藤井聡太七段の師匠・杉本八段が明かす“東海の師弟物語”「永瀬さんは名古屋の終電に詳しくなった(笑)」

文春オンライン / 2020年7月11日 11時0分

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棋聖戦、王位戦でタイトルに挑戦している藤井聡太七段と師匠の杉本昌隆八段 ©文藝春秋

「えっ、師匠に挨拶しないで帰るの?」“30歳差”藤井聡太七段vs木村一基王位の知られざる舞台裏――教授は見た から続く

 史上最年少タイトル挑戦の記録を塗り替えた17歳の藤井聡太七段。藤井の師匠・杉本昌隆八段と一門でいえば“イトコ関係”にあたる“教授”勝又清和七段が、東海の棋士の系譜と師弟の物語に迫る。

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藤井聡太の大師匠・板谷進は「弟子の成長を何よりも喜ぶ」

 板谷四郎九段(1913-1995)は、40代で引退すると名古屋で板谷将棋教室を開き、中京棋界の発展に尽力し、多くの弟子を育成。私の師匠の石田和雄九段など5人の棋士が誕生した。やがて四郎の次男の板谷進九段(1940-1988)が親であり師匠でもある板谷四郎から引き継いでいく。板谷進は名古屋に将棋会館を建てよう、東海地区にタイトルを持ちかえろうとパワフルに活動した。東海が栄えるためには棋士を増やさなければならないと弟子をとった。内弟子からは小林健二九段が活躍する。小林は18歳の若さで四段に上がると、順位戦も順調に昇級し、20代でB級1組まで昇級した。

 一方、板谷はA級からB級2組までクラスを下げていたが、弟子の活躍に刺激を受けB級1組に復帰し、順位戦での師弟戦が実現した(順位戦は総当りのA級・B級1組以外は師弟での対戦はない)。

 1984年の最初の対戦は板谷勝ち。翌年の10月に2度目の対戦をする。朝10時に始まった対局は翌日午前1時26分まで戦う大熱戦。またも板谷が勝った。翌年3月の最終戦、小林は勝てば昇級、板谷は自分が勝って小林が負ければ昇級という状況だった。板谷は対局前日に神社で弟子の昇段を祈願したという(小林の手記より)。

 小林は勝ってA級昇級を決めた。板谷一門としては、板谷・石田に次ぐ3人目のA級八段だ。

 盤上では弟子でも容赦はない。だけど弟子の成長を何よりも喜ぶ、それが板谷進だった。

藤井聡太七段の新しい扇子 揮毫は「進」だった

 私自身は板谷との思い出は殆どないが、一つだけ印象に残っていることがある。

 1987年12月10日、私は加藤一二三九段対青野照市九段の竜王戦の記録係を務めた。隣の対局が板谷対石田の竜王戦だった。気安い兄弟弟子とあって午前中は2人は雑談していた。ふと石田が「やっぱ厄年ってのはあるんですかねえ?」と板谷に聞くと、「石田くん、私にそれを聞くかね。私は前厄・本厄・後厄でA級からB級2組まで落ちたんだよ。石田くんも40だからもうすぐだよね。体には気をつけないと」と苦笑しながら言った。

 翌年の2月、板谷は急逝した。47歳の若さだった。

 私が棋士になった後のこと。石田師匠と一緒に名古屋で泊まりの仕事があった。翌日、師匠が唐突に「東京に帰る前に墓参りに行こう」と言い出した。板谷の兄に連絡して車で墓地まで送ってもらい、師匠は自ら花を買ってたむけて手をあわせた。いつのことだったか詳しくは覚えていない。だが勇進居士という戒名だけが強烈に印象に残った(誠光院棋好勇進居士)。今年、藤井聡太七段が新しい扇子を作った。揮毫は「進」。もしや、これは本人にいつか聞かないと……。

