけている。

 その裏付けといってもいいだろう。2005年、イギリスのケンブリッジ大学は教育における性差に関する研究調査の結果を発表した。男女の学力差を埋めつつ男女それぞれの学力を上げるための教育施策を模索するなか、たどりついた結論の一つに男女別学化があった。

 男女別学化することで、男子生徒は英語や外国語で、女子生徒は数学と科学で、それぞれ明らかな効果が見られたのだ。一般に、男子は語学が苦手、女子は理数系が苦手というのが世界共通の傾向である。しかし、その常識を打ち破るヒントが男女別学教育にあるらしいことがわかった。

 なぜこのようなことが起こるのか。「学校は社会の縮図であるべき」という思想のなかにそもそもの矛盾がある。

 学校が社会の縮図であるとすれば、現在の社会にある「男女不平等な既成概念」がそのまま学校という空間にも持ち込まれる可能性が高い。既成の性的役割に照らし合わせ、女性は女性らしく、男性は男性らしくあれという暗黙のメッセージが教室に入り込む。「男性は理数系が得意で、女性は語学や芸術系が得意である」という固定概念が、生徒たちの志向に「ジェンダー・バイアス」をかけるのだ。

 これは「共学のパラドクス」である。その点、女子校や男子校には性差がない。よって日常生活のなかにジェンダー・バイアスが入り込む余地もない。ジェンダーに対する意識が急速に高まっている現在の社会において、ジェンダー・ギャップを乗り越える環境としての女子校の存在意義は、もっと前向きに見直されてもいいのではないだろうか。

(おおたとしまさ)

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