なぜ「産業道路駅」は「大師橋駅」に名前を変えた? 京急電鉄の新駅名4駅に行ってみた

文春オンライン / 2020年6月8日 8時45分

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今回の路線図。「京急東神奈川駅」を訪れたのち、各駅停車で「花月総持寺駅」へ

「逗子・葉山駅」から葉山まで、じっさい何分かかる? 京急電鉄の新駅名4駅に行ってみた から続く

 今年の3月、ひっそりと名前が変わった京急電鉄の6駅。羽田空港周りの2つの駅以外の4つはいったいどの駅がどんな名前に変わったのか……。#1では「逗子・葉山駅」(←「新逗子駅)と「京急東神奈川駅」(←「仲木戸駅」)を訪れた。“もう2つ”の新駅名への旅をご紹介したい(全2回の2回目/ #1から続く )。

◆◆◆

(3)「花月園前駅」→「花月総持寺駅」

 続いての目的地は、「花月総持寺駅」である。今度は各駅停車しか止まらないので、京急東神奈川から各駅に乗った。ところが、その列車が神奈川新町行き。神奈川新町駅は京急東神奈川のお隣だから、目的の花月総持寺駅には届かない。慌てて降りて次の各駅を待ったが、あとで調べてみると神奈川新町駅で同駅始発の各駅停車に乗り継げるようだ。このあたりの機微は、毎日乗っている地元の人でもなければなかなかわからない。

 結局、15分ほど時間を無駄にしつつ各駅停車で花月総持寺へ。この駅、実は以前も訪れたことがある。10年ほど前だっただろう、JR鶴見線の国道駅に行こうと思い、徒歩5分ほどのこの駅を利用したのだ。ただ、その時にはまだ駅名は花月総持寺ではなく花月園前。駅のすぐ西側をJRの線路が通っていて、花月園前駅から続く跨線橋の上で間断なく行き交うJRの列車を眺めた記憶もある。で、「花月園」などという華やかな名前とのギャップのある雰囲気だと感じた覚えもある。

「嘘だよ嘘、競輪場だよ」

 10年前の記憶がどうかと思いながらの再訪になったが、駅名が変わったものの駅の雰囲気はそのまま。変わったところは構内の壁面に花柄の壁紙が貼られて片隅に駅と花月園についての説明板が掲げられているところくらいであった。

 その説明書きによると、花月園は大正時代にこの駅の近くにできた遊園地。駅もそのアクセスのために設けられたものだ。一時期は大いに賑わったが、徐々に衰退して戦後直後の1946年に閉園したという。それからもずっと花月園前駅の名を貫いてきたのだなあ……。

「なるほど遊園地の名前だったのか……」と説明板をまじまじと眺めていると、地元のおじいさんが「嘘だよ嘘、競輪場だよ」と突然言い放って改札口を通っていった。ちょっと呆気に取られつつ調べると、確かに花月園が閉園してから4年後の1950年、跡地に花月園競輪場がオープンしている。この駅が遊園地の玄関口だった時代は戦前から戦後直後まで、それからあとは長らく競輪場の玄関口だったのだ。以前訪れた時に感じた“下町的な”雰囲気はそうした環境に由来するものだったのだろう。

 ただし、花月園競輪場も赤字を抱えて2010年に閉場。それからは集客施設もなく、ごく普通の住宅地の駅となった。すでに花月園の名を持つ施設が消えてから10年。「花月園っていったいなんなの?」と疑問を抱かれることも増えただろう。とうに廃止された競輪場のイメージがついて回っては、都合が悪いという向きがあったのかもしれない。で、総持寺というこれまた近くの古刹の名をいただいて、セットにして花月総持寺駅に生まれ変わったのだ。

ちなみに……京急にはかつて「総持寺駅」があった

 ちなみに、かつて京急には京急鶴見~花月園前間に総持寺という駅があった。1944年に廃止されてしまったが、そうした歴史にも敬意を評した改称なのだろうか。さらに、総持寺という名の寺は全国各地に点在、大阪府茨木市の総持寺の近くには阪急京都線の総持寺駅、JR京都線(東海道線)のJR総持寺駅がある。