「師匠が亡くなったので名古屋に戻りました」

 藤井聡太七段の師匠、杉本昌隆八段は、11歳のときに板谷進の弟子になり奨励会に入会し、21歳で四段になった。

「私は19歳で大阪に出て一人暮らしをしたんです。板谷門下は皆愛知に住んで板谷先生の教室を手伝いながら修行するという感じだったんです。なのである意味、師匠に反旗を翻したんですけど、師匠に大阪に行きたいと言ったら、反対することなく行って頑張ってこいと言ってくれまして。で、四段になったら帰ってこれたらいいよと。『帰ってこい』とは言わなかったんですね。それからしばらくして師匠が亡くなってしまって……。

 もしも師匠が健在だったら名古屋に戻ったかどうかわからないですね。師匠が亡くなったので戻らなければいけないかなと。なので四段にあがって名古屋に戻りました。今は自分の選択が間違っていなかったんだなあと思っています」

「藤井が棋士になれなかったら2度と弟子は取りません」

 2014年4月、岡崎将棋まつり前夜祭の控室、杉本は沈んだ顔をしていた。杉本の弟子の竹内貴浩が三段リーグの壁に阻まれ年齢制限で退会したことで落ち込んでいたのだ。杉本にとっては一番弟子であり、藤井聡太も通った東海研修会の1期生でもあった。竹内は将棋教室の手伝いなども一所懸命こなし、人望も厚かった。

 色々と雑談していると、杉本が突然厳しい口調で「藤井が棋士になれなかったら2度と弟子は取りません」と言った。藤井はこのとき小学6年ながら奨励会有段者で才能は関東にも鳴り響いていた。

 藤井が棋士になれないなんてありえませんよ、と言おうとしたが杉本の厳しい表情を見てやめた。杉本の弟子思いは誰しも知っている。師匠はつらいのだ。

 その後、竹内と夏の大学団体戦で会った。彼は指導棋士四段として子どもたちに教え、さらに愛知県名城大学の将棋部の専属コーチになったという。「ウチの大学は強くなりましたよ」と胸をはった。そして2015年末に団体の学生王座戦、個人の学生王将戦と両方とも名城大が制した。東海地区代表の団体優勝は40年ぶりだった。

 板谷一門の普及への思いは皆がバトンを繋いでいる。

「出前とるときはこの店がいいよ」「将棋では教えることは何もないからね」

 2016年5月、岡崎将棋まつり、杉本が藤井を連れて控室に入ってきた。

 おお、あの泣きじゃくっていた子がなんと落ち着いて。当時の藤井は三段リーグを戦っていた。さて詰将棋解答選手権2連覇の実力を見てみようと、高名な詰将棋作家の問題を見せた。10秒後、「できました」。おいおいそれほど難しくはないが合駒入りの25手だぞ。杉本はニコニコとそれを見ている。席上対局では佐々木勇気五段(当時)と相矢倉で互角の勝負をした。自玉が危険なのに攻めあいに出たがギリギリで佐々木が制した。「危ないところでも強く踏み込むのが藤井なんです」と杉本。

 2017年、5月岡崎将棋まつりは“藤井フィーバー”で大変な騒動だった。控室で杉本と藤井が話している。「出前とるときはこの店がいいよ」。藤井がニコニコとうなずく。「将棋では教えることは何もないからね」と杉本が笑った。杉本の表情が豊かだ。3年前とは比較できない。明らかに若返っている。

「藤井が泣くのを見たのはそれが最後です」

 王位戦第1局の控室で杉本に話を伺った。

杉本 藤井は育てやすい、手のかからない弟子だったですね。自らしっかりと学んでいくので、邪魔しなければいいだけかなと。師匠って結構邪魔しちゃうことがあるんですよね。良かれと思ったことが逆効果だったりとか。藤井は邪魔さえしなければ必ず強くなってくれると信じていましたから。

