美術館女子炎上問題、「インスタ映えはアートをないがしろにしている」と言う人の矛盾

文春オンライン / 2020年6月28日 11時0分

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写真はイメージ ©iStock.com

「美術館女子」 という企画がたいへんな批判にさらされている。ご存知の読者も多いかもしれないが、簡単にことの顛末を説明しよう。 

 これは読売新聞オンラインと全国約150の公立美術館が加盟する美術館連絡協議会(以下、美連協)が企画した新プロジェクトである。

 AKB48の所属アイドルが各地の美術館を訪れて、自身と展示物を一緒に写した「インスタ映え」する写真を公開することで、コロナ感染対策として閉幕直前に再開をむかえた展覧会への来場者数、とりわけ若年層の獲得を目論んだものだ。 

 しかし、発表されるや否や、女性が「見られる対象」であり、かつ若いアイドルがあたかも「無知な観客」である、といったジェンダーバイアスのかかった女性表象や、そこに見え隠れする日本の美術界の男女格差、またインスタ映え目的に美術館を訪れるという浅薄な動機などが主な批判の的になった。 

 これらを受けて、読売、美連協は「今後のことについては、様々なご意見、ご指摘を重く受け止めて、改めて検討する方針です」と 取材に答えている 。 

「インスタ映えは美術を蔑ろにしている」は都合が良すぎ

 私自身の見解を述べておけば、まずもって偏向した女性表象が問題であり、かつその背景にあるだろう芸術祭参加作家や美術館職員の男女格差など、男性優位の美術業界の構造自体の改変も進められるべきである。 

 一方で、インスタ映えに関しては、アートに関わる人々が安易に「否」を投げつけるのは、すこし都合が良すぎると思っている。というのも、アート界はインスタグラムというサービスを自ら活用して、経済的にも社会的にも存在感を示している側面があるからだ。 

 すでに多くの人が指摘している通り、この問題の中心に女性表象の偏りがあるとすれば、それを取り囲むのはインスタ映えをめぐる問いだろう。

 本記事では、たしかに周辺的であるにしても、美術館女子を考えるうえでは欠かすことのできないアートとインスタ映えの「密な」関係の網の目に迫ることで、その内実を明らかにしていきたいと思う。 

「インスタ映え」を構成するものって?

 以下では、その関係性について述べていくが、その前にインスタ映えとは何かを確認しておこう。簡単にいえば、それは第一にインスタグラムの画面サイズやフィルター機能といった様々なフォーマットに適した見栄えのよい写真という美的な性質にかかわるものであり、第二に当の写真を投稿して、たくさんの「いいね」をもらいたいという共有と拡散の欲望に裏打ちされたものでもある。

 したがって、ひとまずは美的なセンスと共感を求める気持ちが分けがたく混ぜ合わさっている写真をインスタ映え的と呼ぶことができるだろう。 

 それでは、アートとインスタ映えの関係性に迫ってみよう。そもそも、皆さんはいわゆるインスタ映えを目的としたアート鑑賞をどう思うだろうか? 美術館女子以前より、アート界には「インスタ映えは美術作品を蔑ろにしたもので、アート鑑賞にはふさわしくない」といった風潮は存在してきた。 

 たしかに、絵画や彫刻、写真、インスタレーションをじっくりと観察して、作家の狙いを考え、自分なりの解釈をもつ。こうしたまじめな鑑賞は美術のみならず、文化受容の根本に据えられるべきものであろう。 

 しかし、だからといって、アート界は一見してふまじめな鑑賞をいとも簡単に否定できるのか? アートの側がインスタ映え的な鑑賞を内面化し、利用している背景はないだろうか? こうした疑問に対して、本記事は主に展覧会と作家という二つの立場から考えてみたい。 

瀬戸芸、あいトリ……インスタ映えをとことん利用した地方芸術祭

 一つ目に展覧会とインスタ映えの密な関係性についてである。はじめに重要なのは、インスタグラムがサービスを開始した2010年という時機である。というのも、その年は、日本のアート界にとって重要な出来事が二つ起きているからだ。 

 一つはおそらくいまもっとも国際的によく知られた日本を代表する芸術祭「瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)」、もう一つは2019年に津田大介を芸術監督に招聘し、様々な議論を巻き起こした「あいちトリエンナーレ」の第1回目の開催である。2010年代とはこの二つを起点にして、のちに「芸術祭の時代」と総括されるほどに、地方芸術祭が乱発された10年間であった。 

 それらの芸術祭の多くは地域振興を主な目的に据えている。例えば、2019年の来場者数が過去最多の117万人を記録した瀬戸芸は、もともと過疎地域だった瀬戸内周辺の観光業を文字通り復活させた。 

 こうした観光と紐づいた芸術祭にとって、写真とその流通網であるインスタグラムは重要な広報手段だ。特に若者の間ではインスタ映えする写真を撮るための観光や旅行はいまや普通になっているし、瀬戸芸であれば、草間彌生のカラフルなかぼちゃを背景にして、自撮りされた写真を見たことがある人は多いはずだ。 

 瀬戸芸側も、2016年には公式インスタアカウントを開設して、積極的に写真投稿をし始めている。つまり、芸術祭は観光業として地域振興に寄与するために、インスタ映え的な鑑賞を許容し、ときには積極的に活用していると言える。 