 花月総持寺駅、古くは花月園前駅の“下町的な”雰囲気。それは、駅の少し東側を通る国道15号(第一京浜)とそのさらに東側の工業地帯の雰囲気も影響しているような気がする。くだんの鶴見線国道駅、戦時中の機銃掃射の跡も残る歴史的な駅なのだが、そちらも似たような雰囲気を濃厚に残しているのだ。そして、そうした空気を生み出している町の中にあるのが最後の目的地、「大師橋駅」である。

(4)「産業道路駅」→「大師橋駅」

 大師橋駅は京急川崎駅で本線から分かれて多摩川右岸を東に向かう大師線の駅だ。大師線というと、京急の各路線の中でも最も古い歴史を持ち、ご存知川崎大師への参詣路線として有名である。名刹へのアクセスを担うということで静謐で品のある路線と言いたいところだが、沿線の雰囲気は必ずしもそうではない。京急川崎駅と隣の港町駅の間、堀之内には風俗街。港町駅の近くには川崎競馬場が鎮座して、その南には川崎競輪場もある。

 こういうオトナの町が連なるのにはもちろん理由があり、大師線に乗って川崎大師最寄りの川崎大師駅を通り過ぎ、終点の小島新田駅に向かうとそこは京浜工業地帯の中心地。工業地帯で働く人たちが遊ぶ町、それが大師線沿線だったのだ。

「大師橋駅」になる“きっかけ”の工事とは

 で、その工業地帯を南北に貫き、ひっきりなしにトラックが行き交う通りがその名も産業道路。多摩川を大師橋で渡って京急大師線とも交差して工業地帯を南に走る。そしてこの道に接する場所にある大師橋駅は、通りの名をとって3月までは「産業道路駅」を名乗っていた。まさに工業地帯を象徴する駅名だったのである。

 ただ、大師線はこの交通量の極めて多い産業道路と長らく平面交差だった。つまりは踏切があるわけで、運転本数が少ないから開かずの踏切とまではいかなくとも産業道路の交通量からすれば間違いなく渋滞の大きな要因になってしまう。

 そこで産業道路駅前後の区間の地下化工事が行われ、2019年春に線路は地下に潜った。今でも現地には産業道路にあった踏切の名残が確認できる。そして、この地下化から1年後の今年春に駅名が産業道路駅から大師橋駅へと変わったのだ。

 地下のホームからまだ工事中の駅舎内をすり抜けて小さな駅舎の改札を出るとすぐ目の前には産業道路。その頭上には首都高速道路が走っている。とうぜんたくさんのクルマが行き交っており、いかにも工業地帯らしい雰囲気が漂う。すぐ近くには大師河原の交差点があり、そこからさらに北に行けば多摩川を渡る大師橋。この橋の名から新しい駅名を頂いたのだから、とりたてて不自然なところはないし、イメージで言えば川崎大師が思い浮かぶ大師橋のほうがいいのだろう。産業道路はいくぶん無骨で埃臭い。でも、お祭りでもないのに駅前にたこ焼きの屋台がある終点の小島新田駅ともども、その埃臭さが大師線らしさでもあり、魅力でもあると思うのだがどうだろう。

京急大師線の終着駅「小島新田駅」にも行ってみた

 小島新田駅にもついでに足を伸ばすと、ちょうど夕刻だったこともあってたくさんの人が駅に向かってやってきた。きっと近隣の工場で働き、これから帰宅する人たちなのだろう。時節柄か飲みにいくような人はいなかったが、駅の近くには昔ながらの立ち飲み屋がいくつか。その手前の産業道路駅、実にイメージ通りのいい駅名だったのだと改めて思った。

 それでも時代は変わる。工場で働く人と言っても昔のように埃と油に塗れてというイメージは今やなく、工場の移転を受けて沿線の再開発も進む。大師線の車窓からは真新しいマンションがいくつもあるのが見える。町のイメージの変貌に駅のイメージも変わりゆく。他の3駅、さらに京急以外の改称駅に広げても、駅名の変更が先に立つようなことはあまりない。駅周辺の再開発や雰囲気が変わってゆくのにあとから駅が追いついて駅名が変わることのほうが多い。目下工事中の大師橋駅には、いつかきっと新しくて立派な駅舎ができるのだろう。京急大師線の無骨なイメージは、今まさに変わりゆく最中なのである。

( 【前回】「逗子・葉山駅」から葉山まで、じっさい何分かかる? 京急電鉄の新駅名4駅に行ってみた  を読む)

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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