――私が最初に会った時彼は負けて泣いていました。弟子になってからは泣いたことはあるんですか。

杉本 私に弟子入りしたのは小学4年生で、その頃には落ち着いてきて泣くことはありませんでした。

 研修会の指導では4枚落ちから飛車落ちまで指しましたが、弟子入りした後に多面指しですが平手で指したらいきなり負けちゃったんです。そしたら藤井は当然という顔をしてましてね(笑)。

 そうだ、1回だけ泣いたことがあります。学業に専念するため奨励会を辞める決断をした弟子がおりまして。最後に一門の研究会に彼がきたので誰と指したい?って聞いたら藤井と指したいってね。私を指名すると思っていたんですけど(笑)、わかったと藤井と指させたんですが、対局中に彼が泣き出しちゃったんですよ。とても将棋が好きな子でしたから気持ちは痛いほどわかります。そうしたら藤井も泣き出しちゃってね。藤井が泣くのを見たのはそれが最後です。

――彼と将棋を指すと疲れませんか? 私は棋聖戦の準決勝と挑戦者決定戦の観戦記をしていただけで疲れたんですが。

杉本 ええとても疲れますよ。感想戦で早口で長手数の変化言われてね。ちょっとまってよ追いつけないよと。奨励会で初段になる頃ぐらいから強くて手に負えなくなってきました。で、三段になったタイミングが悪くてしばらく対局が空いていたので、彼に武者修行させたんです。三浦さん(弘行九段)の自宅まで私と藤井が出向いて三枚堂達也七段と4人で研究会をしたこともあります(※三浦は杉本と親しく名古屋まで出向いて指していたこともある)。

「永瀬さんは名古屋の終電に詳しくなったですね(笑)」

――藤井と永瀬拓矢二冠との研究会について教えて下さい。

杉本 東京では将棋センターとかで指していたみたいですが、こちらでは私の実家で指しています。彼らは会って1分ですぐ将棋を指し、ギリギリの時間まで2人で研究して永瀬さんは東京に帰っていく。永瀬さんは名古屋の終電に詳しくなったですね(笑)。もちろん会話はほとんど将棋です。お昼ごはんが困りましてね。本来なら後輩の藤井が買いに行くべきなんですが、外に出ると目立つでしょ。実家は私の家から車で10分程なんですが、なので私が弁当を買って車で届けに行くんです。感想戦もしっかりやって長いので、なかなか食べようとしない。冷めちゃうよと声をかけてようやく感想戦が終わったりとか。あんな強い二人があれだけ真剣に指すわけですから、そりゃ強くなるはずですよね。

 2人のぶつかり稽古を見ていると永瀬さんは藤井と対等に接しているんです。横綱が胸を貸すという感じではないし、将棋の内容も互角以上だと永瀬さんは言っていました。だから今回、藤井が棋聖戦と王位戦の挑戦者決定戦で連勝しましたが、驚かなかったですね。今日の将棋も藤井らしい強い内容でしたが、これからも藤井は将棋のあらゆる可能性を追求していくと思っていますし、時代の最先端の将棋を指し続けるでしょう。

「まあ杉本先生が形勢が良いですよね」

 2018年11月、C級1組順位戦。早い時間に快勝した藤井が珍しく控室に顔を出した。こんなチャンスを逃してはいけない。ちょうど杉本―佐々木勇気戦を検討しているところだ。

 おっとこのままだと逆側をもつことになる。「逆にする?」と聞くと「このままで結構です」ということで私が藤井の師匠を持ち、藤井が私の弟弟子側をもって検討する。形勢は杉本がいいはずなのだが藤井は巧みにしのいで佐々木玉を捕まえさせない。その内に絶妙の香捨てで逆に杉本玉が詰まされてしまった。なんで瞬時にこんな手が見えるのかと呆れる。藤井はまあ杉本先生が形勢が良いですよねと言って、丁寧に挨拶して控室を後にした。

 実戦は杉本が見事な指し回しで快勝した。藤井の連勝を止めた佐々木を師匠の杉本が破ったのだ(後日この話をすると杉本は笑いながら「藤井は他人の勝ち負けを願ったりすることは絶対にないから。盤上の真理を追求するだけだから」と話した)。

