地下鉄サリン事件から25年……日本の化学・生物テロ対策にまだ“足りないもの”

文春オンライン / 2020年7月14日 6時0分

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地下鉄築地駅で汚染された電車内の除染作業をする自衛隊員(陸上自衛隊提供) ©時事通信社

今の日本は生物兵器に耐えられない…シェルター完備、全員に防毒マスクを配る国も から続く

 毒性学の世界的権威アンソニー・トゥー氏による新著 『毒 サリン、VX、生物兵器』 (角川新書)から、日本では「毒」からの防衛にどう取り組んできたのか、地下鉄サリン事件などの事例とともに紹介する。

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日本の防衛体制はどうなっているか

 それでは、日本の防衛体制はどうだろうか。まず、自衛隊について見てみよう。自衛隊は全国の部隊を北部、東北、東部、中部、西部の5つの方面隊(部隊編制の単位)に分けている。関東地方を例に取ると、ここは東部方面隊が責任者で第一師団が東京にあり、その中に特殊武器防護隊がある。同じ東部方面隊の中に第12旅団があり、その司令部は群馬県にある。そして、この旅団の中に化学防護隊がある。日本国内で化学テロや生物テロが起き、これらの化学防護部隊の援助が欲しい場合は、県知事が防衛大臣に要請する。また、化学科の隊員を訓練、養成する所は、さいたま市にある陸上自衛隊化学学校である。私はそこで3回講演をさせていただいた。

 1995年の地下鉄サリン事件の時は、当時の防衛庁長官であった玉澤徳一郎長官が援助の要請を出した。国内で同じような災害が起これば、陸上自衛隊の化学科部隊の援助が受けられるようになっている。

 そのほか、日本には安全保障・危機管理室という総理大臣直属の機関がある。日本の省庁は縦割りの組織で、横の連携が少ない。だが、危機が起きた場合には、この管理室が各機関に命令を発することができるので、各機関に対して連絡ができるようになっている。

日本の危機管理の弱点とは

 私はこの内閣危機管理室に3回呼ばれたことがある。私見では大変いい構想だと感じたが、メンバーは警察、消防、自衛隊やその他の省・機関から3年交代で来ており、やや寄せ集めの感を受けた。アメリカでも、化学・生物兵器に対処するための研究室では、トップは3年ごとに変わるが、その下にいる人たちはほとんど動くことはない。3年ごとに実務を扱う人が交代するようでは、ようやく業務の内容が理解できたころに、現場から離れてしまうわけである。中国やロシアの化学・生物・毒素兵器の研究所にいるメンバーも、みなひとところで何年も勤務しているようであった。

 それ以外に関係する省庁としては、あまり知られていないが、経済産業省だ。もっとも、私が関わっていたのは前身の通産省である。化学兵器や生物兵器の製造を目的とした薬品や設備の輸出を制限する国際的な会議に「オーストラリア・グループ(AG:Australia Group)」というものがあり、これに参加していたのが通産省だった。私もオウムのサリン事件の数か月前に、日本側の要請でスピーカーとして呼ばれたことがある。なんでも、参加する役人が化学兵器のことは多少わかるが、生物兵器の方になるとてんでだめだということで、それについて教えてほしいということであった。

地下鉄サリン事件で活躍したエキスパート

 もう一つ、東京消防庁の中にある特殊災害対策の部門にも言及しておくべきだろう。この部門は、工場が爆発火災を起こしたときに、その消火に対応するための組織である。化学工場などで起こる火災は、ものによっては水をかけることで、消火することはおろか、逆に火勢が強くなる場合もある。また、有毒ガスを出すので防毒をしなければならない場合もある。東京消防庁は平生からそういう訓練をしており、中でもこの部門は特殊災害に対するエキスパートだ。彼らもまた、1995年の地下鉄サリン事件ではずいぶん活躍した。

 防毒の観点でまず重要なのは、「相手がどういう毒ガスを使ったか」ということを検出することだ。それを知ることで初めて、対応や治療の方針を決めることができる。検出の器具の進歩は目覚ましいもので、私が兵器関係の学会に出る際には、毎回新しい器械に目を見張っている。

 地下鉄サリン事件の時も、急務だったのは「何の毒物が使われたのか」ということを特定することであった。しかし、この当時日本の警察は携帯用の毒ガス検知器、通称CAM(Chemical Agent Monitor)を持っていなかった。毒ガスを撒いたのがオウム真理教であるということはわかっていたので、強制捜査を行うつもりであったが、その際にオウム側から毒ガスで反撃されるのではないかという不安があった。そこで、警察は全国からカナリアを駆り集めて、これとともに強制捜査に乗り出した。カナリアの使用は理由がないわけでもない。鉱山などではかつて、有毒ガスを探知するためにカナリアを持って行ったという歴史がある。しかし、もちろんそれがサリンに対して有効であるかどうかはわからない。

会見写真に、携帯用毒ガス検知器

 地下鉄サリン事件の3か月後に、私は科学警察研究所で講演をする機会があった。その時に、私は研究所の方々に対して「オウムでもCAMを持っているので、警察も早く1台買ったほうが良いですよ」と教えてあげた。彼らのうちの一人が「先生はどうしてオウムがCAMを持っていることを知っているのですか」と不思議そうに聞いてきたが、なんてことはない、オウムのスポークスマンである上祐氏が記者会見をしている写真に、CAMが写りこんでいたのだ。

 しかし、警察の人々はCAMを見たことがないので、写真を見ても気づかなかったのである。ちなみに、私が中国に行ったときに、人民解放軍の方にCAMを持っているかと聞いたところ、「イギリスに注文したが、中国には売らないと言ってきたので、香港を通じて3台購入した」と話していた。今では、よりたくさんのCAMを持っているだろう。

日本の防衛体制に対する提言

 最後に、日本の状況について私個人の感想を述べてみよう。

 全体的に自衛隊の防衛体制は立派で、国内で起きた化学戦やテロに対しては十分対処できる。私は各国の化学・生物兵器の規模や装備を見学し、研究員とも交流してきたが、日本のそれは決して劣るものではない。もっとも、規模はそれほど大きくないが、防衛の点から見れば、十分な規模だと考える。しかし、生物兵器を使った戦争やテロへの対応は、不十分だろう。日本ではこの事態に対応するのは化学防護部隊であるが、他国に比べて規模が小さく、心もとないのが実情だ。

 しかし、それよりも、一番遅れていると思うのは民間防衛(Civil Defense)だ。見てきたようにスウェーデンのような小さな国でも、いたるところに堅固なNBC対策の要塞や避難所がある。スイスもアルプスの山の中に大きな避難所がいくつもあり、いざNBCで攻撃を受けた場合は市民が中に避難できるようになっている。これに対し、日本は化学・生物兵器で襲われたときに、自衛隊は対応できるものの、民間での防衛はほとんど壊滅的だろう。

未曽有の事態に備えることの重要性

 立川に国立病院機構災害医療センターという施設がある。ここには化学テロや生物テロに備えて常備薬や救急テント、医療器具などが置いており、私も見学した。中には炭疽菌テロに対しての特効薬であるシプロンや、サリンの特効薬であるパムなどが常備しており、たしかに立派であると感心した。しかし、こういう施設が日本全国で10か所程度は無いといけないだろう。アメリカでは、400㎞ごとに医薬品や救急器具が備蓄されている。すなわち、車で数時間運転すれば、これらの薬や機材を使えるようになっているのだ。やはり、日本はまだまだ民間防衛が足りておらず、今後ますますNBC兵器の重要性が高まってくることを考えると、早急にこれらの防備を整えるべきであろう。

(アンソニー・トゥー)

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