日本人の“高い衛生観念”はいつ生まれた? 磯田道史が語る「疫病の日本史」

文春オンライン / 2020年6月15日 17時0分

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纏向遺跡にある箸墓古墳。奥が三輪山 ©共同通信社

〈実は、この国の天皇の王権も、伊勢の祭祀も、はじまりは疫病であった。今日、この国の人々は高い衛生観念をもつ。今回、新型コロナの波を乗り切るにあたっても、その力が大きかった。この不思議な国民の衛生コンピテンシー(行動特性)は、いかに培われてきたのか。歴史をさかのぼって考えておく必要がある〉

 こう述べるのは、歴史家の磯田道史氏だ。

1700年前に日本列島を襲った疫病

「西暦300年頃の崇神天皇5年に、列島で疫病が流行し、国民の大半が死に、その社会不安のなかで、現在の天皇につながる王権と祭祀が誕生した史実をおさえておきたい」として、こう指摘している。

〈その頃、三輪山麓の纏向周辺には「都市」が生まれていた。日本最初の都市という研究者もいる(寺沢薫『王権誕生』)。それまで牛馬は列島にいなかったが、纏向からは馬具がみつかっているから、大陸との交流がさかんになりはじめていた。さらに、巨大古墳を築造するため各地から人が集められたのも影響しただろう。疫病が流行れば、免疫をもたぬ日本列島の人々は感染爆発がおきて、ひとたまりもなかった。古墳は人々を殺していたのかもしれない〉

 つまり、かつて疫病が日本列島で大流行したのも、「都市の誕生」「大陸との交流」「巨大古墳の築造」など、今日とまったく同じように、「人口」の増加・移動・密集がきっかけだったというのだ。

「日本人にとって、疫神は仇敵ではなかった」

〈その後、日本でも、仏教伝来などもあって、大陸との往来が進むにつれ、たびたび、列島は感染症に襲われた。敏達天皇、用明天皇の兄弟はともに天然痘で崩御した。聖徳太子は用明天皇の子だが父も母も妃も本人も天然痘とみられる疫病で死んでいる。聖徳太子たち「上宮王家」は仏教に熱心で「国際派」。疫病に倒されやすかったのだろう〉

 そして、「治療薬も、ワクチンもない時代、人は感染症に無力である。そこで、あれこれ疫病封じの『まじない』を考え出した」として、さまざまな史実を踏まえながら、日本人と「疫病神」との関係について、こう解説する。

〈人間が疫神を歓待する→疫神が人間に感染免除をくれる、という疫病神と人間の互酬=なれ合いの存在も面白い。日本人は疫病神さえ買収してしまうのである。(略)日本人にとって、疫神は仇敵ではなかった〉

 磯田氏が「日本人と疫病との独特な関係」を辿った「 感染症の日本史(3)世界一の『衛生観念』の源流 」の全文は、「文藝春秋」7月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

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(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年7月号)

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