 藤井は10回戦で近藤誠也七段に負け、結果師匠と弟子は同じ9勝1敗ながら順位の差で杉本昇級、藤井は上がれなかった。

「板谷進先生にはどう報告したいですか?」

 再び、杉本との会話に戻る。

杉本 順位戦が終わった1週間後にご飯食べたんですが、流石に若干気まずかったですねえ(笑)。

 ただ頭ハネと行っても厳密には頭ハネじゃなかったんで(※昇級は2名で、9勝1敗4人の中では藤井が最下位だったので杉本がいなくても上がっていなかった)。「私のおかげで頭ハネじゃないんでカンベンしてよ」と言ったらうなずいていましたね。

 今季同じクラスになりましたが、また藤井と昇級争いをしたいですね。昇級したいとまではいえませんが、昇級争いはしたいなと。

――板谷先生にはどういうことを報告したいですか?

杉本 だいぶ待ってもらいましたけど、「まず東海からタイトル挑戦は達成できました」と。若い頃は師匠の意志をついでタイトルを取りたいと思っていましたし、40代に入ったとき、立て続けに弟子がやめたりして、師弟関係の儚さもあって気持ちが萎えていたときがあったので。藤井を弟子に取ったあたりから、かなり自分自身の意識も、将棋へのやる気を取り戻しました。

――先日の師弟戦はいかがでしたか?

杉本 竜王戦3組の決勝ですし、相手が藤井ですし、タイトル戦を指すつもりで和服で臨みました。次に対戦するときは間違いなく私が下座です。彼はこれからほとんどの棋戦でシードでしょうし、対戦するためにがんばります。

藤井七段に聞いた「現在の扇子は何本目くらいですか?」

 棋聖戦の準決勝も挑戦者決定戦も、藤井は杉本昌隆「七段」の不撓不屈と揮毫した扇子を使っていた。使い込んでいるのか穴があいてボロボロだ。杉本に聞くと、「彼はなにか持って回していないと読みのリズムが狂うみたいでいつも扇子を持っています。詰将棋解答選手権では消しゴムをクルクルしていたでしょ。昔持ち駒を回していた時があって、さすがにそれはやめさせましたが。扇子はいくらでも壊していいからとたくさんあげたんですよ。もちろん八段になってからの扇子もたくさん、だけどまだ古い方の扇子を使っているんですね」。

 棋聖戦第1局終了後、控室で杉本と藤井と3人で話した。このときもあの扇子を使っていた。杉本がいくらでもあげるから新しいのにしなよと声をかけ、藤井はニコニコしている。

 その後メールで棋聖戦の将棋を問い合わせた時、扇子のことも聞いてみた。

――師匠から杉本「七段」の扇子をずっと使っているとお聞きしました。現在の扇子は何本目くらいですか。

「たくさん壊してしまったので分かりません…。」

 可愛い返事がかえってきた。

あれはもしかして大師匠板谷進の……?

 6月20日、竜王戦3組決勝。杉本―藤井戦、藤井は師匠との勝負でも師匠の扇子を使っていた。

 その扇子を見て、杉本は胸が詰まった。

 王位戦第1局の激闘が終わり、記者会見の前に少しだけ藤井と話をした。

 そして最後に扇子の話になった。

――新しい扇子、揮毫は「進」ですね。あれはもしかして大師匠板谷進の……?

「ええ、まあそうです」

 そしてふと藤井が持っている扇子を見ると、間違いない、杉本七段の扇子だった。

「ええずっと使っています。穴が空いているので流石に取り替えようと思っていたんですが」

 と言いながら藤井は扇子を愛おしそうに信玄袋にしまった。

(【前回】 「えっ、師匠に挨拶しないで帰るの?」“30歳差”藤井聡太七段vs木村一基王位の知られざる舞台裏――教授は見た  を読む)

(勝又 清和)

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