 

年間来場者数上位を独占する森美術館のSNS戦略

 この密な関係は地方の芸術祭だけにとどまらない。ここ数年、アート界では東京の森美術館(以下、森美)のSNS戦略が注目を集めている。六本木という立地もさることながら、インスタを含むSNS戦略によって、驚異的な来場者数をたたき出しているからだ。2018年の年間来場者数1位と2位はどちらも森美の展覧会であり、2019年に開催された塩田千春展は来場者数が66万人をこえ、同館の歴代2位の記録となった。 

 この圧倒的な来場者数獲得の立役者の一人が、広報・プロモーション担当の洞田貫晋一朗である。洞田貫は著書『シェアする美術 森美術館のSNSマーケティング戦略』(2019年)のなかで、そのSNS戦略の極意を解説している。 

  彼によれば 、森美では展覧会をキュレーションする学芸業務と広報業務はきっぱりと分かれており、展示の際にインスタ映えを狙っているわけではない。SNSの動向をチェックできるソーシャルインサイトを導入して、リアルタイムで展覧会に関するSNSでの情報の動きを分析することで、来場者を増やすための適切な戦略が立てられるのが強みだと言う。 


 けれど、結果的に森美の展示がインスタ映えと相性がいいのは、日本の美術館には珍しく展示会場での観客による写真撮影を許可していることが大きい。すなわち、森美は撮影OKで共有し拡散されやすい状況を作り、そのSNSでの動向を広報担当がチェックすることでインスタ映え的な鑑賞を、うまく来場者数の獲得に繋げていると言えるだろう。今後、森美を成功例としてこれに続く館が出てくることが予想される。   

「ぼくもういま、インスタグラマーみたいな感じですね」 

 二つ目に作家とインスタ映えの密な関係性についてである。最近、 たいへん象徴的に思える会話 を耳にしたので、紹介してみたい。

H「グローバルにはインスタグラムのフォロワーがある程度いないとビジネスにならないといった、そうした傾向はありますよね」 
 

M「ぼくもういまメイン活動、インスタグラマーみたいな感じですね」 
 

H「本当そうですよね」 


M「インスタグラムでの一挙手一投足で、やっぱり価値が決まるので非常にセンシティブにやってます」 

 二人はグローバルなビジネス展開において、インスタグラムの活用の必須性を確認しあっている。Hは堀江貴文で、Mは村上隆の発言である。最近、ビリー・アイリッシュとコラボした村上はほかの箇所で、ここ数年すべての仕事はインスタを介して決まっているとも話している。 

 その真偽はおくとしても、アートビジネスの視点では、インスタ活用がほとんど絶対条件になっていると言えるだろうし、もちろん、それに付随して投稿される作品自体もインスタグラムのフォーマットを意識したものにならざるを得ないことは想像に難くない。 

 また、これは村上だけの実感ではない。アメリカの美術系メディアのArtsyは 2010年代のアートを決定した瞬間10選 のなかで、インスタグラムの登場をあげ、ここでもアーティストに対して、やはり力強いマーケティングツールとして機能したことを挙げている。

 さらには、その予想外な効果として、どれだけ展示がインスタ映えするかをアーティストが競うようになったことを記している。これは村上の認識とも一致する見解であろう。 


 つまり、今日、村上がはっきりと言うように作家にとっても、インスタというメディアはマーケティング戦略としてなくてはならないものになりつつあるし、かつ作品制作に対しても、インスタ映えを目的とした鑑賞や消費は意識せずとも影響を及ぼしている状況があるのだ。 

インスタグラムとアートの共存関係を認めよう

 ここまでいくつかの事例を交えて展覧会と作家のインスタ映えとの密な関係性に迫ってきた。

 こうした視野から見れば、今回の美術館女子はアートとインスタ映えの共存関係をまずは認めたうえで、それが偏った女性表象を援用する形で使われてしまった点が問題であると言い直すことができるだろう。今後は、インスタとの密な関係性を自覚的に精査することで、今回とは別の仕方で、美術館女子の狙いを達成できる企画が考えられるべきである。 

 それに当企画の本来の趣旨(コロナ禍で客足の減った展覧会への来場数を増やすこと)に立ち戻れば、コロナ禍において本当に苦しんでいる場所はどこか想像してみる必要もあるだろう。

 言うまでもなく、それは観光客に依存してきた地方芸術祭である。あの瀬戸芸でさえも、会場の宿泊施設や飲食店は経営が難しい状況にあるのだから。 

 おそらくは、数年はもとの来場者数に戻すのは困難である。政府が推し進める「Go To トラベルキャンペーン」がどこまで効果的なのかも分からない。 

 厄介なのは、この問題がコロナ禍で植え付けられてしまった我々の気持ちの鈍重さに起因していることである。我々は外出自体が自分にとっても、他人にとってもリスクであることを知ってしまっているのだ。 

 しかし、それでは芸術文化そのものが死んでしまう。必要なのはリスクを理解したうえで、それでも行って、見てしまうようなちょっとした好奇心をくすぐるたくらみである。 

 インスタ映えはたしかに浅薄かもしれないが、その軽さこそが現状の困難を乗り越えるための一つの回路になりえるかもしれない。コロナ禍のいま、インスタグラムの力を正しく信頼するべき時ではないか。 

(南島 興)

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